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ジュニアハイスクールにあがって、数回テストを受けるも、しばらくして教師の用意した大学受験用の試験を受けてみたところ、教師に飛び級の試験を受けるように言われ、早く進級したかった僕はテストを受けてみた。 予想外の飛び級と、ティティーの口利きで、特待生として、授業料免除で大学生に突如なったのは12歳の時だった。ティティーが言っていた「ご褒美」というのは、これだったのだ。 空いていた一部屋に僕の部屋も用意してくれた。机にベッド、そして文房具、それだけあれば勉強するのに困らなかった。他に必要なものは小遣いから買い足せばいい。 その間に彼女も、自分の手を抜くことはなく、論文が世界的に評価されていた。 4年間、常に主席をキープするのが特待生の条件だった。 そこからは僕の努力次第だからこそ、僕は必死に勉強をして、仕事もこなして、母の食事を運んで、と、特に忙しく過ごしていた。ティティーの食事も、作り置きをタッパに入れて、好きなときに食べてもらうような生活、と彼女とも、大学では一緒に研究をすれど、生活としてはすれ違うような生活になっていった。 彼女は大学ですでに準教授になっていて、ティティーの元で一緒に研究をすることとなった。 遠慮がない分、資料集めやら教えこまれたことを徹底的に利用する強かさも持ち合わせていたから、僕の努力は必要以上に体力との戦いもあった。けれど得たものも大きかった。 もちろん、大学に通うような年齢ではないから、周りからはいろんな意味で興味の対象となった。 『レディー・リリー』と世の中では言われていたティティーだが、彼女は別の方面でも有名で、そんな彼女のルームメイトだという部分でもかなりの変わり者扱いを受けた。 彼女は天才ではあるが、僕の母以上に性的な部分にだらしなかった。 初めてあの部屋に踏み込んだ時に、わかっていたことだが、大学でも、それはとにかく有名な話で、会話に入らなくても、耳に自然と入ってくる噂は、想像以上にヘビーなものだった。 実際に現場に遭遇したこともあった。難しい計算式が成功したときに性的な興奮をする女だったので、ちょっと人気(ひとけ)のないところで、男を捕まえては、食ってしまう、というのが悪い癖だった。 研究室にもってこい、と言われた資料を届けた際に真っ最中、なんてこともあったから、本当に性質(たち)が悪い。 そして、僕の年齢的なことでも大学では目立っていたが、ドイツ系アメリカ人の母と日本人の間に生まれた混血にしては、特殊な色が出たことについては、研究に値するらしい。 ただでさえ、パープル・アイという部分で珍しさを感じた生物学の連中に捕まって根掘り葉掘り聞かれた。 案の定、生物学の連中からは血液採取をされた。やはり、アルビノであることに間違いはないようだった。アルビノ種の割に髪は白でもなく目は赤でもなかったが、近い色が出たのはやはり特殊な部類に入るらしい。 忙しさに追われただけの4年間の大学生活を終え、やっと好奇の目から開放されようとしたそんなときだった。 僕の進路も大方決まり、普通の同級生はハイスクールにこれから通う年齢の僕が大学院に進むことになった。 やっと、大変だった主席をキープしたままで、大学を卒業した。全教科満点での成績キープは並々ならぬものだった。学費を出すお金のない家庭だったし、学ぶことは楽しかったから、どうにか頑張れた。 この九月から、新たに院生になりながら、研究員として働くことが決まっていた。 同居人の数学オタクは、すでに博士号を取得していて、大学では教鞭をとっていた。その補助をしていた僕も大学院はまだでも博士号を授与されていた。院生以上の功績を出していたからだった。 僕が初めて彼女の名前を聞いた時には、好きなように呼べばいい、といわれていたので、数年経った今でも、彼女のことはティティーと呼んでいた。 「レディ・リリィ」 世の中がそう呼んでも、僕の呼称は変わらない。 僕自身は、彼女の一番のお気に入りの愛人、という扱いを受けていたが、実際に、あのバカ女に乗られたのは一度きりだ。 最初こそ対象外と言いながら、あの馬鹿女がやらかしたのはつい最近のことだ。 夜中に、数式で興奮してしまったらしく、気づいたら、寝ている僕のモノを咥えて勃起させて、勝手に自分へと挿入させ、勝手に動いていた。 その時、初めてだった僕は、対象外だと言ってた癖に、何の同意もなく勝手に童貞を奪われてしまって、確かに気持ちよくて、射精はしてしまった。 が、それとこれとは別問題だ。 「なにしてんだ?てめぇは!!そこに座れ!!」 息を整えた後、夜が明けるまで、徹底的に説教をくれてやった。 それ以来、彼女が僕に手をだしてくることはなかったが、確かに15歳までなれば、童貞を捨ててるやつは多い。 子供には興味がない、対象外だ、と言っていた相手が、寝込みを襲うとは何事だ!!と懇々と絞った。自分の親のこともあり、そういうことを勝手にされた、ということに、酷く腹が立ったのだ。 これから、上司になる教授と女をシェアするつもりもないし、ティティーの本命が教授なのは知っていた。そんな危ない橋を渡る気はないのだ、とはっきり言ってやった。 この女の異例の出世もそこにあるのだから、ルームシェアしてる、と言っても、公私の区別はつけろ、と。 ティティーも純粋なアメリカ人ではない。元々、肌は褐色系だが、顔は整っている。黒い髪に茶色の瞳や鼻筋ははっきりしている、ヨーロッパでも中東に近い方の人種だ。 ジプシーのような美しい容姿をしていて、年齢的なもの、生活スタイル、出会い方が違っていたら、考えなくもなかっただろうが、やっぱり、そういった男女の関係、というものは考えられなかった。 人種差別をする気はない。自分だって差別対象であることはわかっている。ただ、彼女とはお互いの距離間を崩すつもりもなかった。それが心地よかったからだ。 研究室に入って、もう少し稼ぐようになって、母が落ち着けば、実家のアパートメントをもう少し広い場所に移し、母と生活をしていこうと考えてもいた。 そう。まだ僕は精神的にも肉体的にもまだ子供だった。僕の世界の中心には、やっぱり、母親を何とか支えていかないといけない、という気持ちが強く根付いていた。

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