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萩ノ宮 17
ポロン、ポロン、といくつかの鍵盤の音を確かめてから、手始めに弾きだしたのは、ショパンの子犬のワルツ。
誰もが耳にしたことのある曲だ。
軽快な音に、ペダルを踏む右足も弾む。
音も良く、弾きやすい。自分の世界に入り込むには、うってつけの弾き心地だった。
なんのために、ここにピアノがあるのか、が、疑問ではあったが、居心地のいい空間になったことは間違いない。
そのまま、ベートーヴェンの「テンペスト」を弾き続ける。穏やかなようで、激しい曲だ。
嵐の強弱が、見事に表現されている。
放課後のテストの時の熱が、未だ冷めやらないのだと思い知る。ピアノの音が心地いい。
こうやってピアノを弾いていると、音楽への未練が溢れ出てきそうになる。
抑制されてるからこその、抵抗なのかもしれない。この理不尽な状況で荒んだ気持ちが晴れていくような気がする。
ピアノと向かい合う時間が好きだ。
数式と対峙するのとは違う感覚。時に柔らかく、時に強いその音色に魅入られる。
昂輝は夢中になって弾いていた。人の気配など全く感じないほど、集中していた。
まもなく曲が終わろうという頃、かたんっ、と言う音が耳に届く。その音に、身体が強ばり、指が止まる。
「Who?!」
(誰だ?)
反射的に激しく声を上げるが、自分がどの言葉を発してるのか、わからなくなるほどの動揺を見せてしまった。
「……もっ、申し訳ございません!!」
まきなが申し訳なさそうに、ドアの向こうで頭を下げた。
「……あぁ、すまない。つい、夢中になってしまっていたから、驚いてしまって……」
激しい動揺に、少しくらりとした頭を、クリアにする為、無意識に額に指を当てる。
「19時には、ダイニングに来られるとのお話でしたのに、いらっしゃらなかったので、お呼びに参りました。
昂輝さんは、ピアノがお上手なんですね。
とても素晴らしかったです。」
「ありがとう。」
彼女の『作り上げられたような』微笑みに、同じ微笑みで返す。
この状況下で何も聞いてこない彼女に、昂輝は少し首を傾げた。
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