19 / 134

萩ノ宮 0.5

今現在も続いている紛争についてもそうだろう。戦いを仕掛けた人間は高みの見物をしているが、己の保身だけはしっかりしている。 この時代に一般人を巻き込んで、更には双方が相手側が悪い、と責任のなすりつけあいをする幼稚な話があるのだから逆に恐ろしい。土地の利権問題で争っているのは現在進行形の話だ。 爆弾を投げるという時代錯誤なことをして、日本に落とした原爆の100倍はあるという大きく作りすぎた核弾頭を載せれる飛行機が存在しない、などという情けない話もある。そんなものはさっさと解体してしまえばいいのに。 サイバーテロだ、アノニマスだ、とデジタル産業がなければ成り立たない時代に戦える人材がいるのに、そこでの戦いは少ない。 ひとつの機能が停止するだけで身動きが取れなくなるにも関わらず、その方面での争いはあまり表沙汰にはなっていない。 内戦の絶えない地域でも、宗教戦争とは言うものの、その宗教にそんな教えはない、という世界各国にいる信者の意見もあれば、神の言葉を聞くことが出来る、という人物が自分たちの国を作る、と争いごとを起こしているのだから、どちらが真実なのか、同じ宗教でもわかったものではない。 どの宗教にも言えることだが『神』と崇めているのは元々存在した、と言われる人間だ。『仏』についてもそれは言えるようだった。日本の神社に祀られているのだって、人間としての名のある人達ばかりだ。靖国神社に至ってはA級戦犯と呼ばれる人達が祀られている。 『俺が神だ』と言うやつがたまにいるが、あながち間違いでは無いのかもしれない、と思うこともある。その人が神社に祀られるだけの所業を成し遂げた暁には、という言葉付きではあるが。歴史に学ぶものに楽しいものはそれほど見いだせない。『1人を殺す人間は殺人犯で大量に殺す人は英雄』なんて言う時代もあったようだが、どちらもダメだろ、と思う。 銃口を向けられたことがないからそんなことが言えるんだ、と。 銃社会の一員として生きていれば、自分の家にはなくても、誰かの家には銃はある。マフィアだっているし、警官だって銃を装備している。 子供同士の喧嘩に銃が持ち出されることだってある。すでにあの暗い銃口を3度見た事のある自分にとって、今、生かされてるのは悪友のおかげである。彼がいなかったら、すでに撃ち殺されていただろう。母より先に命が絶てていたなら、母は悲しんでくれただろうか?自由になったと喜んだだろうか? 元々、彼女をなるべく自由にするために家から距離を置いていたのだから、食事を持ってきてくれる人、くらいの認識でしかなかったはずなのだが。世話をかけたのはティティーの家に入り浸るようになる10歳までの10年間だけだ。それでも、その10年にやっと追いついたくらいの年齢にはなれた。 『愛情』『無償の愛』それが欲しくて仕方なかったはずなのに、それを与えてくれる人間はいなかった。 見た目で勝手に『好きです、付き合ってください』と言ってくるやつはいたが、自分にとっては初対面。知らない人と本気で付き合えるほど警戒心は低くない。『告白』と呼ばれるものは全て断った。見知った相手でも構ってあげる時間が取れそうにないから、と断った。 だから一夜限りの相手なら、と条件付きで相手をすることはあっても、本気になれる相手とは巡り会えていない。本当の自分を隠した時だけ、その誘いに乗ることにしていた。 アメリカで嫌というほど恋愛関係については周りを見てきたからこそ、本当に好きになれる相手を探したかった。 思いの外、歴史というのは自分の気持ちを陰湿にさせるには十分な素材が揃いすぎていた。 そんな時に見つけたものに、平和な心を取り戻すことが出来る上に、この歴史の裏側がわかる、という資料を見つけた。それは本を読むよりも時間がかかるが、心の平穏をもたらすには十分な程にほのぼのしていた。

ともだちにシェアしよう!