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Inverse view 27
「……ミヨ……」
祖母のミヨがマキナに手を引かれ、ゆっくりと応接間に入ってきた。マキナの行動の速さに違和感を感じる。
少し前まで殴り飛ばされた自分を受止め床に座らされ、気付くと今度は祖母の手を引いているのだ。マキナが2人いるのではないか?という速さだ。
「昔とは、時代が違うんです。男女の結婚だけが、全てではないんです。確かに、現状では、萩ノ宮は世襲制ですけど、これから先、身内経営だけでは、学園の運営は成り立っていきませんよ?子供や孫たちの堕落した様子を見て、貴方はわからないんですか?
確かに萩ノ宮で一番優秀なのが、昂輝さんなのはよくわかります。でも、この子にも、自分の人生を選ぶ権利があるんですよ。私は、昂輝さんが幸せになってくれるなら、自分の道を歩むべきだと考えますが、不幸になるようであれば、私が赦しません。不幸になるようなら、いつでも戻ってきていいのよ」
きっぱりと言い切った祖母の姿を見て、眸が潤む。
「私は、あなたが思う方向に、進むべきなのだと思いますよ。誰かの決めた道を歩むのも、生き方のひとつではあると思いますけれど、一度きりの人生なのだから、好きなように歩みなさい。
だけど、たまには、私にも、あなたのピアノを聴かせてもらいたいのだけれど……」
昂輝の手を取り、たまには、会いに来い、と催促する。戻る場所があるのだから、失敗したなら、ここへ戻っていらっしゃい、そう言う祖母の姿は、とても小さいけれど、力強く、その手を握りしめていた。
「………はい。」
昂輝は、その手を握り返した。
「……わしはアルノルドには近づくな、と言ったはずだ。幼い子供でも守れるようなことを、何故、おまえは、守れないんだ?呆れて、ものも言えん。
おまえは、萩ノ宮の理事に、来年から名前を連ねる立場だと言うのに……」
「その考え方が古い、というのです。昂輝さんがどうして、音楽の道に進もうと考えてしまったのか?ということを、貴方も考えた方がよろしいかと思いますわ。
私も悪かったけれど……私には英語は理解出来なかったから、言葉の通じない孫と、どう接していいのかわからなかったけれど、この子の生い立ちをご存知なのであれば、日本に呼び寄せた時の対応がまず、間違っていたと思いませんか?
昂一、それは、一番貴方が悪いことです。
真嶋さんとのことがあったにしても、貴方がアデリアさんに生ませた子供なのだから、右も左もわからない子供がどれだけの苦労をして、他国語を覚えて、私と会話出来るまで努力したと思ってるんですか?
それにこの子は優しい子です。毎日のように他の孫たちが嫌がる質素な夕食を共にしてくれて、それを毎日美味しいと笑ってくれる子です。素材の使い方にも興味を持って慣れない日本食にも前向きに向き合ってくれました。
その後、私一人の為にピアノを奏でてくれていたのですよ。世界一を何度も取った腕前は伊達ではありません。
この子が音大に通いたい、と言った時のことを覚えてますか?この子は音楽が好きなんですよ。この子の為に音楽科を作ってあげていたなら、状況は変わっていたかもしれません。
けれど、この子の『運命』はこの国にはなかった、ということなのだから、笑顔で送り出してあげることも愛情ではないでしょうか?」
大和撫子な祖母がここまで祖父に意見したことはないだろう。祖父が唖然としている中、祖母、ミヨは昂輝を見て手を握り、
「私は、貴方の幸せを願っているのよ。もし、不幸になるようなことがあったら、いつでも逃げていらっしゃい。私にとっても、貴方は一番可愛い孫なのだから。」
そう微笑む祖母の優しい表情に、昂輝は「はい」と返事をするが、涙で震えて、頼りない声になってしまった。身内の愛を一身に受けた瞬間だったかもしれない。
ここまで愛してくれた血縁者はいない。
祖母には感謝してもしきれないほどの、借りを作ってしまった。それを理由に帰国して、祖母の為にピアノを弾いてあげたい、と思った。そのためには、ここのピアノを移動させるわけにはいかないなぁ、と思いながら、祖母に抱きついて、しゃくりを上げながら、泣いてしまい、しばらくの間、涙が止まらなかった。
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