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chased 2
誰も好きになったことなんてなかった。けれど、教師として接していたはずの生徒に恋をしてしまった。自分のファンだった、と言われて嬉しくないわけはない。
最初は少し気になった程度だったけれど、そのうちに彼女のことしか考えられなくなった。
そして、その初恋の相手も手に入れたと思ったら、また、愛する人を失ってしまって、もう、何も考えられなくなって、衝動的にパスポートと財布だけを握って、アメリカに戻ってきてしまった。
空港で持っていた現金を換金して、電車に乗る。長く揺られる電車の中で、ぼんやりと周りを見渡すと、懐かしい光景が広がっている。この国には色んな人種がいるが、白人、黒人、東洋人もいれば、ヨーロッパ系の人だって珍しくはない。が、普段の生活が日本人の中、という生活を10年近く過ごしてきたのだ。アメリカ人の中に紛れて電車で移動する、ということがすごく久しぶりで、自然と、気持ちが落ち着いてきている気がする。
帰る場所なんてない。母もいない。ティティーもいない。もう、地元に戻ったって、知り合いはいても、帰宅する家もなければ、「おかえり」と、迎え入れてくれる人もいないのだ。
昔の悪ガキ仲間の一人の父親が経営している店へ、とりあえずは向かうことにした。
店に到着して、迎えいれてくれたのは、彼の父親ではなく、彼、本人だった。
「久しぶりだなぁ。おまえ、本当に変わらない!!元気だったか?」
故郷のバーに入って、悪ガキ仲間のボス的存在だった、ダニーとハグをする。こっちも大きくなった、と言われたが、彼もすっかりと、貫禄のある大人の男になっていた。
それはそうだ。彼とつるんでいたのは10歳の頃なんだから、お互いに成長はしているだろう。
彼は、実家のバーを引き継いで、立派にマスターをしているようだった。
「別れも告げず、突然、この街を出てちゃって悪かった。まだ、ここには、来たばかりなんだ。一番にダニーに会いたかったから、寄らせてもらったよ。ここに来れば、親父さんに会えると思ってたけど、もう、ダニーが立派にマスターだな。」
ダニーは、人の良い笑みを浮かべ
「一番に会いに来てくれて嬉しいよ。親父は、事実上の引退だ。病を患っていて、今は隠居させてるよ。そうだ。紹介するよ。」
そう言って、ひとりの女性を呼び寄せた。
「妻のハンナだ。」
「初めまして。ハンナです。」
五人目を妊娠中という、お腹の大きな彼女は、横にも十分な貫禄を持っていた。
「初めまして。クリスです。」
お腹に気を使いながら、ハグをした。
そこまで、警戒しなくても大丈夫、と笑われてしまったけれど。
少し年上のダニーは、昔から、頼りがいのある兄貴のような存在だった。
それは、離れた今でも、変わることなく、最初に会いに来ようと思ったのも、その気持ちが強く残っていたからだろう。
以前よりも優しい顔立ちになった、兄のような存在の彼に、懐かしさを感じつつも、時の流れを実感した。
「それにしても……ほじくり返すことではないだろうけど、おまえも災難だったな。」
彼のことだから、一部始終の内容を把握しているのだろう。
「運良く生き残ったけどね。日本に父親がいてさ。そっちに引き取られたんだ。」
「確かに未成年ではあったけど、あの時のおまえなら、別に親を頼らなくても、生きていく方法はあっただろ?」
そう。ティティーとルームシェアをしていたし、小遣いも、もらっていた。生活にだって困りはしなかったし、院生になることも決定していたのだから、ダニーの言い分も、もっともだったのだが……
「さすがに、精神的ダメージは大きかったからね。とにかく、現実から逃げたかったかな。あの時は声を出すことも出来なかったんだ……」
「気持ちは、わからないでもないな。オレはここにしか居場所がないから、逃げることが出来ないけど、多感な時期だったしな。
それに、オレには守るべき家族も出来ちまったから、人間丸くなっちまったよ。
あ、そうそう、おまえのおふくろさんの墓は…」
母と、ティティの墓の場所を教えてくれる。
「なんで、ティティーの墓の場所まで知ってるんだ?」
「オレを誰だと思ってる?」
とダニーは笑う。ダニーの裏の顔は情報屋だ。墓の場所を調べることくらいは些細なことだった。
「それと、これは、まだ、噂の域を出ない話だが、北欧のマフィアが、この街に入ってるらしい。イベントがあるわけでもないから、騒ぎを起こすため、って訳でもないだろうが、気をつけるにこしたことはない。墓参りもいいが、気をつけろよ?」
「ありがとう。気をつける。また、寄らせてもらうよ。兄弟。」
「おう!またな。」
ダニーの言うマフィアがうろついていたとしても、自分には関わる理由がない。久しぶりに歩くこの街を満喫し、母とティティーの墓に添える花を買うべく、花屋へと脚を向けた。
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