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萩ノ宮 6
翌日の放課後にあの教師に呼ばれた第1音楽室には、先に小川葉香が先に来て、練習曲と思われる曲を奏でていた。
防音がしっかりされた第1音楽室の二重ドアを開ける音で気付いた彼女は、振り返り、ニッコリと微笑んだ。
「あなたが、真嶋恵理子さん?初めまして!!あなたのおかげで、アイツがセッションしてくれる気になってくれて嬉しいわ!!本当にありがとう!!コンクールに追われて忙しかったのもあったんだろうけど、もう、大学時代から断られ続けてて、そのうちにここに編入しちゃうし、ちゃっかり首席で飛び級してるし、もう驚きの連続よ!!」
「先生とはどのような関係なんですか?」
「S音大の同級生よ?と言っても2年間だけだけどね。家庭の事情でここに編入することになったはいいけど、その後に受けるはずの試験全部受けて、オール万点で4年居た誰よりも高成績で事実上の主席で卒業よ。大学にも貢献したからそれでもいいのかもしれないけどね」
手を握りながら、本当に嬉しそうに微笑む。
ーーS音大に貢献した?
また、謎の言葉が出てきた。恵理子は複雑な気持ちになりつつも、見下してやろうと思っている相手の意外な話に、大喜びをしている、憧れの人に、何も言えなくなってしまった。目指しているS音大の先輩ということにもなる。
コンクール?首席?飛び級?編入?あの男の過去は疑問形ばかりだ。日本には飛び級制度は基本的には無いはずだ。なにか大きな理由があれば特例はあるのかもしれないが。
それが弱みになるのか分からなかったけれど、とりあえず様子を見ることにする。ヴァイオリンのチューニングをしていると植田が入ってくる。
「小川さん、あれのどこがいいんですか?」
思わず口をついてしまった疑問に彼女は盛大に吹き出してから、大爆笑したのだった。
そう、大笑いしたのは恵理子ではなく、葉香の方だった。
「アンタ!!なに!!それ!!何その色?!何その前髪!!別人じゃん!そこまでして、何になりたいの?!」
口元で『しー』というポーズをとりながら、
「うっせぇな、こっちにも事情ってものがあるんだよ。電話で説明しただろうがよ。そこまで笑うことないだろ。」
「だって、みんなの憧れのクリス様が、こんなになってるって知ったら、それこそ、ファンクラブの連中が、こぞって泣くわよ?それなに?髪は染めてんの?」
もう、ヒーヒー言いながら涙目になって笑っている。
「――っとにうっさいなぁ……言わねぇよ、秘密だよ。それに、ファンクラブってなんだよ、そんなもんねぇだろ。オレはここでは『植田昂輝』って名前があるんだよ。そっちの名前で呼ぶなって昨日言っただろうが。」
――クリス?クリス様?ファンクラブ?
もっさり教師に繋がらない言葉の応酬に首を傾げながら、1度戻してしまったヴァイオリンを出して恵理子は支度を整えた。
「昨日も話したけど、オレさ、今、英語の先生やってんの。だから暫くピアノには触れてねぇんだよ。とりあえず指慣らしの練習させてくんね?それでも鈍ってたらごめんな。とりあえず先に1曲指慣らしさせてくれ」
ピアノの蓋を開けながら、一本指で音を確認する。調律されてるかどうかの確認作業だが、傍から見たらそういう風にしか弾けない人にしか見えない。
「それよりもさぁ、元に戻しなさいよ。せっかく、そのありがたい容姿を拝みに来たのに、誰にも自慢も出来ないし、つまんないじゃない!!女子の高嶺の花はどこに消えたの〜?写メって帰ろうと思ってもそれじゃ誰だかわかってもらえなーい」
植田はその言葉が心底イヤなのか、チッとわざと大きな舌打ちをして、
「イヤだね。あの容姿で、日本名を名乗ったら、それこそおかしいだろ。それに、家庭の事情があるって言っただろ?これからほかの先生方も来るのにそんなこと出来るわけねぇだろ。
おまえは生粋の日本人なんだから、日本語で言ってるオレの日本語を理解しろ。それとも日本語がわかんねぇって言うなら、英語で言い直してやろうか?学校では地味な英語の先生でいいんだよ。
そんなことより、語学、演奏家になるなら英語が必要になることをこいつに教えてやってくれよ、オレの言葉じゃ聞きゃしねぇんだよ、コイツ」
教師としてではなく、友人としてのやり取りの植田はこの上なく口と態度が悪い。慣れてるのか葉香も気にする様子も全くない。
「今回のとこは黙っておいてあげる、交換条件じゃないけどせめてその伊達メガネくらいは取りなさいよ。太陽光の届かない室内だしね。なんでそんなもんかけてるのよ。前髪も長すぎて顔隠れちゃってるしぃー、残念すぎるじゃない。」
渋々と前髪を掻きあげながらメガネを外した顔は、モッサリとしたイメージからはかけ離れ、鼻筋の通った、一見、女性に見間違うほど、綺麗な顔をしていた。と言うよりも日本人離れした顔だ。下手をすれば、恵理子よりも女性的で美人かもしれない。見た目はやはりかなり若い
「なに?カラコンまで入れてるの?まつ毛はマスカラ?眉毛だけ地毛って眉毛ないみたいだよ?それにしても徹底してるわねぇ。」
「日本の日差しはオレの目には良くないんでね、ここじゃ新任の先生なのに堂々とサングラス出来ねぇし、眼球守る為の保護フィルムだ。まだ、失明もしたくねぇんだよ。スマホの画面に割れないようにって貼り付けるだろ?あれと同じだ。メガネもUV仕様だ!!」
ため息混じりに、葉香がつぶやく言葉も、返す植田の言葉も恵理子には意味がわからない。大学時代はサングラスをかけて過ごしていたことくらいはわかったが。メガネのUV仕様をドヤってる意味もわからない。
けれど、深く気にしている余裕は急激になくなった。
ピアノをひらいて、指慣らしに、と、椅子に座って右足をペダルにかけると突如、植田がショパンの『エチュード10-4』を力強く、見事に弾きだしたからだった。
指慣らしにしては早すぎる指の動きと、鍵盤の上を縦横無尽に動き回る指に唖然とする。
それをさも当たり前のように、歌うように弾いている目の前のこの男は誰だ?
バカにするどころかレベルが違う…………!!
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