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preparations 5

『さすがの僕も、ここまで待たされるとは思わなかったけどね。まさか受験生の受験終わるまでって来年の3月?』 電話の向こうでアルノルドがちょっと疲れた声で吐き出した本音にクリスは謝るしかない。 それでも、アメリカを発って1ヶ月も経っていない。夏休みいっぱいをかけて作成しようとしていた資料の整理もついていないし、軽音部の顧問として顔を出したのも、つい最近の話だ。 内部のエスカレーターで上がっていく生徒とは反対に、外部受験を希望する生徒も多い。萩ノ宮には芸術学部や体育学部がないからだ。そういった専門の大学を受験する為に構成されたクラスが、外部特進クラスだった。そこの2~3年の受験コースの英語担当教諭として勤務している。 途中で投げ出すのは不本意でもあるのだ。こうして真正面から言われてしまうとわずかばかりの罪悪感は否めない。 「一応、これでも学校の先生だし、進学クラスを任されているから、少なくても受験までは放置出来ないよ。それが責任ってものなんじゃないかな、と思うんだ」 『キミは僕のことを恋しいと思わないってこと?』 こういう意地悪な質問を、これ見よがしに投げてくることもずるいと思ってしまう。 「違う。……そりゃぁ……考えなくもない。でも、ほんの数ヶ月が過ぎてしまえば、その後の人生の責任を取ってくれるんじゃなかったの?そう考えたら、ほんの短い時間なんじゃないかな?とも、思うんだ。だから……一応、オレだって、感情を封印して……」 照れ隠しが隠しきれていないところがクリスらしいが、根が真面目すぎる所為か、仕事人間に徹している、というのもマキナから報告が入っている。 『クリス……君がいないだけで、僕は息が詰まってしまいそうだ。早く、君に触れたくて仕方ない。恋焦がれた相手がやっと振り向いてくれたというのに、なんでこんな仕打ちを食らってるのかな?欲求不満になりすぎて、頭がおかしくなりそうだ。』 いつも通りの、ストレートな言葉に赤面してしまうが、これがアルノルド・シュレイカーという人間だということを受け入れなけらばならない。 「オレもアルノルドには会いたいよ?でも、今会ってしまったら、いろんなことがダメになりそうな気がするんだ。ごめん、アルノルド。もう少し時間が欲しい。」 『だからって、電話まで僕から連絡するまで、何の音沙汰もないなんて寂しいじゃないか』 「……それは……声を聞くのが……怖かったから……何も手につかなくなりそうで……」 『それは困るな。それだけ時間のロスが出てしまうってことでしょ?それとも他に理由があるってことかな?僕としては、早々に君を抱きたいし、僕との時間を長く作ってもらいたいところなんだけどね』 理由なんて、その他の方に含まれていることなど、百も承知の上での問いに、少々憎らしささえ感じてしまうも、身も心も捕らわれてしまっている以上、声を聞いてしまえば、傍に行きたくなってしまう。それがわかっていての問いなのだから、性質(たち)が悪い質問だ。 「……自制が利かなくなりそうで怖かった…」 何故、アルノルドと話していると、心細くなってくるのだろう。今にも泣き出しそうな気持ちをグッと堪えながら、スマホに耳に当てて、アルノルドの心地よい低音の声に酔いしれたい気分になる。なにか、発しようと思うが、なにも思いつかない。 『そうだね。まだ、僕は君との約束を果たしていない。本来なら、僕が君のお爺さんと話さなければならないこともあるからね。なかなか時間が取れなくてごめん。時間を作る為に、今、ヴァルターにこき使われてるからね。もう少ししたら、時間を作って君を迎えにいくから』 『人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ。仕事が遅れてるのは自分の所為だろうが』 背後からヴァルターの声が聞こえて、相変わらずのコンビで動いている様子だ。 「そっちはお婆様が説得をしてくれたから、お爺様も不本意だって表情をしながら、受け入れてくれたよ。まぁ、お爺様の気持ちもわからないでもないけどね。」 『やはり、日本の男性っていうのは、女性の尻に敷かれるものなのか?でも、キミ、頬を叩かれて飛んでったそうじゃないか。たぬきジジイにも少しお仕置が必要かな?』 ――なんでそんなことまで知ってるんだよ……? そこはもう、ストーカーの本気の発揮だと諦めることにした。

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