36 / 134

萩ノ宮 17

ポロン、ポロン、といくつかの鍵盤の音を確かめてから、手始めに弾きだしたのは、ショパンの子犬のワルツ。 誰もが耳にしたことのある曲だ。 軽快な音に、ペダルを踏む右足も弾む。 音も良く、弾きやすい。自分の世界に入り込むには、うってつけの弾き心地だった。 なんのために、ここにピアノがあるのか、が、疑問ではあったが、居心地のいい空間になったことは間違いない。 そのまま、ベートーヴェンの「テンペスト」を弾き続ける。穏やかなようで、激しい曲だ。 嵐の強弱が、見事に表現されている。 放課後のテストの時の熱が、未だ冷めやらないのだと思い知る。ピアノの音が心地いい。 こうやってピアノを弾いていると、音楽への未練が溢れ出てきそうになる。 抑制されてるからこその、抵抗なのかもしれない。この理不尽な状況で荒んだ気持ちが晴れていくような気がする。 ピアノと向かい合う時間が好きだ。 数式と対峙するのとは違う感覚。時に柔らかく、時に強いその音色に魅入られる。 昂輝は夢中になって弾いていた。人の気配など全く感じないほど、集中していた。 まもなく曲が終わろうという頃、かたんっ、と言う音が耳に届く。その音に、身体が強ばり、指が止まる。 「Who?!」 (誰だ?) 反射的に激しく声を上げるが、自分がどの言葉を発してるのか、わからなくなるほどの動揺を見せてしまった。 「……もっ、申し訳ございません!!」 まきなが申し訳なさそうに、ドアの向こうで頭を下げた。 「……あぁ、すまない。つい、夢中になってしまっていたから、驚いてしまって……」 激しい動揺に、少しくらりとした頭を、クリアにする為、無意識に額に指を当てる。 「19時には、ダイニングに来られるとのお話でしたのに、いらっしゃらなかったので、お呼びに参りました。 昂輝さんは、ピアノがお上手なんですね。 とても素晴らしかったです。」 「ありがとう。」 彼女の『作り上げられたような』微笑みに、同じ微笑みで返す。 この状況下で何も聞いてこない彼女に、昂輝は少し首を傾げた。

ともだちにシェアしよう!