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日常茶飯事
「うわ、凄いマンション」
自宅に着くと、誉は感嘆の声を上げて、きょろきょろとリビングを見渡した。
「何言ってんだ。誉だって住んでただろ? 高級マンションに」
「いや、こんな立派なとこじゃないって」
「大したことない」
「大したことあるって。ほら、置いてある家電、ほとんどハイブランドだし」
「そうなのか?」
「え?? 知らないで買ったの?」
「何がいいのかわからないから、人から勧められた物をそのまま買った」
「だれが勧めてくれたの?」
「同僚とか」
体の関係があった相手とか。
「ああ、なるほどね」
誉が言うには、家に置いてある物は全て高級品で占められているが、色やデザインがどこかちぐはぐで、統一感がないとのことだった。そう言われてみれば、そうかもしれない。今まで気にしたこともなかった。
「千晃ってこだわりがないんだな」
「そうみたいだな」
「こんな高級品ばっか勧められて、ぽんって買えちゃうのが凄いけど」
さすが、お医者様だな。そう冗談めかした口調で続けて、誉が千晃に笑いかけてきた。
やっと2人きりになれた。入院中はなにかと人の出入りがあったし、千晃も通常通り仕事があったので、落ち着いて誉と話す時間もあまりなかった。今日は誉のために休みを取ったのだが、こんな風にゆっくりと何気ない会話をするのは随分と久しぶりに感じた。
目の前に誉がいる。ふつふつと誉に触れたい欲望が湧き上がってくる。が、ぐっと耐えてそれを押さえつけた。専門ではないが自分も医者の端くれだ。事件によって誉が抱えている精神的苦痛を増幅するような行為は、絶対にしてはならない。入院中も我慢できたのだから、2人きりになっても耐え続けなくてはならない。誉はきっと、今はだれにも無遠慮に触られたくないはずだ。
「誉の部屋にアパートからの荷物も運んでおいた」
「え?? そんなことまでしてくれたの??」
「ほとんどは業者がやってくれた。俺は荷物まとめただけだから。要るだろ? 色々と。家電はそのままにしておいたけど。服とか運べる物は全部運んでもらったから。あと、資格勉強ができるように勉強机と椅子も用意した」
意味深に笑って、誉を見る。
「これで心置きなく『医療事務』の勉強できるな」
誉が驚いた顔をして、千晃を見返してきた。
「なんで知ってんの??」
「誉を探してアパート行った時に参考書を見た。荷物まとめる時にもな」
「……あー、そうか、置きっぱなしだったよな。いや、なんか、受かるかもわからないし、ちゃんと続けられて受かる自信がつくまでは内緒にしておこうと思ったんだけど」
「どんな資格でも誉だったら大丈夫だろ」
「……そんなこと言ってくれるの、千晃だけだって」
「俺だけでも、事実だからいいだろ」
「……ありがとう」
誉がゆっくりと感謝の言葉を口にした。10cm以上ある身長差のせいで、誉と向かい合って話すと、どうしても誉が千晃を見上げる形になる。その、少し上目遣いでこちらを見る誉の姿が、小動物のようで可愛くてしょうがない。それは、初めて誉と会った時から変わらない印象だった。
これから、こんな状況が日常茶飯事になると思うと、自分はどこまで耐えられるだろうかと少し不安になる。もちろん、その誘惑に負けることは許されないが。
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