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preparations 6
「いや、そんなことはないよ。お婆様は典型的な大和撫子 だから、ずっとお爺様の言うことは絶対だったんだけど、オレのことを理解してくれてるだけ。1回は叩かれたけど2回目の時はお祖母様がとめてくれたし。」
祖母まで誑し込むとは、この恋人は余計に心配の種が増える一方だ。その祖母の気が変わらないうちに、クリスを預かるのだと、報告しなくてはならないだろう。
『今年中には決着をつけるから、クリスもその予定で動いてくれると嬉しいよ。日本の受験の大詰めも年内には落ち着くと聞いたよ。まぁ、それまでは耐えられそうにないから、それよりも前に会いに行くからね。クリスもいい子にしてるんだよ。決して知り合いの前で変装を解いてはいけないよ。そうでなくても、君は魅力的過ぎな上に隙だらけだから、気が気でないよ』
酷い言われようである。少なくとも成人男性であり、社会人として、その身なりは隠してはいるものの、働いている大人に、そんな忠告をしてくるアルノルドの発想のほうがよっぽど怖い、と思ってしまう。
「そんなに隙だらけではないと思うし、この国だと、髪の色も染めたり、ウィッグでカラフルにしていたり、眸の色もカラーのコンタクトを使ってる子が多いから、それほどは目立たないんだよ。ただ、顔つきが日本人顔ではないからね。目立つとしたら、そこらへんだけかな。でも、学生時代から、それほど街を歩いていても変に目立ってはいなかったよ?」
『でも、スカウトはされたことはあるだろ?キミくらいの容姿なら、芸能界やモデルとして充分に人気をとれることは、さすがの僕でもわかるよ。何回スカウトされた?』
「数えたことはないなぁ……」
『数えたことがないんじゃなくて、数え切れないほどスカウトされてるってことでしょ?』
ぐうの音も出ない発言に、返す言葉を失う。
『少なくとも、そのスカウトマンたちは、ピアニストとしてのキミを知らない人間が多かっただけの話で、これから僕らは君を全面的に売り出していくから、一人で行動することも出来なくなる可能性もあるから、今を満喫しておいた方がいいかもしれないね。ただし、眸の色は隠すこと。』
「…………わかった。」
『うん、いい子だね。それと、知らない人についていかないこと。他の誰かと関係を持たないこと。もし、そんなことがあったりしたら、僕はその相手を殺しかねないからね。それと、二度とそんなことをしないように、キミ自身を監禁するよ。』
一瞬、ゾクリと背筋に寒気に似た狂気を感じたような気がしたが、ここは冗談として流すことにする。ダニーの言うことが本当なら、アルノルドはその後ろにいる組織を駆使して、行動を起こすだろう。それに、自分を監禁してしまったら、アルノルドと一緒に行動することは不可能になる。
「そんなことをしたら、犯罪だよ。それは万国共通でしょ?それに、監禁されたら、どうなるの?鎖に繋いでどこかに閉じ込めておくの?世界を飛び回るアルノルドと、何ヶ月も会えなくなるね」
『鎖には繋ぐけど、僕の行くところには、どこにでも連れて行くよ。その代わり、キミの眸には、僕しか映してはいけない。どんな手を使ってでもキミを手放すことはないから覚悟しておくことだね。キミは僕だけのものだ』
なんだか物騒な話に進んでしまっている。けれど、違和感が拭えない。
――――相手を殺してまで、手に入れたいほどの愛情なんていらない。
そう思ったのは、ティティーが殺された時のことだ。
「……他に目を向けてる余裕なんてないよ。誰かさんにそういう躰にされちゃったからね」
『もちろん、わざとだけどね。僕の生涯のパートナーはキミだけだと言ったはずだよ?』
「……うん、聞いた。でも、何でオレなの?」
『キミのステージを観た時に運命を感じたからだよ。それだけじゃ不満かい?』
「不満、というか、意味がわからない。アルノルドなら、選びたい放題のはずだろ。世界中には、オレよりずっと優秀なピアニストも、綺麗な人もたくさんいるだろ?」
『僕はステージの上であれだけ輝いてる人物を観たのはキミだけだよ。揺れ動く髪の色が角度が変わるたびに色が変化して、ステージの光を反射して、アメジストのように輝くパープル・アイ。この世のものとは思えないほど美しかった。それにキミの経歴にも痺れたよ。ピアノを始めて、僅か2年でポーランドのステージに立てるほどの実力。キミにはまだ伸びしろがある。僕色に染めたい。それにあのコンクールでキミを見てから、キミの隣に立っても相応しい人間でありたいと思わせてくれた人だよ。 』
「オレは少しの間、オーストリアに行っても、現地のピアノ教室でレッスンを受けるつもりでいたんだけど、アルノルドがレッスンをするってこと?」
『僕の譜面を覚えるんだから、当たり前だろ?僕の耳を疑っているのかい?』
「そういうわけじゃないけど……アルノルドは忙しいじゃないか。」
『君との時間を作る為に、色んなことに精力的になれて、ヴァルターが楽になるだろうよ』
『おぼえとけよ、その言葉。絶対、楽させてもらうからな』
SSとは思えない台詞がまた電話の向こうから聞こえてきて、苦笑いするしかなかった。
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