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萩ノ宮 13

「……え?……だって、苗字が……」 確かに、萩ノ宮昂一は、中等部での英語教師だ。恵理子も授業を受けたことがあるが 「そっ。植田は祖母の旧姓だそうだ。だから戸籍上の苗字は萩ノ宮だ。オレはこれでもハーフでね。事情があってここにいる。まぁ、その辺はプライベートということで。」 これ以上は聞くな、と無言で告げる。 「悪くはないが、そのヴァイオリンでの一芸入試をするなら、もっと技術を習得した方がいい。生業にしたいなら、語学は必須だ。 コンクールには出てるか?コンクールへの参加は損はないし、ほかの人の演奏を聴くことも学びになる。受賞歴があるなら、学校に報告をしろ。少しでも受験を有利に進めたいだろ?学校ってところは肩書きがある方が有利に動く。その分受験も楽になるしな。 それにおまえ、一般受験出来ないだろ。一般受験にはピアノが必須になるからな。 国内の楽団に入れても、海外からの楽団の人間もいれば、海外公演もある。ソロで呼ばれればなおさら日本語以外を喋れないのは致命的だ。だからこそ、語学は必要になる。 どこの国の言葉でも、覚えておいて損はない。そういう意味では、日本の学校が授業として学ばせている英語は、特に覚えやすいものだから、これからはちゃんとやれよ?」 恵理子の、口をあけたままの、間抜けな表情に、ニヤリと笑いながら、また口元に人差し指を立てて「オレのことは他言無用な」とも付け加えた。 そう言って、ヒラヒラと手を振りながら、 「あまり遅くなると爺さんが不機嫌になるからそろそろ行くわ、あ〜憂鬱……」 心底嫌そうな声を出して植田は音楽室を出ていった。 「By the way…. Is it the complaint of the old man from now on?…Do not be depressed…」 (さて…これから爺さんの愚痴かぁ…滅入るな…) 呟く独り言も、真嶋と会った所為もあってか、しゃべり慣れた言葉になってしまった。そう実感しつつ、重い足どりで理事長室へ向かう廊下を歩き始めた。 恵理子が片付けを終えて教室に戻ると、心配そうに親友の中村聡美が駆け寄ってきた。 「どうだったの?」 慌てふためいているのは、恵理子ではなく聡美だった。彼女のそういったところが憎めなくて好きなのだけれども。 「惨敗だったわよ。プロのヴァイオリニストと比較されたんだもん。酷いもんよ。それにあの植田、ピアノ、プロ級よ。すごかったわ。」 「あ〜〜ん!!ずるーい!!私も植田先生のピアノ、聞きたかったかも〜!!」 聡美は植田の数少ない崇拝者の一人だ。 「傍で聴いてる分には、すごいけど、セッションするなんて地獄だわ。本当〜、これからヴァイオリンも英語も手が抜けないわ。」 英語は苦手分野なだけに、かなり気は重たいけれど。 「一緒に頑張ろうよ!!植田先生の授業、かなりわかり易くやってくれてるから、コツさえ掴めば、大丈夫だよ!!」 ――本当、聡美は植田信者だわ… 食い気味に言う聡美に、恵理子は、がくりと肩を落とした。

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