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萩ノ宮 0

きっと、こちらが手を回したことなど知っているであろう祖父にささやかな抵抗として教員免許取得の話はしていない。オレにとってはあってもなくても変わらないもの。 ただ、ピアノはたまに弾きに行かせてもらう。以前のようにはいかないけれど、どうしても心が荒んでしまった時にはピアノの音はそんな心を落ち着かせてくれた。 国語と呼ばれる日本語の勉強ではなく、歴史を選んだ理由は語学学校時代を思い出すからだ。 ただでさえ文法なんてものが必要か?と問われれば会話においてはそれほど必要ない。 それに古文なんて入ってきたらそれこそ訳が分からなくなる。そういうのは好きなやつがやればいい。 日本史もいざ始めてみると、それほど面白いと感じるものではなかった。 戦の繰り返しで○○の改新やら、○○の変の繰り返しで、何かが大きく変わったことを暗記していけばいいだけで、その暗記が出来ずに悩む者、時代がごっちゃになる奴と様々な人間が周りにいたが、過去に起きたことは何も変わらないのだから、これから何かをしようとする、ということがない分、授業を聞いていればある程度のことは頭に入ってきた。世界史においてもそれは変わらない。 サムライとかカタナとかニンジャとかが好きな海外勢がいるが、授業を聞いてる限り、それほど憧れるものとは思えなく、どこの国も同じだと思うが、日本もそれなりに戦闘民族であることに変わりはなかった。 今の平和な世の中は『お国の為に』と命を投げ出してまで自らがミサイルになる形で散っていった『特攻隊』のような人間を恐れたアメリカからの法改正が最も強く現れた結果だということだった。アメリカが恐れた、と言うよりも大きな争いを避けるためだろう。 実際、原爆を作った街では、『日本への原爆投下が正しかったのか?』という疑念の声が上がっている。日本で言うZ世代からその意見が否定的になっている統計も出ていた。 編入してからすぐに4年分に使う教科書を取り寄せ読破した。 3ヶ月後に1年2年で受けるテストを全て受け、満点で返ってきた。3年の最初の試験がまもなく行われるが、理系に関しては大学は卒業済だし、選択として芸術面でも音楽も必要なく、ただ、文系についてのみの試験となる。 古文に関してはちんぷんかんぷんだが、コツさえ掴んでしまえば訳すのは簡単だ。日本史についても現代史まで頭に入っているから勉強の必要がない。 世界史についても本を読んでいた。残虐さで言えば、日本も世界も変わらない。公開処刑やらさらし首などがいい例だろう。それを見て喜ぶ人種がいること自体が海外勢の趣味の悪いところだろう、と感じる。 ナチス・ドイツやユダヤ人迫害などはその歴史の中でも現代史に近い方だ。第二次世界大戦から70年以上が経過してようが、何千年前からの歴史を振り返ればわずかな時間だと思う。人間が生きていられる時間は限られていて、その時間を人が生きられるのか?と問われればそれは『NO』だ。だが、記録として残っているものなのだから、記録に残されている部分は脚色されていようが変わりようのない事実だ。 その裏では涙する者も多かったことだろう。争いごとの被害者は、その争いを起こした人物ではなく、一般人が大半を占めるからだ。それは今も昔も変わらない。一兵卒が先陣を切って敵を倒すか、自分がやられるか、の命懸けの戦いを強いられているのだから。

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