116 / 134

preparations 20

その後も定期的にアルノルドは『萩ノ宮昂輝』についての情報を集め続けていた。 予想はしていたが、その予想を遥かに超えるほど、『昂輝』を音楽の道への導きに苦戦していた。祖父の昂三の頑固さと、彼の資質を見抜いていた昂三氏の目も節穴ではなかった、ということだ。 『萩ノ宮には音楽は必要ないが、アレは優秀でいくつもの教員免許を取得している。子供たちや孫は使い物にならん連中ばかりだが、家族経営の難しさだ。アレだけの優秀な孫を簡単に手放すことはできんのだよ』 その後も国内で行われているコンクールを総なめにして、本格的なプロへのスカウトが来始めた頃、萩ノ宮への編入という手段で逃げてられしまった。 それから、まもなくのことだった。彼の出身校の大学で銃乱射事件があり、『プロフェッサー・リリィ』はその犠牲者の一人となり、命を落とした。 その頃の素行は大学でなどの表立っては良かったものの、日本では昼間は遊びに出れない体質の所為もあり、夜は毎回ではないではないが、たまに茶系のカラコン、またはサングラスをして、ライブハウスやクラブやバーに行っては酒を飲み、ライブハウスでは顔見知りに頼まれればギターで参加をしたりしていたが、メガネのようにオレンジ色のサングラスをしていた。 その時に撮られた写真を見ながら、笑いながら楽しそうにギターを弾く姿も魅力的だ、と感じてしまう。 金髪にオレンジ色のサングラスと見た目は一見派手だが、顔を強調させない為の手段だったのだろう。 オレンジのサングラスをしてない日は誘える日だった。淡い茶色の眸は禁欲的に見えて、自分からは誘わないが、誘われればワンナイトの相手と肌を重ねる。 けれど一晩を共にはしない。 どこに現れるかわからない淡い茶色の眸が金髪の少し長めの前髪を揺らす美しい青年はなかなか現れない。カンパリソーダ(ドライな関係)は自分のとは別に『謎の青年』に渡すためのカクテルを手に順番待ちをしてる女性もいたという噂もあり、本人の耳に入る頃にはすでに都市伝説のようになっていた。 そして、萩ノ宮で専攻したのが『歴史』の中でも特に『日本史』だった。本人が言うには、日本語を理解する上で一番手っ取り早いからだ、という。萩ノ宮編入直後から、『植田』の姓を名乗りだし、植田昂輝として生活をしていっている。その流れで、萩ノ宮の講師陣に祖父から引っ張られた時も、『植田昂輝』として、教師をしていた。祖父、昂三がタイミングを見計らって、昂輝の姓を『萩ノ宮』に変えようという寸法だったようだ。 昂輝の父、萩ノ宮昂一は姉と妹との3人兄弟だが、姉は長子であることから、自分の旦那、息子たちを理事長の椅子に座らせることが当然だと思い込み、妹夫婦は両親との同居を望んでいる。それも、姉と同じように、理事長の世話をした自分たちが理事長の椅子に相応しい、と思っているからだ。唯一の長男は、留学するまでは、明るい性格だったようだが、帰国後、昂三に色々なことを吹き込まれ、自棄になっていたところに、真嶋が付け込んだ。それ以降、出世欲というものが一切なくなってしまった。 なるべく気づかれないように、目立たないように、と昂輝が選んだ道は、少し前髪が長めの黒髪の特注のウィッグと、眸の色を黒に見せるコンタクトレンズ、そして、その顔をなるべく隠すための伊達眼鏡だった。派閥、理事長争いからの諍いから抜け出す為の手段でもあった。 そういった点ではアルノルドと境遇が似てると言える。 ただ一人、アルノルドの目論見を知る、萩ノ宮昂三は、アルノルドが『クリス』に近づく為だけに来日し、日本で公演をしても、近づくことさえ許されず、海外に出ることも禁じらていた。母親の墓参りに行けなかった理由の一つでもあるだろう。自分の人生を萩ノ宮で生きていく覚悟をしていた昂輝は、祖父の指示に素直に従っていた。 彼には、他にも選択肢はあったはずだったが、唯一の血縁者である、『萩ノ宮家』に逆らうことを諦めていた。祖父の言いなりになって生きていくことの方が楽だと思ったのだろう。自分を隠して、教師として人生を全うする。自分の本当の姿を隠しながら。 娘たちは小学部の校長と副校長をし、娘婿や従兄弟たちは中等部、高等部の教師をしている。それぞれが祖父の指示の元で、それぞれの教師をしている。教員免許自体をそれぞれ一つずつしか取得してないのだから、頭の痛いところだ。教師をしながら、小等部、中等部、高等部の資格のどれかの一つでも取ってもらわないと、どの人物も昂輝に届くことはまず、ない。 中等部、高等部については、ほぼ、全教科教えることが出来るのだ。出来ないのは体育と美術くらいだ。英語に至ってはネイティヴであるし、それが受験に役立つか、はともかく、ヒアリングには絶対に役に立つ。その為の受験対策コースで英語を教えているが、本職は音楽か、物理学、または数学だ。受験に必要な科目の大半は知識として持っている。 彼にとっては、それがその場所で生きていく術だと思いながら、地味に生きていた。 「あの先生ってさぁ、教え方はうまいんだけど、地味だし、横柄な口調だから近寄りがたいよね」 と噂されているらしい。それも、わざとだろう。 日本語学校時代の仲間で組んでいたバンドで、ギターを弾いていた時に、作った曲のファン、という生徒が現れるまでは。彼女は高等部に上がってきてから、すぐに『植田昂輝』を崇拝していた。それが、クリスだと知らずに、だ。あの先生についていけば、確実に英語の成績は上がるし、他の教科のことを聞いても丁寧に教えてくれる。なんでもマスターしてるが故の、特技とも言えよう。 それが、中村聡美だ。高校卒業と同時に、彼女と関係を持った昂輝にやきもきもした。まだ、他大とはいえ、大学に入学したばかりの彼女と、どうこうなる、とは思ってはいなかったが、その彼女が、アルノルドの気持ちを汲み取るように、治癒の望みのない病にかかった。 けれど、昂輝は、彼女を最期まで看取る、と時間の許す限り、彼女の傍で看病をし続けた。 まだ、身体の動くうちに、と結婚式まで挙げてしまったのだ。入籍こそ、彼女側の両親に止められて諦めたが、1年後、彼女は還らぬ人となってしまった。アルノルドにとっては好都合だった。 傷心のクリスが、財布とパスポートだけ持って、日本を飛び出してくれたのだ。地域は違ったが、たまたま、アルノルドもアメリカでの公演を終えた直後だった。早急に身支度をして、ボストン方面への飛行機に飛び乗った。行き先は「ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港」通称、ボストン空港だ。そこから北へ向かった小さな街に、彼が生まれ育った街がある。 彼の住まいや、レディ・リリーのいない今、彼が住まう場所はない。早めに捕まえて、逃げられないように、囲い込む必要があった。 幸いなことに、部下の一人がクリスの尾行に成功していた。いくら生れ育った街だとはいえ、ありのままの自分で動けることが、彼の油断を招いていたのだろう。一人で行動をしている、と報告があり、迷子を装い、接触することに成功した。 そして、賭けをして自分は勝ったのだ。

ともだちにシェアしよう!