106 / 134

preparations 10

「センセ、ちょっと残ってもらってもいい?」 田山が呼び止める理由をなんとなく察知した昂輝は、嫌な予感しかしないながらも 「用件は?」 と簡潔に問いた。 「おおっぴらに話していいなら、ここで大声で話するけど?」 ――――なんなんだ?!この脅し文句的な言い回しは…… と思いながらも、そこまでの言葉を使うということは、こちらに拒否権がない、ということだ。 夏休みもまもなく終わる、という部活の音あわせの日だった。 「この後の打ち合わせですよ。曲について、ちょっと提案があるんですけど、まずはセンセと打ち合わせてから、みんなの意見を聞こうと思うんですけど~~~~」 ――――絶対に嘘だ。 それだけは確信できた。部員全員を帰した後に、ピアノの椅子に座り、田山の出方を伺う。 「…………で?本当の話ってなに?」 「なぁんだ、バレてたか。」 またポケットから棒付の飴を取り出し、口に含んでクルクルと回しながら 「お姉ちゃんにセンセのことを聞いたんだ。ピアニスト界では異端児で、コンクール荒らしの異名を持っていて、国際コンクールを5回も受賞しているピアニストだって。 お姉ちゃんの憧れの人だって聞いた。写真もネットに残ってるのだけど見せてもらったよ。センセとは似ても似つかない色だったよ。顔の作りはセンセも負けてないけど。アルノルド・シュレイカーっていう指揮者も超イケメンじゃん。センセ、嘘ついてない?」 「嘘はついてないよ。『クリストハルト・K・シュミット』は産まれてから20年間名乗ってきた名前だ。国籍が両方にあったから、音大に通わせてもらってた頃は、未成年だったし、話した通り色々あったから、クリストハルトの名を使った。逆を言えば、この植田の方が偽名だよ。オレは爺さんに認めてもらえてなくてね、祖母の旧姓を名乗らされてるけど、まぁ、信じなくてもいいよ。」 「なにそれ。じゃ、髪の色の秘密だけは教えてよ。染めてんの?」 仕方なしにウィッグを外して、ウィッグ用ネットも取り外しクシャリと髪をかき上げるとサラリとした猫っ毛の金髪が現れる。綺麗に整った顔と眸の黒さに違和感しかない。 「カラクリはこんなもんだ。その辺を歩くのと学校内を歩くのとでは、見方が変わる。だから色を日本人寄りにしてるだけだ。顔も外人顔だから、校内では目立ちたくないんだよ。あとは日焼け対策。色素異常だから日焼けすると火傷になるんだ。日本に来て最初に経験したのが日焼けが理由のやけど。体質だけでいっても何もかも合わないんだ。日焼けで火傷はつれぇぞ」 「あ〜、それでそのヅラと眼鏡ってことね。でもさ、眉毛だけ金髪の理由はわかったけど、、なんで眉メイクはしなかったの?マスカラしてんのに。んで、眸の色は?」 「眉毛は上手く出来ないんだよ。メイクにそんな時間もかけてられないし、どうせ隠れるからいいかな?って感じ。で、眸はカラコン。日本の日差しにオレの目じゃ耐えられない。通勤時はサングラスをかけるけど、校内でかけるわけにもいかないし、こんな色の眸をしたヤツなんてなかなかいないからな。母ですら普通の碧眼だ。 アメリカでも北の方の出身だから、日本ほど日差しが強くないんだよ。だから失明対策。これで理解してもらえたか?これ以上の要求はなにも受け付けないからな。他の先生方ですら、オレの髪の色は知らないんだ。」 ウィッグネットをすばやくつけて、黒色のウィッグを装着する。 「これ以上のことは喋るなよ?」 「センセが交換条件を飲んでくれるなら、約束してもいいよ」 嫌な予感しかしない発言を繰り返す、目の前の厄介な生徒に目を向けると、ニンマリと嫌な笑顔で微笑んでいる。ますます嫌な予感しかしない。 「…………その交換条件とやらを聞こうか。ことと場合によっては断るぞ」 「うちのお姉ちゃんにセンセのピアノを聴かせてあげたいんだよ。センセのこと聞いたら、学校に乗り込んでくるぐらいの勢いで食いついちゃってさ。学校に乗り込んできてもいいならいいけど、ここでピアノを弾いたら目立つでしょ?だからって第1音楽室を借りれるとは思えないし。」 「少し前に第1音楽室を借りて、アンサンブルをしたことはあるけどな。」 「アンサンブル?!なんで?」 「テストを白紙で提出して、実技試験だけで入試するから勉強する必要がない、と言い放った生徒がいたからな。プロを呼んで、そいつの実力を測ったわけだ。ヴァイオリニスト希望だったから、ある楽団にいるプロを呼んで、第2ヴァイオリンとして演奏させたんだ。元々オケで第2ヴァイオリンをしてたから、ちょうど良かったんだ。 大学時代から、ずっと付きまとわれてたから、オレがピアノ弾くって言ったら、二つ返事でOKしてくれてな。けちょんけちょんに叩きのめした。そっからは、猛練習したんだろうな。有言実行で実技で他大に行ったよ。」 「それ見たかったわぁ~。去年ってことでしょ?でも、ギター弾いてるセンセの方が、あたしは好きだけどね。」 「言ってろ。とりあえず、学校はダメだ。理事長の許可を今のオレでは取れない。先に言っておくが、オレの家は無理だぞ。 本家に居候の身だからな。 以前、オレが借りてた部屋の近所に、貸しスタジオがある。そこで1度きりなら受けてやる。だが、すぐには無理だ。その日は追って連絡する。2学期の中間テストか期末テストが終わった頃。それでどうだ?」 「そんな先?お姉ちゃん、乗り込んできちゃうよ?」 そう文句を言う田山に、 「それがイヤなら、この話はなかったことに。オレにだって色んな事情があるんだよ。」 「わかった。」 渋々だが、納得してもらえたようだった。

ともだちにシェアしよう!