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preparations 17

「今日は、早いな。」 案の定バスローブ姿で、髪を拭きながらリビングに顔を出したアルノルドに声をかける。 「久しぶりだからね。張り切りすぎて、啼かせすぎちゃったかな…………で?部屋に入ってきたことは今回は見逃してやるけど、おまえも処理できたのか?」 ルームサービスで頼んだテーブルの上に置いてある軽食のサンドウィッチをつかんでパクリと食いつく。数個をペロリとたいらげて、オードブルをフォークでつつきながら、ワインで喉を潤す。 「やっぱり確信犯かよ!!だから誘われてんのかと思ったんだよ。少しくらいの味見くらいは期待したっておかしくないだろ。あんなん聞かせるくらいなら、やらせろよ。」 「それだけは出来ない相談だね。今日だって出血大サービスだよ?クリスの『ヤってる時』の声なんて僕だけが知ってればいいことなんだから。本人に知られたら、それこそ大目玉だよ。さらに躰を見られた、なんて知ったら大騒ぎになるよ?セックスはデリケートなことだろ?」 ケロリと言ってのけるアルノルドは、完全にクリスのことしか頭にない。『インキュバス家系』の異端児となっていることの自覚はあるのだろうか?ゲイという性質で産まれてきたこと自体がすでに異端であるのかもしれないが、本物の悪魔ではないが、その性へのだらしなさと、若さを吸い取るかのように、美しいまま歳を重ねていることから、『インキュバスの家系』と言われてるのが、この悪名たる所以だ。 一人に縛られない。その美しい容姿で女を惹き付け、躰を繋げる。その精力の強さから、女性の方がその性に溺れ、その相手が死ぬまで他の男に見向きもしないほどの、テクも身についている。その逆、サキュバスとよばれる娘たちも同じだ。ただ、同時に同じ血に本気になることがない。男の奪い合いという醜い争いは起こらない。その男たちも溺れるように娘たちを時に貪り、時に奴隷のように喘がされている。SMの道具をそろえろ、と言われた時には驚いたものだ。 「あぁ、そうかい。だったら、そんな『蛇の生殺し』状態になんかすんなよな」 「だから、好きなのあげるって言ってるじゃないか。まだ、全部が片付いたわけじゃないけど、ある程度は処分した。傷心の今が付け込むチャンスじゃないのかい?」 ニヤリと嗤うその表情にも、本当に腹が立つ。 「本当に性格悪いな。そんなことをしたって相手にはバレバレじゃねぇか。」 「でも、気に入った子はいただろ?楽団のヤツらは少なくとも全員切った。他の国のヤツだと、なかなか会えないのも、辛いだろ?まぁ、ドイツやイタリアあたりの子なら、それなりに会いやすいだろうけど、僕の遠距離恋愛を見てただろ?遠距離は本当に辛いよ。」 ふぅ、と一息ついて切なげに告げる。けれど、目の前の男はクリスが日本にいる間ですら、祖父と連絡をとり、メイドとして、父の手足として育てられたSSの一人の女性を送り込んでいる。若手を留学させて、学校での様子を観察させたり、写真を取らせたり、探偵のようなことをさせながら、実のところ、彼らのしていたことはストーカーと同じだ。 手に取るように、クリスの行動を監視していた。 「そんなことを言ったって、俺が手に入れられるわけないだろ。それこそ、おまえが思うほどスムーズじゃねぇんだよ。おまえがあいつらをクリスの代用品にしてたように、あいつらにとって俺はおまえの代用品でしかないんだよ」 「それだけ強く惚れてる子がいるの?」 「……おまえと関係を過去に持ってたヤツにはいねぇよ。正直、俺もクリスがいい。クリスは誑しなんて生易しいもんじゃねぇ。あれは『魔性』だ。それなのに、あんな声、聞かせやがって。逆に欲求不満だよ。」 「そいつは悪かったな。だけど、クリスだけは譲れないよ。僕らに通じるものがあるかな。クリスは確かに『魔性』だね。本人に自覚がないだけで、あの『マキナ』まで、存在だけで落としたつわものだ。 彼女が『萩ノ宮家』に未だメイドとして働いてるが、家族の開放のほかに欲しいものがあるか?って聞いたら、クリスを要求されたよ。女を抱けない躰だから無理だって言ってやったら、『試していいか?』って言われたよ。 クリスが彼女の手管に堕ちても困るからね。丁重にお断りしたけど、男女問わず、彼に近づいて欲しがる人間は多い。きっと『プロフェッサー・リリィ』も先見の明を持っていたんだろうね。あの女、その気がない、って言いながら、夜中に襲いかかって。クリスの童貞を奪った女だからな。過去に嫉妬しても仕方ないから、そこは水に流すとするけど」 思い出すだけで腹立たしい、と言わんばかりの表情でいるが、その『プロフェッサー・リリィ』であっても、当時のクリスに大説教されて、それ以降、そういった対象でクリスに触れることはなかった。 その『プロフェッサー・リリィ』の最後を見たのが、クリスのポーランドでのコンクールだった。 勝手に出て行った教え子を見守っていたことを当時は疑問だったが、今ではわかる。性的な意味でなくても、人間として、彼女にとってもクリスはただの教え子というだけではなく、魅力的な人間だったのだと。

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