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preparations 3
目に涙を浮かべるほどに大笑いをした田山は
「その楽団って、世界ランク上位入賞者じゃないと入れないんじゃなかったっけ?お姉が言ってたよ?海渡ってから入団テスト受けんの?ギャンブルじゃん。それに専属ってなに?」
「そうなのか?そこまでオレは楽団にはこだわってないけどな。まぁ、これでも、オレも国際コンクールで優勝したことはあるぞ。
アルノルドはそのコンクールの会場でオレを知ったそうだ。
専属ってのは……アルノルドの元でマネージメントをしてもらって、アイツの許可のない仕事はできない感じ……かな。ソロとかカルテットみたいな形でピアニストをしていく感じがメインになるんじゃないかな。あとはオケの前座だろ。アイツは作曲もしてるからピアノ譜も作るんじゃないか?」
田山はキョトンとして
「……はい?……センセの為だけに?……あの、アルノルドが楽譜を書く?」
「……そう。」
「あはははは、まだ笑わしてくんの?冗談上手いなぁ、そんなの書くわけないでしょ。
だいたい、植田なんてピアニスト知らないっての。聞いたことないわ。」
笑いが収まらない間に、さらにディスられる。
「まぁ、植田の名前でコンクールに出たことは、確かにないな。音大もアメリカの時の名前で入ったし」
「センセ、他にも名前あんの?」
「あるよ。日本での本名に、アメリカで使ってた名前、ギタリストの時の名前、それに今使ってる仮の名前。
コンクールに出てた頃はアメリカの時の名前で出てたからなぁ。そもそもピアノを始めた時には日本語が話せなかったから、そっちの名前を使ってた。
もしかしたらおまえの姉さんもオレの名前くらいは知ってるかもな。今ピアノやってるってことは子供の頃からだろ?同じコンクールに出たこともあるかもしれないな」
そういって昂輝は笑った。
「まぁ、そんなに有名人ではないけどな。『クリストハルト・シュミット』っていう名前がそのうちの一つだよ。
元々、アメリカでは物理学をやっていたから、そっちの方がある意味有名かもな」
シレッと名前を教えてしまったが、田山に教えたところでいつまでも覚えてるとは思えなかったので、この時はなにも考えてはいなかった。
「……なに?それって芸名?」
「いや、アメリカでの名前だよ。」
「……なんか、イメージと違う。」
「違ってて結構。どんなイメージを持ってんだか想像は着くけどな。それが正解だろうよ。どうやら『シュミット』はドイツ系の名前らしいしな。それより、次の後任の顧問はオレも当たってはみるが、おまえらのやる気を見せて頼むのが一番効果的だと思うぞ?人数や楽器の購入だって結構な高額だし、持ち込んだにしても、この第2音楽室だと、音漏れの問題が大きいんだよな。第一みたいな防音がしっかりとした場所を部室にすべきなんだけどな。」
「だよね~。音楽のセンセだって、第一でコーラス部やってるけど、そっちの方が第2を使ってくれた方が私らもアンプの調整も出来てさ、よっぽど利に適ってると思うんだけど。吹奏楽部だって、専門の防音部屋使ってるのにさ」
「それくらい、軽音は歴史も浅いし、重点を置いてない、ということだ。だから、文化祭とか、そういったところでの努力はかなり必要になってくると思うぞ。2学期が始まったら、本格的にやらないとな。理事長を含め、萩ノ宮の理事は音楽にも芸術系にも全く興味がないから仕方ない。考え方が古いんだよ。まぁ、軽音は芸術系と言えるかは謎だがな。」
部活の存続と部室問題の話のはずなのに、それよりも、ピアノの方に関心が向いてる田山は
「それよりさ、センセ。なんか一曲弾いて見せてよ。私が確かめてあげる。うちのお姉ちゃんのを散々聴いてるから、他の人よりは、耳が肥えてると思うよ?」
――なんで上から目線なんだよ……
昂輝はため息をついてから、ピアノのふたを開けて、癖になっている、数音、調律を確認してから、シューベルトの曲を奏でる。田山はだらしなく口をあけて、ポカンとしながらその様子を見ていた。
1楽章だけなら、数分で終わる。口を開いたままの田山は1曲終わると
「……ちょ……センセ、すごい!!お姉ちゃんの比じゃないわ。なに?どういうこと?なんでプロに行かなかったの?」
「だから、今期いっぱいで辞めて、プロになるんだよ。その前に現地でレッスンを受けなきゃ、使い物にならないだろうな。」
「じゃなくて、なんで音大出てそのままピアニストにならなかったのかって聞いてんの!!なんで学校の先生になってんの?なんで音楽の先生じゃないの?!」
「……だから、家庭の事情。オレ、音大には2年しか通ってないんだ。残り2年分のレポート、音楽史、試験、全部受けて同期で4年いた連中にも負けずにS音大を首席卒業してやった。功績も残した。
3年からは萩ノ宮附属大学で歴史をやってた。」
その時を思い出すように傾けた髪の隙間から懐かしむような、遠くを見ているような黒い眼差しがみえた。その目を細めて懐かしそうにそう言った。
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