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空っぽの僕
日本のテレビを見ていると、本当にいろんな番組がある。
驚くほどの集団アイドルやパフォーマンスを売り物にしているアーティストが人気なのだと知るけれど、基本的に群れることをしてこなかった僕からすると、あんな人数の中に入ってしまったら、一人孤立するんだろうと思う。
しかも、それが複数存在している。全員が同じに見えてしまうくらい、メイクが濃い。というよりも、同じようなメイクを施されている。
メイクが濃いアーティストは、たぶんアメリカの方が多いが、それぞれ、個性が強い。
きっと、一人一人は可愛い子たちで編成されているのだろうが、同じ化粧をして、同じような衣装を身に纏った彼女たちは、おもちゃ売り場で見かける着せ替え人形と変わらない。
くるくると踊りながら歌う彼女たちを見ても、なにも感じることはなかった。
けれど、音楽番組は楽しかった。なにも考えず、垂れ流しているだけでも、充分なほど部屋に色んな音をもたらしてくれる。
たまに耳に入ってくる日本語の中に混じる英語の歌詞に、違和感を持つこともあったが、フルで歌詞が英語の曲を歌うバンドが増えていることにも興味深く、曲調も面白い。
正しい英語の発音で歌っているアーティストもいれば、帰国子女なのだろう、国によって独特の訛りがあるアーティストもいたり、すでに発音が間違っていて、字幕を見ないとわからない歌い方をするようなアーティストもいた。
一人きり、つまらない毎日の中で、音楽で何かを表現してみたい衝動が湧き上がる。手始めに通ってみた音楽スクールでは薦められるままにピアノを始めてみた。
ピアノが「NG」のマンションの為、部屋にピアノは置けないので、小型ピアノタイプのキーボードを購入し、イヤホンで練習をしてみるものの、楽譜に合わせて弾いてみるが、やはり、実際ピアノを弾いてみるのとはまったく違い、満足いく音は出せなかった。
練習する場所がないから、自習も兼ねてスクールの空いてる時間に、ピアノを毎日弾かせてくれるようにお願いをして、レッスンを週2回に増やして練習をしていた。
3ヶ月も経たないうちに、有名作曲家の協奏曲を弾けるようになった。
楽譜の暗譜も早く、ちょっと講師がこうしてみたら?とアドバイスを受けると、即座にその通りに弾ける僕を見て、あれも、これも、と、どんどん弾ける曲を増やしていった。
弾くことが楽しくて、そのことで、なんだか自分の存在を主張出来る気がして、ピアノに集中できる時間が一番の素の自分になれる時間になっていた。
最初こそ、ほとんど言葉もわからず、わからない片言と言うよりもスマホの翻訳機能で話をしながらスタートした教室だったが、今では完璧な発音で、日本人と遜色なく話せる。外見だけが、外国人のままだが。
音楽教室の講師の薦めで、あっちこっちのコンクールにエントリーして、最初こそ小さな会場からスタートし、そのうちに、国内にあるコンクールで日本全国を行脚するように、楽しくピアノを弾いていたのに、国内のコンクールを総なめするようになり「クリストハルト・シュミット」でエントリーしていたのもあり、「萩ノ宮昂輝」という名前は置き去りにしてしまった。
「萩ノ宮」には音楽科はない。祖父が納得してくれるとも思えなかったが、萩ノ宮大で勉強をし直す前に、音大に通いたい、と懇願した。
条件つきでOKをしてもらったのが、コンクールのことでもあり、講師自ら、祖父に嘆願に行ったのも理由にあるようだった。
ピアノと英語にはなってしまったが、小論文で音大の受験は問題なく、クリアした。
まだ、日本語で論文が書けるほど言葉を理解しきれてなかったからだ。
そして、大学側も、たった2年弱で国内コンクールを総なめした僕に対して、世界コンクールでの入賞を要求してきた。それは祖父の出した条件の一つでもあり、卒業までにクリアしなければならないミッションだった。
自分で作曲もしたいと思うが、思い浮かぶものなどなにもない。表現はしてみたいが、訴えたい物がない、というのが一番の理由だろう。
今の僕の中には、マイナスの感情が多く存在している。一番の原因は母親との心中事件だった。どうしても、それが表に出てきてしまう。
恋心などという、他人を思う感情を持ったこともない。母親の愛情を受けていた頃の記憶もない。父親に至っては同じ国に来たというのに、会話すらまともに出来ていない。
共感を得る音楽など、作れるわけもない。
それでも、楽譜に指示された通りに演奏すれば、音楽教室の先生たちは感嘆し、褒めちぎってくれる。コンクールで求められるのもその部分だった。楽譜通り正確に。もっとピアノのことを知りたい、と思うようになっていった。
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