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preparations 24
アルノルドにクリスが遊ばれている頃、萩ノ宮家では奇妙な伝言ゲームが行われていた。
マキナから、ミヨ、昂三という順で、『昂輝』は土日はホテルに泊まる、と伝える。マキナは基本的に言葉が足りないのだ。『誰と』という部分を伝えていない。
さらに、生徒にピアノのレッスンを、と出て行っているのに、ホテルに泊まる、というのはどう考えてもおかしい。しかも、車で外出していたとしても、そう遠くへは行っていないことを、家族は知っているのだ。
日曜日の昼過ぎに、先に離れの方に帰宅した時には、祖父が大股で怒りを滲ませた表情で、昂輝が暮らすようになっても、一度も足を踏み入れたことのない離れに現れた。
その後ろに、ミヨ、マキナ、と続いていた。
悠然と、リビングのソファに腰掛けていたアルノルドの姿をみるや、昂三は滲ませた怒りを爆発させるような表情になった。
「これはどういうことかな?」
その言葉をアルノルドにもぶつける為、あえて昂三は英語で語りかける。アルノルドはゆっくりと立ち上がり、昂三の方へ歩み寄る。
「これはこれは。初めまして。お電話では何度もお話しておりましたが、実際にお会いするのは初めてですよね。今更、名乗るのもどうかと思いますが、アルノルド・シュレイカーと申します。以後、お見知りお気を。『昂輝』さんとは仲良くさせていただいております。あと、後ろにいるガタイのいい男は、僕のシークレット・サービスなので、お気になさらず」
ニッコリと微笑むアルノルドと、ありえないくらい激昂した祖父の姿をみて、倒れないか心配になるほどだった。これといった持病はないはずだが、血圧を上げるのはあまりよろしくない年齢には到達しているだ。今回、アルノルドは昂三を挑発しに来たわけではないはずだ。そして、ここでは敢えて『クリス』ではなく、『昂輝』の名前を選んでいた。
「生徒たちにピアノを教えていたんだけど、その後、アルノルドたちと合流して……それで……彼らの滞在しているホテルで色々と話を……」
おろおろしながら2人の間に入るが、なにかが噛み合っていない。後ろから、ヴァルターがドイツ語でマキナに声をかける。
「おまえ、ちゃんとアルノルドや俺と宿泊、と伝えたのか?」
「いいえ。土日はホテルに宿泊する、という件のみお伝えしました」
ヴァルターは頭を抱える。ドイツ語で答えたことにより、昂三と昂輝はそんなマキナに驚いていたが、ミヨは無反応だった。すでに、マキナの正体に気づいているのかもしれない。
アルノルドもそれに気づいているようだが、そこはスルーしていた。マキナは夫人に近づき過ぎている。想像するに、アルノルドに報告の電話をしてるところを目撃されたのだろう。
「生徒との宿泊でなかったのは、当たり前のことだ。コンプライアンスくらいは身につけているだろうからな。それでも、会うな、とあれほど伝えていたのに、アルノルドとホテルに宿泊とはどういうことだ?話し合いで、なにかが解決したのか?」
「彼はオーストリアに連れて行きますよ。彼も音楽の道を選ぶと言ってくれました。今すぐにでも連れて行きたい、とお願いしてるんですけどね。今の仕事の区切りがつかないと、来てくれない、と言うものですから、会いに来たんですよ。彼のOKが出るまでは日本にいるつもりなので、この離れに居候させてもらおうかな」
この発言にはさすがのヴァルターもドイツ語だったが、声を上げた。
「アルノルド!!おまえはホテルを取ってるんだから、そっちでいいだろう?」
「それじゃ、毎日クリスに会えないじゃないか。日本に来た意味がなくなる。」
大きなため息をつくと、ヴァルターが日本語で、通訳を買って出た。
「このままでは奥様に会話が通じません。こちらの通訳は私がしましょう。奥様の通訳はマキナがやってくれ。見ての通り、アルノルドは日本語がわからない。」
「わかりました。こちらの離れにアルノルド様が昂輝さまが日本を離れるまで、居候させていただきたい、とのことです。」
「まぁ、昂輝さん一人で住むには広すぎる部屋ですから、客間を使うとよろしいですわ。ただ、一つ、質問をさせていただきたいのですが、よろしいかしら?」
何を聞くのかと思いきや、
「アルノルドさん、貴方、うちの孫の昂輝さんを愛していらっしゃるの?」
「えぇ。愛してますよ。『運命の人』だとも思っていますよ。彼なしでは、生きていく気力もなくなるほど。生涯のパートナーだと思っています。日本にも来日の際には、こちらに寄らせていただきたいと思います。その頃には、奥様の前で彼とコンツェルトでも出来るといいと考えています。僕は楽器はへたくそですけどね。奥様の為に精進しておきましょう。」
英語で答えるアルノルドをヴァルターが通訳する。本当に歯の浮くような台詞を次から次へと吐き出されるのは構わないが、通訳する方が恥ずかしい。
「私にとっても、一番可愛い孫なの。絶対に幸せにしてくださいね」
それをマキナが英語で翻訳してアルノルドに伝える。
「もちろんですとも。この命にかけても幸せにすると誓いましょう。彼と一緒にいると、僕も幸せな気分になれるんですよ」
マキナは淡々と、ミヨの言葉を伝える。通訳つきで伝えられる昂輝も気が気じゃない。その会話だけで、2回同じ言葉を聴かされるのだから、ヴァルター以上に恥ずかしい。
「……で、昂輝さんも彼を愛してる、ということでいいのかしら?」
急に話を振られて、身体をビクッとさせてしまった。
「あ……は……はい……」
「思い合った相手なら、寂しいけど仕方ないわね。幸せになりなさいね。」
「わしは認めた覚えはない。おまえは萩ノ宮の人間だろう?何故、萩ノ宮を捨てようとする?」
「お父さん、何度も言いますがどんな形であれ、本人が決めたことです。今の時代は昔とは違うんです。
親の決めた結婚をするような時代じゃないんですよ。
美千代や紀美代をみれば、わかるでしょ?それに昂一だってそうです。アメリカで恋愛して、帰国直後は本人だって、アメリカに戻るつもりはあったんですから。
その時から、昂輝さんの話は聞いていたでしょ?自分の子供たちですら、自分たちで決めて結婚してるのよ?結婚して、子供を作ることだけが人生ではないんですよ。
跡取りが欲しいのは、よくわかります。
昂一も、昂輝さんも優秀ですから、それも悔しいことなのかもしれませんが、でも、愛してしまった相手が、たまたま同性だっただけなんですよ。
成人した子供たちが、どういう人生を歩むのかを見守るのも親の役目じゃありませんか?」
大和撫子的で、祖父に逆らうことなど見たことない祖母の発言に、目を丸くしたのは昂輝の方だった。祖父はもっと腹が立ったのだろう。
「おまえは経営に携わりもせず、のうのうと暮らしてきたから、そんなことが言えるんだ。」
「私からしたら、このご時勢に、家族経営などと言う閉鎖的な運営方法を取っている方がダメなんだと思いますわ。
だから、子供たちも、孫たちも、自分たちの野望はあっても、それに向けて努力をしようとしないような生活を送ることになるんです。
昂輝さんが有名になれば、昂一のしたことも表沙汰になるでしょう。それを逆に利用すれば良いだけの話です。
萩ノ宮家から、優秀な人材が育った、というだけでも、私はすばらしいことだと思いますわ。
昂輝さんを引き止めるのなら、家族経営ではなく、萩ノ宮の教師、すべてにチャンスを与えるべきです。
理事長の座だけ、イス取り合戦で争わせれば良いのです。それだけのお話で、理事には、優秀な人材を揃えるべきでしょう。
そうでないと、あの子たちは全員、このまま堕落した人生を送ることになりますよ。貴方は自分が築いた学園を、廃校に追い込みたいのですか?」
「……勝手にしろ!!」
と吐き捨て離れを後にしていった。長年、従順に暮らしてきた妻に言われた言葉に相当なショックを受けていたようだ。ひたすら、通訳をしていたヴァルターは、ミヨの言葉に興味を持った。
「本当に、日本人女性ってのは、すげぇなぁ。アレだけのことを言ってるのに、なんであんなに冷静に話せるんだ?それ以上にこの奥さんはあのエリコより、全然まともじゃねぇか。」
「あの女の話はするな。虫唾が走る。」
アルノルドにしては、珍しい物言いだが、エリコ……そう言えば田山姉妹と話していた真嶋恵理子の話をふと、思い出してしまった。あれも、常識の欠けてる女だった。あの父の恋人である真嶋と血縁だとは、信じがたいが、従妹だというのだから、困ったものだ、と思う。
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