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絶対、助ける

「誉!」  大声で彼の名前を呼ぶ。聞こえないことはわかっている。でも、叫ばずにはいられなかった。  誉の顔がみるみる内に(ゆが)んでいく。今にも泣き出しそうだ。  千晃は、鏡の向こうにいる誉の姿に動揺を隠せなかった。誉はいつもの誉ではなかった。Tシャツ姿で上半身しか見えないが、顔に無数の小さな切り傷があった。口元には殴られたような(あざ)が見える。そして、首には皮製の首輪のような物が付けられていた。  やはり。誉は巻き込まれていたのだ。とても悪質な事件に。  思わず両手で鏡を(たた)き付ける。誉に触れたいのに。助け出したいのに。鏡の冷たい感触しか伝わってこない。誉は、泣きそうな顔のまま、千晃の両掌に自分の掌を重ねてきた。  鏡越しに見つめ合う。どうしたらいい。誉をどうしたら助けられる。誉が目の前にいるのに、何もできない。  為す術もないまま、しばらく見つめ合っていた。すると、誉が何かを思い出したような顔をして、手を離し、洗面台の下へ姿を消した。微かに見える誉の頭が、忙しげに動くのをじっと見ていると。起き上がった誉の手に何か小さな紙が握られているのがわかった。誉がそれを急いで広げて、こちらに見せる。  そこには、覚えのない住所が書き殴ったような字で書かれていた。  そこが今、誉がいる場所だと理解する。 「大丈夫だ」  誉に伝わるようにゆっくりと口を動かした。 「絶対、助ける」  誉が、小さく笑みを零して(うなず)いた。その直後、はっとした顔をして、背後を振り向いた。そこでふっと誉の姿が鏡から消えた。  蛇口をぐっと捻って水を止めると、浴室を飛び出した。車のキーと、傍にあった携帯と財布を引っつかむと、取るものも取りあえず玄関へと向かった。

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