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preparations 2

夏休みにしなければならない仕事の一つに、軽音部の顧問の仕事もあったのだが、8月も下旬に差し掛かるまで付き添うことが出来なかったので、第2音楽室の鍵を取りに行く時に都度、都度、自分の出勤について聞かれていた、というのだから申し訳ない気持ちになる。 日本を離れていたことを詫びてから、今期いっぱいで顧問をすることが出来なくなる、と部長の田山に告げると 「え~〜~っ!?また、探さなきゃならないの?面倒くさい!!」 前任者が辞めた穴埋め用員ではあったが、ギタリストとしての名前も持ち合わせている昂輝だけに軽音部としては、その抜けた穴は大きくなるだろう。 チューニングもできてなかった素人集団だったのだから。前任者は音楽の「お」の字も知らないような、ど素人だったが、基礎的なことは生徒たちで引き継いで行けばいいのだから、名前ばかりの顧問さえいればいいだけの話だ。 「仕方ないだろ。オレは今期を最後に学校を辞めるんだからから。また、って言うけど、オレのとこに来たのはおまえじゃないだろ。仲山に任せといたくせに」 もっさりした前髪と眼鏡をかけた顔から、その表情は伺えないものの、田山は 「はぁぁあ?!マジ?!なに?!クビにでもなったの?!てか、センセが転職?マジないわ。なに?!プロのギタリストにでもなるの? それに先生のとこ行ったのは仲山かもしれないけど、あん時は私、体調悪くては学校に来れなかったんだよ。だから頼んだの。他に取られる前に、って。だから提案したのは私だよ?」 驚きつつも、咥えた棒つきキャンディーをクルクルと回しながら、音楽室の机に座り、足をプラプラさせている。 「おまえなぁ、何度も言ってるけど、ここ、学校。おやつは家に帰ってから食え。それにちゃんとした言葉遣いをしろ。目上の人間にそんな口の利き方してたら、頭の悪いやつに見られるぞ」 何度注意しても、田山はそれを改めようとはしない。 「わかってるって。センセだけだよ。タメ口使ってんの。だって、センセ、センセらしくないんだもん。でも、英語の発音とかすごいいいよね。ギターも上手いし。」 「そりゃそうだ。オレ、生まれも育ちもアメリカだから、英語が話せなきゃ会話もできないし、授業にだってついていけないし。普通にアメリカの学校に行ってたからな。母親が死ぬまではアメリカ人として生活してたし。逆に日本語を覚える方が大変だったよ。ギターは日本語学校の友達とバンド組んで覚えたんだ」 「マジ〜?でもさ、センセ、見た感じ外人要素全くないよね。なんかウケる。ガイジンさんって独特の訛り?そういうのもないじゃん?両親は日本人なの?中国人?韓国人?てか、ガッコ辞めて、その後どーすんの?」 「父親は日本人、母親はドイツ系アメリカ人。ちなみに父親のことを知ったのは母親が死んでから。それまではキャンパスライフを楽しんでたよ。オレ、飛び級でお前の歳の頃には1個大学卒業してたからな。 とりあえず、学校(ここ)を辞めた後は、知り合いを頼ってオーストリアに行く予定だな」 「へ?あのコアラのいるところ?」 「アホ。それはオーストラリア!!南半球!! ウィーンがあるオーストリア。イタリアの上、ドイツの下。地図でも見て確認しろ。ヨーロッパの国の一つだよ」 「マジで?いきなり、そんなハードルあげていいの?うちのお姉ちゃんが今、音大行ってて、ピアノやってるけど、オーストリアもそうだろうけどヨーロッパで音楽をしていくことの難易度について、説明されたことあるよ。 てか、ココの教師ってそんなに儲かるの?」 なんの遠慮もなく、ズケズケと聞いてくる田山に多少イラっとするがそのまま流すことにする。音楽留学するほど金銭的に余裕があるのか、を聞いてきている。が、 「渡航費は相手が出してくれるから、オレの財布は傷まない。たぶん、ファーストクラスを送ってくるだろうから、快適な空の旅が出来るだろうね。」 「うわ~~~、なんかセコいね、センセ。自力でエコノミーだっていいじゃん。てか、相手ってなに?」 「ほっとけ。新米教師の収入なんてものは微々たるものなんだよ。それに里帰りしてきたばかりだからエコノミーで長旅してきたばかりだ。どうせあっちこっち飛び回る時はファーストクラスで飛ぶだろうし、向こうがプレゼントしてくれるっていうんだから、いいじゃんか」 昂輝が反抗すると、すかさず 「センセ、それ、騙されてるよ。だってオケにエレキで参加するなんて聞いたことないもん。それにさ、住むとこはどーすんの?」 「誰がギターで参加するって言ったよ。オレ、一応、ピアニストの資格も持ってるから。それに知り合いを頼っていくって言ったよな?そこにしばらくは世話になる。」 「管でも弦でもないのに、そんなに惚れ込まれたピアノなの?ピアノはアンサンブルとか、ジャズとか、そっち方面では聴くけどオケにピアノのオファーって少なくない?」 「……だろうな。ないこともないだろうが、曲によりけりだ。最初のうちは雑用をメインにしていくつもりだよ。紹介してもらってレッスンを受けるつもりだ」 「ちなみにさ、どこの楽団に入るの?」 昂輝は少し、戸惑いの色を表情に浮かべながら、少し言い淀んだ。彼にとっては音楽をするもしないも関係ないけど、ステージ上のクリスの色が好きだと言った。 『僕のためだけにピアノを弾いてくれないか?』 あの言葉が頭の中に聞こえてくる。 「…………楽団に入るかはわからないけど、アルノルド・シュレイカーの専属になる」 そう告げると大爆笑された。

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