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preparations 19
「……人は見かけによらないものなんだな……」
報告書に目を通して、最初に出た言葉は、そんな陳腐な言葉だった。
日本人とドイツ系アメリカ人の間に産まれたのが、『クリストハルト・K・シュミット』父親の名前は日本での名家、『萩ノ宮学園』の理事長の長男の萩ノ宮昂一、ドイツの片田舎から留学生として大学に通っていた母親、『アデリア・シュミット』の一人息子。
大学在学中に産まれた『クリストハルト』は産まれてからの2年間だけ、父親と母親と幸せに暮らしていたが、卒業と同時に父親はビザの更新の為、日本へ帰国。それ以降、アメリカに入国することはなかった。
日本へ戻った時に、昂三の秘書をしていた男に見初められ、飲めない酒を飲まされ、泥酔したところを襲われ、逆レイプをされてしまったが、その時のセックスに、その男の躰に、手管にハマってしまったのだ。アメリカにいた時は、確かにアデリアとクリストハルトを愛していた。けれど男を抱く快感に溺れ、妻子をいとも簡単に捨てたのだ。
それでも、男同士では子供を宿すことは出来ない。2人の子供として、クリスを育てようとクリスの引き取りだけを希望した。
アデリアをきちんと愛してあげられない以上、アデリアを日本に呼ぶことのリスクを考えると、その若さと、美しさで、自分の幸せをつかんで欲しかった、といったところだろう。
そして、アデリアは養育費目当てにクリスを手放すことを拒んだ。だが、彼女はネグレクトになり、きちんとした子育てをすることなく、放任主義で息子に愛情を注ぐことはなかった。
自分が自暴自棄になり、売春婦になり、家に男を連れ込むこともあった。そのシーツ交換ですら息子にやらせていたのだから性質が悪い。
朝、シーツを数枚干してから登校する姿を近所の人はよく見かけていたという。
家事全般、8歳の頃にはこなしていたというのだから、アデリアの生活の乱れっぷりが露見されていく。父親が戻ると信じていた頃までは、家庭のことをきちんとしていた母親だったという。
クリス自身も、あれだけの容姿をしていたのだから、その手のいたずらをしてくる輩は、やはり、彼の周りには子供の頃から多かったようだ。それは男女関係なく、誘拐まがいのことを何度も経験している。けれど、必ず、誰かに見つかり、阻止されてきていた。
けれど、夜遊びを始めた頃から、悪ガキとつるむようになって、そういった部分は善くも悪くも少なくなっている。そして、レディ・リリィとの出会いから、彼女の部屋の家政婦になり、生徒になり、夜遊びをすることはなくなった。
レディ・リリィの薦めで、中学に上がるとほぼ同時に飛び級で大学に進学している。天才児であることにかわりないが、彼が大学に入学したのは、芸術系ではなく、完全な理系で物理学を専攻とした学部だった。
珍しい彼の色彩に目をつけた同じ理系の生物学専攻の生徒に捕まって血液採取をされて、彼のアルビノが発覚する。
常に成績はTOPで、特待生としての義務とはいえ、かなりの努力をしてきたはずだ。4年間、レディ・リリィの研究の陰で、彼女の功績の大半がクリスの影からの支えがあってこそ、だったはずだった。レディ・リリィの研究発表も、クリスが残したものを最後に発表されていないのがいい証拠だ。
けれど、彼女を最後に見た時には、満足気な表情をしていたことから、クリスを自分の元に戻す気は、さらさらなかったのだとわかる。どの分野であっても、天才であることに満足していたようだった。
大学を卒業したその日に、母親が心中事件をおこして、一度、心配停止の状態から蘇生し、クリスは一命を取り留めたが、母親のアデリアは失血死している。愛する母親に殺されかけたショックと、頸部圧迫の所為か、数ヶ月間、クリスは声を失っていた。
その間に未成年だということと、親権が父親にあったのもあり、ほぼ、本人の意思とは関係なしに、日本へ連れて行かれることになった。
喋れない上に、語学がまったくわからない状態で、日本語学校へ通いだし、1ヶ月もする頃には、日常会話くらいの聞き取りが出来るようにはなっていたようだ。友達もいない国で暇を持て余したクリスが音楽スクールに行き、薦められるがままに始めたのがピアノだった。
そこでもメキメキと、力をつけ、面白がったスクールの講師がコンクールの出場を薦め、受けるコンクールすべての優勝を掻っ攫っていった。
そこでピアノにのめり込んだクリスが、祖父に初めてお願いしたのが、音大への進学だった。条件付で音大へ通いだすが、最初に受けた国際コンクールで優勝した、というのが、アルノルドの見たコンクールだった。
報告書に上がってきた内容は、ざっとこんな感じのものだった。
――――暇つぶしの遊びで、あのレベルのピアノが弾けるのか?!
世の中の必死になって、その高みを目指していっている者達の努力なんて足元にも及ばない天才という存在。それがどの分野であっても発揮される人間なんているのだろうか?
アルノルドが最初に掴んだ楽器はチェロだった。けれど、チェロの才能はなかった。が、耳が良かったおかげか、指揮者としては天才的な能力を発揮した。だが、まだ世界の頂点は取っていない。
彼の横に立つ人間として相応しい人間にならなければ、彼を手に入れることなど出来ない気がした。少なくとも、今年のコンクールで優勝しなければならない。あまり手招いていると、彼を手に入れられる気がしない。日本の『萩ノ宮家』の祖父であり理事長である昂三に邪魔される確率が高くなる。
身内も調べたが、胡散臭いヤツラばかりだ。自分が昂三の立場であるなら、その娘や娘婿たち、他の孫たちのように堕落した生活をしている連中に、自分の立場を譲るわけがない。
ただ、昂一の唯一の息子としては、外国人の血が入っている昂輝を認めるには時間がかかるだろうが、彼の優秀さを見抜いてはいるだろう。行動を起こすには早い方がいい。
「ヴァルター、彼について他の情報も欲しい。何人か見繕って彼を監視させてくれ」
「それはわかった。が、まさかだと思うが、あのお姫様を飼う気か?」
「もちろん。運命を感じたからね。手厚く可愛がってあげたいよ」
「おまえにしては珍しいことを言う。一目惚れでもしたのか?」
「……そうだね。その言葉が一番しっくりくるかな?」
そう笑うアルノルドに、ヴァルターが驚いた表情で、信じられないものを見た、と言わんばかりの表情をした。
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