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身元引受け人 1

その東洋人は僕の身元引受け人として、父の代理で渡米してきたのだという。スーツを着こなし、その出で立ちに隙は無い。 その男はファミリーネームを「マシマ」と名乗った。黒髪に黒い眸、きっちりセットされた髪に優等生と言わんばかりの顔立ち、いかにも真面目を絵を描いたような出で立ちだ。 父と祖父の秘書をしている男なのだという。 英語も堪能で、話を聞いてみると、養育権は母にあり、親権は父にあるとのことで、父のいる日本で、僕を引き取りたい、という話だった。声の出ない僕は筆談で、 「少し考える時間が欲しい」 とだけ書いたメモを渡した。 記憶にも残っていない父親がいきなり名乗り出てきたところで、僕は日本語を読み書きはもちろん、話すことも出来ない。アメリカから離れることなど考えてもいなかった。 言葉もわからない、知り合いもいない他国に移住するということは、かなりの勇気が必要だった。クリスには情報が少なすぎた。 彼は面会時間の大半を病室で過ごし、パソコンで仕事をしたり、まだ知らぬ日本の話をたくさんしてくれた。祖父母が健在であること父のこと、僕をのミドルネームの「k」が 「コウキ」 という日本名であること。 日本での姓が「ハギノミヤ」だっということ。 日本で生活をするにあたっては、日本名の「ハギノミヤ コウキ」で生活をすること。 父の厚意は正直嬉しいとは思う。父親がどんな人物か、僕は知らない。 けれど、こんな時ですら、父本人が来る訳ではなく、秘書に迎えを寄越す、というのは、どうなんだろう?と考えてしまう。 はっきり言ってしまえば、母とのあの部屋がなくても、母親がいなくなっても、僕の生活は変わらないのだ。今まで、学費を免除してもらっていた分、ティティーからの小遣いと、今度は研究に携われば、その分の給与が入ってくる。 まだ、未成年だが、研究は楽しかったし、研究途中のものも残っている。 それを投げ出して、日本に行く、というのも何かが違う気がしていたのも否めない。 最初の3日間の眠りと、検査の繰り返しで、移動はベッドごと、色んな脳障害が残っている可能性が低いことがわかると、今度は車椅子での移動生活になり、歩行訓練を始める頃には気づいてみると、筋力がだいぶ落ちていた。 けれど、リハビリを繰り返していくうちに、まともに歩けるようにもなった。 けれど、声を出すことだけは、なかなか叶わず、残った障害はそれだけだった。 退院の許可が出ると、迫られた日本へ行くことの返答の期限も近づいている、ということだった。 ここまで、何も考えてこなかったわけではない。 大学院に通うことも決まっていたし、収入もある。けれど貯金はない。 ただ、一緒にすら住んでいなかった母親が死んだだけの話だ。 もちろん、母を愛してなかったわけじゃない。けれど、愛してもらえていたのかは、今になってはわからない。 ティティーとの同居がここで、大きな問題になってくる。 彼女とは、雇用主と使用人のようなものだ。 もちろん、未成年だけに、何もなくても、何かがあるかと、疑われてもおかしくない状況にそのうちに辿り着くだろう。 実際、大学生活の間、ティティーのペットだという噂は流れ続けていたし、お互いに聞かれれば否定していたが、全員が聞いてきたわけではないから誤解してる人も多々いるだろう。 それをスルーしてきたのも自分たちでもあった。親がいなくなった今、逃げ道が絶たれたのも事実でもある。これから大きく羽ばたく彼女の未来の足枷にはなりたくなかった。 いろいろ考えて出した結論としては、やはり、「マシマ」について、父のいる日本に行くことだった。親権が父親にある以上、日本の法律上、未成年である自分に決定権はないのだ。どちらかの親の保護の元に居なければならない。 成人したら、また、アメリカに戻ってくればいい。そんな軽い気持ちでいた。僅か4年のことだ。 外の世界を見る機会も、なかなかないだろう。 大学に残れ、と言ってくれた教授やティティーには申し訳ないが、母をこんな形で失ったことで、この土地にいることが辛くならないのか……? と思い始めてしまったのも事実だった。 中途半端にしている研究が気にはなるが、彼女は一緒に研究をしていたし、その案件については彼女を信じることにした。 成功すれば、世界に名だたる物理学者になるだろう。論文も半分はティティーのパソコンに打ち込んであったから、あとは結果と結論をまとめるだけだ。 ピルを浴びるように飲んでは、誰彼構わず寝てしまうビッチだが、天才には変わりなかったので、自分の研究を引き継いでくれるのは明白だった。 決して、悪い人間ではないのだ。 少し頭のネジが緩んでるだけで。 この休みが明ければ、僕は彼女とのルームシェアを続けながら、本来なら院生になる予定だった。

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