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どうか

「あの……今から色々当たってみます。何かわかりましたら連絡します」 「ああ、本当に? じゃあ、よろしくお願いします」  店長に軽く頭を下げて、店を飛び出した。誉へのアパートへは、ここからなら車で行くより走った方が早い。千晃の足は自然に駆け出していた。段々と息が上がっていく。  どうか。この確信が間違いであってくれ。何事もなかったかのように家にいてくれ。ごめんごめん、ちょっと急用ができて、今帰ってきたとこでさ。とかなんとか言って、笑って玄関を開けてくれ。今の状況で、そんなことが起こる可能性は、ほとんどないのはわかっている。それでも千晃はそう願わざるを得なかった。  息を切らしながら、アパートの階段を上がる。誉の部屋の玄関が視界に入ってきてすぐ、何かが床に横たわっているのが見えた。  傘?  コンビニなどで買えるビニール傘が、誉の玄関の前にぽつんと落ちていた。玄関へ寄せられたような置き方だったので、廊下の通路に落ちていたのを、だれかが拾って玄関前に置いたのかもしれない。  呼び鈴を何度か押した。扉の向こう側でその呼び出し音が、手応えなく鳴り響くのが聞こえた。やはり、ここにはいないのだろうか。しかし、中で倒れている可能性もある。諦めきれずに玄関を(たた)いて声を上げた。 「誉!!」  耳を澄ませて、どんな小さな音でも聞き逃すまいと意識を集中したが、やはり何も応答はなかった。  しばらくそこに立っていた。が、思い立って、その足でこのアパートを管理している不動産屋へ向かった。不動産屋の古い看板が、アパートの壁に取り付けてあったのを思い出したのだ。電話をするか迷ったが、顔を見せて直接話した方が良いと判断した。  看板に書いてあった住所を頼りに辿(たど)り着いた不動産屋は、個人経営の小さな店舗だった。対応してくれたのは、耳の遠くなった老婆だった。どうやら彼女と彼女の夫の2人で経営しているらしい。  千晃は、誉が自分の弟だと偽って、鍵を開けてもらえるか頼んでみた。弟が留守中に数日泊めてもらう予定だったが、鍵を預かるのを忘れてしまったと説明した。すると、その老婆は千晃の身元を確認もせずにあっさりと了承し、一緒に赴くのは面倒だったのか晃に合鍵を渡してきた。管理の甘い不動産屋で助かった。

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