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プロローグ 2

そんな生活も続いてくると、どうしても一人になりたい時が出てくる。出向かなきゃいいだけの話だが、家にいても居場所なんてない。 なんとなくつるんで、気分が落ちてくると『今日は帰る』と足早に離れていく。 早々に悪ガキとは別れて、帰る振りをして、帰れないから陸橋の下で膝を抱えて丸くなる。 アメリカでも北東に位置するこの街の朝晩は、真夏であってもかなり冷え込むことが多かった。雨など降れば、なおさらに寒い。 今夜は、シトシトと雨が滴るそんな夜だった。その辺に転がっていた段ボールで暖をとり、 ……浮浪者と変わらない、 と思いながらボンヤリと色々なことを考える。 だいたい、そういう時は、気持ちが塞いでることが多い。 僕はなんの為に産まれてきたのか? このままでは母を苦しめるだけなのではないだろうか? 僕がもっと、大人だったら…… いつも考えていることはそんなことばかりだ。 ここにいると、必ずと言ってもいいほど、ほぼ、同じ時間に同じ女性が歩いてくる。 今日もいつも通り奇抜な服装に、派手な傘をさして歩いてくる。 いつもならチラ見をして素通りしていく女性が、何故か、今日は立ち止まり、僕の方へと進んできた。 そして僕の前でその足は止まる。大きな影が僕を覆ったその時、その人は少し低めのその声を発した。決して男性的ではないが、少し周りの他の女性より低いというだけだ。逆にそれが艶っぽい声に聞こえてくる。 「キミさぁ、たまにここに座ってるけど、なんか帰れない事情でもあるの?いくら男の子でも、危ないわ。ペドな連中に目をつけられたら、キミくらいの子、簡単に連れ去られちゃうからね!!」 黙ったまま、虚ろな眸で彼女を見上げる。 「……あれ?女の子だった?いつもの服装からして男の子だと思っていたけど?」 戸惑う姿に、何故か親近感を覚える。胡乱げな眸まま 「間違いないよ。性別は男。こんな(なり)だから、よく間違えられるけどね。」 光の加減によっては、オレンジ色に見え、銀髪にも見える金髪、色素の薄い肌、そして一番の特徴は、滅多にでない眸の色だ。 アメジストのような紫色の眸は、光の加減によっては、鮮やかに輝く。 「……ところで、ぺドって何?」 あまり聞きなれない言葉に、質問を返した。 「小さい子に欲情する大人のことよ。君くらいの子なんて、最高のターゲットだわ。 あなたみたいな綺麗な子、売り飛ばされて、簡単に薬漬けにされて、ポルノ向けのVで、セックス漬けにされるわよ。 私はぺドじゃないから、キミは守備範囲外。だから、安心していいわよ。」 この女も相当な美人だが、言うことが直接的過ぎて、返す言葉が見つからなかった。 最後の言葉が、引っかかるが。 「あなたからすれば、私も十分怪しい人だろうけど、こんな所にいるよりは、暖かくて居心地のいい場所を提供出来るって約束できるわ。 散らかってる部屋だけど、暖をとりにこない?お腹も空いてるでしょ?」 微笑みながら手を差し伸べてきた女の手を、振りほどくことが出来なかった。 ーーこの人は大丈夫、 と思えたからかもしれない。実際に、そういう意味では大丈夫な女ではあったが、着いて行った部屋は、想像以上に散らかった部屋だった。 思わずプッと吹き出した僕に、 「失礼ね!!」 と言うも、その悲惨な現状は変わらない。 我が家の倍以上ありそうな部屋の中は、積み上げられた本で溢れかえっていた。 備え付けの飾り棚には、ほとんど本が入っていないのだ。これを笑わずして、どう表現すれば良いのやら。 窓際にはデスクがあり、そこまでの動線はしっかり確保されていて、そのデスクの上には、小さなパソコンと、ノートが積んであり、彼女の生活スペースの大半がそこなのだと、わかる。 「私、大学で物理学を学んでるんだけど、実験をするにあたって、これから計算をしなきゃならないのよ。適当にその辺で過ごしてくれて良いから。 本は好きなの読んで良いから。あと、お腹が空いたら、キッチンにあるものをなんでも食べて良いからね?眠くなったら空いてるスペースで休んで良いわよ。 本当はベッドを使って良いって言いたいけど、今は使える状態じゃないからオススメ出来ないのよ、ごめんなさいね。本ってのも案外、暖かいわよ?」 いったい、この広い部屋のどこに、この女が寝てるのか、僕に意味不明な興味が湧き上がる。 机上でカリカリと音を立てて計算を始めた女には、僕がどう動いても、気にはならないようだったので、寝室と思しき部屋のドアを開けた。 その部屋は、嗅ぎ慣れた異臭がした。 複数の男の匂いだ。 しかも、セックスをした部屋の独特な匂いそのものがした。母の部屋と同じ匂いだった。 とりあえず、その濁った空気を入れ替える為に窓を開けて、シーツとベッドカバーを外し、洗濯機へ放り込んで洗濯機を回す。 部屋中に散らかっていた脱がされたと思われる服を拾い集め、投げ散らかされた精液がついたティッシュやコンドームをゴミ袋へと納めて行く。 なんの因果か、母親にしてるのと、同じことを、この部屋でもやっているのかと思うと、笑ってしまいそうになる。 集めた服は洗濯機の前に積み、ゴミはまとめて、キッチンのすみのほうに、積んだ。 まだまだ、この部屋には処分できるものが大量にあるだろう。書籍関係は、必要だろうが、ゴミ箱の周りも、書き損じなのか、丸めた紙が収まりきらず溢れている。ある分野に特化してる反面、片付けのできない女なのだ。 一番の難関は、ここに雑然と投げられいる本との格闘だろう。 とりあえず、目の前の本から手をつける。10歳の子供にはちょっと難しいと感じるものがあったが、近くに数冊の辞書があったので、それで語彙を調べながら読み進めていくと案外、面白いものだと、3冊ほどをアッという間に読み終えてしまった。 それでも彼女は寝食を忘れているかのようにカリカリと紙の上で、無心に何かを書き込んでいる。 たまにノートを開き、たまにパソコンで何かを検索しては、また、机上の紙へペンを滑らせていった。自分なりに読んだ本のジャンル別に本棚へ本を戻していく。 都度、彼女を見ると、こちらの存在など、本当にお構いなし、といった感じでカリカリと音を立てている。 目の前にあった限りの本の片付けも4分の1ほど片付いた頃、僕は眠ってしまったらしい。この日だけで、10冊近い本を読破していた。 翌朝、目が覚めると彼女の姿はなく、毛布が一枚かけられていた。 「また、寂しくなったら、遊びにおいで。片付けありがとう!!」 そんな置き手紙と、一緒に合鍵が置いてあった。なんて危機感のない女なのだ、と少々腹立たしく思うものの、その人の生まれ育った環境が影響しているのだろう、とも思った。そして僕のその部屋への入り浸りの日々が始まったのは、それから3日後のことだった。

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