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Inverse view 16
時差ボケの所為もあり、昼夜関係なく、アルノルドと求め求められ、だらしなく過ごしていた所為か、時間の感覚がおかしい。スイートルームのフカフカのベッドの上に、ぬくぬくと寝そべっていた頭がクリアになってくる。
目が慣れてきて、そのままの状態で、室内を見回す。
また、深夜なのか、あたりは暗くベッドルームには、仄暗い間接照明の明かりだけが、やんわりと、部屋を照らしていた。
隣に手を伸ばすが、ベッドの隣にアルノルドの姿はなかった。いつも抱えられるように抱き合って寝ているのに、今日はその体温すら感じない。長い時間そこにはいなかったことになるくらいに体温の欠片もなかった。
ここ数日間のことではあるものの、いつもアルノルドが眠っている場所に、体温は残っていない。そのことに少し、寂しさを感じている自分が滑稽だった。
誰と寝ても深く付き合ったのは1人だけ。そこに温もりを求めたことなど1度もない。聡美以外の相手はやることを済ませたらその場で解散だったし、たいがい誘われて数回ヤッたら自然消滅の繰り返しだった。友達とは寝たことはない。アルノルドの言うように他人への興味は薄かった。紫の眸を知ってる遊び相手もいない。
他人のぬくもりを求める時がくるなど、思ってもみなかった。聡美にも、そこまでのぬくもりを求めたことはない。
親公認で付き合いだして、旅行に行った時だけは、2人で抱き合って眠ったこともあるが、病気になってからは躰の関係はなく、2人で話しをしながら、なるべく身体に負担をかけないように、包み込むような眠りに着いた。
病気がみつかるまでの3ヶ月と少しだけ、たった数回、両手で数えられるほどしか抱いていないのだ。あの頃はただ、一分一秒でも長く一緒に過ごせたら満足だった。けれど若い分だけ病気の進行は早かった。
そんな自分が、ここにない体温を寂しいと思い、そこに体温の痕跡がないことが、こんなに不安になるものだとは知らなかった。いつからこんなに弱くなった……?
一人で眠ることには慣れていた。最初に肌を重ねた時から、彼の腕の中で眠り、腕の中で目覚める、という繰り返しを刷り込まれているのだろうが、きっと『彼』は特別なのだ。
これ以上の『特別』になってしまったら…?
……失った時の苦い思いが、胸をよぎる。
けれど、彼はクリスより一秒でも永く生きると言った。その言葉に縋りたいのも事実だった。
失うことへの恐怖が他人への執着を失わせていたのだと今更ながらに思う。だから手軽にお互いに都合よくいられる相手としか寝てこなかった。それが出来たのも大学生までの間だけだ。夜遊びが出来た間だけ……
ふと、僅かに開いたドアの隙間から、一筋の光が漏れてきていることに気付いた。
どうやら、アルノルドは、そのドアの向こう側で、誰かと会話をしているようだった。
「……賭けは僕の勝ちです。ちゃんと了承してくれましたよ?……それは、貴方も同じでしょう?話し合いのチャンスを欲しい、ともお伝えしていたはずです。
だから僕は自らそちらに行ったじゃないですか。それを邪魔してきたのも、意図を持ったものだと気づいていないと思いましたか?彼を閉じ込めたのは貴方でしょう?
僕がどれほど貴方に失望したかわかりますか?
それはそちらの都合でしょ?その都合を本人の意思とは関係なく話を進めることはもうやめていただけませんか?
貴方に口出しも邪魔もさせません。僕がどれだけ業を煮やしてこの時を待ち焦がれていたと思ってるんですか?貴方とは、もう、5年以上もこんなやり取りをしてきましたが、僕がこのチャンスを逃すとでも思っていましたか?」
――……賭け?
その言葉は、英語。彼の国籍地は、ドイツ語圏のはずだから、国の人間ではないだろう。
「……最初に邪魔をしてきたのはそちらです。僕だってきちんと話した上で決着をつける予定でしたよ。あなたが邪魔さえしなければ。
けれど、もう形振りなんて構ってられませんね。焦らされた時間の重みを知ってください。
僕はどんな手を使ってでも、必ず『Yes』と言わせますよ。貴方が邪魔してくれたおかげで充分過ぎるくらい準備をすることが出来ましたし……ね。
僕が、なんの為にこんな時間に電話をしてると思ってるんです?こちらはまだ真夜中なんですよ?……時差を考えてください。
え……?えぇ、もちろん美味しくいただきましたよ。今、手の届くところにいるんです、当然でしょ。僕は今、最高に幸せですよ。
僕はもう、昂輝さんの虜です。貴方になんと言われようと僕は彼を愛してますから、手放すわけないでしょう?
心優しい彼の為に穏便に物事を進めたいのでね。先に貴方に報告を、と思いまして。」
――時差のある場所にいる相手……?しかも、直接アルノルドに『昂輝』と呼ばれたことはない。昂輝の名前で話をするなら、相手は日本人、ということになる。
まさか日本の父と話してる?いや、父はそんなにクリスに対して口を出してくるタイプではない。アルノルドと接触するな、と言ったのは『祖父』だ。
重たい体を引き摺り、バスローブを羽織り、寝室からリビングへと続く扉そっと、開いた。
気配に気付いたのか、スマホを片手にアルノルドは振り返り、ふわっと、優しく微笑んだ。
一度視線をはずし、変わらずきつい口調でその電話の終わりを告げた。
「彼が起きてきました。この話は改めて。」
電話の向こうで、喚くような怒鳴り声を他所に、うるさいと言わんばかりに、耳を離して、ピッ、と音を立て、手の中のスマホの通話を切った。
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