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chase after 1
その日、アルノルド・シュレイカーは、自分の指揮者コンクールの参考に、と、いくつかのオーケストラや、ピアノ、金管、木管、弦楽器のカルテットなどの国内外構わずヨーロッパ中のコンクールを足しげく通っていた中のひとつのコンクールで、目を引く男を見つけた。
舞台映えするその容姿に目を奪われた。美しい金色の髪は動く度に銀にも金にもオレンジにも見える。そして何よりその眸、紫の眸が印象的な人物だった。
手元のパンフレットからは、日本の大学に所属した男性だということがわかった。
『……あれは……誰だ?』
思わず口からそんな単語が漏れた。
ここ数年のコンクールでは見たことがない。それに、名前が日本名ではない。聞いたこともない名だ。
パンフレットを開いて、確認していると、経歴がやけに短い。しかし、実績は確かなものだった。
『クリストハルト・シュミット……ピアノ歴がこれしかないのか?……面白い逸材だねぇ……』
そばにいた男に、クリストハルト・シュミットの素性を調べるように伝えて、ステージに集中した。
子供の頃からピアノに慣れ親しんだ者でも、国際コンクールへのエントリーは、なかなか出来ない。それなりの成績を持った者だからこそ、この舞台に立てるのだ。
しかも国外のコンクールに突如出てきて、入賞をかっさらっていこうとしているいわば荒らしに近い状況だが、それに文句を言われないくらいの技術は確かにある。
芽吹いたばかりのピアニストに興味は深まる一方だ。
『……まだまだ、育つな。』
ニヤリと口角が上がる。この男に自分の作った曲を演奏させてみたい。そんな衝動が沸き上がってくる。
……それに、あの綺麗な顔を歪ませて、啼かせてみたい。
その為には、なんとしても自分の名前を売らなければならない。今年のコンクールには入賞しなくては。
今日の顔ぶれからすれば、上位に入るであろう舞台の上の人物に、すっかりと、心を奪われてしまった。
恍惚とした表情で演奏をしている姿を見ている限り、かなりの余裕があるのだろう。
ーーいい表情だな。
この目の前の人物が無性に欲しくてたまらなくなった。
絶対に手に入れてみせる……
そう思った時、彼の演奏が終わる。それと同時に一人の女性が席を立った。アルノルドの横をすり抜けていくときに、その女性の顔がはっきりと見え、足元を見ながら微笑んでいた。
『物理学者のティティ・シア・カサブランカ?なんで彼女がこんなところに?』
彼の演奏が終わると同時に離席した、ということは、彼の演奏を聴きにきたのだろうか?
すれ違い際の彼女の表情は、明るかった。というより、嬉しそうだった。
アメリカにいるはずの女性が何故ポーランドに?という疑問が湧くが、そのあたりも調べたほうがいいかもしれない、と思ったが、側近は、かなり優秀にその理由を翌日に報告してきたのだった。
自分の側近であるヴァルターが、1日で調べ上げたデータに目を通しながら、アルノルドはその速さに、いつも関心する。優秀なSS であることも確かだった。しかも、かなり詳細に書かれている資料だ。
『ほぉ……これまた複雑な生い立ちだ……』
クリスは、私生児として生まれ育ち、母親は売春婦で、その母親はまともな子育てをしてきていなかった。
小さい頃は夜、出歩き、悪友と窃盗、傷害事件を起こした経験もあるが、中学生の頃に飛び級で大学へ特待生枠で、入学していた。
しかも音楽ではなく、物理学科で、だ。
世界的に高評価された実験、論文を発表したティティ・シア・カサブランカとルームシェアをしていて、そこから色んなことを吸収したようだ。そこで、ようやく、昨日のことが繋がった。彼女の元で4年間、成績は満点首席で卒業をしている。
大学卒業と同時に、母親が彼と心中事件を起こし、母親が死亡。クリスは一命を取り留め生き残り、実の父親である萩ノ宮昂一の元に引き取られた。
大学へ残る道も選べたようだが、彼はアメリカを離れ、言葉もわからない国へ旅立ったという。言葉を学びながら、ピアノを習い出したようだった。
何をやらせても、なんでもこなしてしまう天才児であったことは間違いないようだ。
ピアノを始めて間もない状態で、あちこちのコンクールにエントリーしては、1位をかっ攫い知名度をあげていった。
すでに日本でも国際コンクールで1位を数回取っていて、そしてポーランド……
まだ、ロシア、アメリカ、イタリア、スイスなどの国でのコンクールはあるが、まだまだ伸びしろのある彼はどれに出ても1位とは言わずとも入賞するだろう。
彼をオーストリアに呼んで、徹底的に育てたい、そんな思いがあったが、彼は萩ノ宮学園グループの長男の嫡子だ。
一筋縄ではいかないかもしれない。
案の定、彼を快く思っていないはずの祖父、萩ノ宮の学園長に、ことごとく妨害されるのだった。
『アレに学園の運営を任せる気はないが、理事には名を連ねてもらう。我が校には音楽科はない。今後も作る気もない。アレは物理学で大学も出ているし、まだ若い。
キミのことは知っているよ。ワシには優秀な孫は少なくてな。うちは同族経営なだけに、貴重な存在になる。キミの毒牙にかけるわけにはいかないのだよ。』
学園長の長男であり、クリスの実父である昂一には、この学園長の末端秘書の真嶋という男の恋人がいる。
一部の間では、昂一がその真嶋という男に溺れているのは有名らしい。
長男にこれ以上の跡取りが望めない今、彼の姉や妹の子供の才能を望んだが、経営を任せられるような、男子にも女子にも恵まれなかったようだ。昂一の姉夫婦も、妹夫婦も、その子供たちですら、用意された椅子に胡坐をかくような連中ばかりなのも確かなようだ。人間誰しも楽な道が用意されていれば、そこを通りたい、と思うだろう。
運営方針の食い違いで、娘婿たちとの折り合いも、それほど良くない所為もあり、ピリピリしていてもおかしくはない状態だが、諦めてやるつもりもさらさらない。
父親が同性に溺れてるなら、息子を引きずり込んでもそれもまた、血筋だろう。
『ふっ……僕は何としてでも彼が欲しいんだよ……彼らの意思など知ったことじゃない……』
欲しいものは絶対に手に入れる。
こんなに他人を欲したことはない。
長期戦になっても構わないと、思わせてくれた存在になっていた。
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