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preparations 25
「ん?ディナーには昂三氏は現れないのかい?それとも僕がいるからかな?」
軽い嫌味を込めてダイニングテーブルに座るアルノルドが眩しいくらいの笑顔で言う。
本当にこの男は読めない。その言葉を本気で言ってないことはわかるが、それも、マキナの情報からだろう。
「いつもいないから、気にしなくていいよ。」
ミヨと昂輝が向かい合い、昂輝の隣にアルノルド、と近くに座り、マキナは料理を運んできては、ミヨの後ろに立っている。ヴァルターが一番、居場所に戸惑っていた。ミヨが自分の隣に来るように言うと、アルノルドとヴァルターが向き合う形で座る。通常であればありえない状況だが、ここではミヨがルールだと、マキナに言われ、渋々そこに腰を下ろした。
アルノルドがここに滞在する限り、この状況が続くのかと思うと、複雑な気持ちだ。マキナはミヨや昂輝の食事が終わってから、食事を取るとのことだったので、自分も、と申し出たが、ミヨからのお許しはもらえなかったのだ。
「いくら護衛の方だからといって、主人より後に食事をしていたら、もしもの時に、お食事をされていたから、といって許されるものではないでしょ?それに、こちらにいらっしゃる時は、お客様に変わりはないのだから、ご遠慮はいりませんのよ。
私も、テレビでしか見たことのない知識程度ですけれど、少し離れた距離でお食事を摂られながら、お守りする方の周りを意識なさってるんでしょ?たまにはリラックスする時間も必要だと思いますの。主人はここでは食事をしませんし、ここにはアルノルドさんをいじめる人間はいませんから、長旅の疲れもありますでしょ?のんびりなさってくださいな。
それでも、文句を言われたら、私から昂輝さんに『Detest』って言ってもらいますから。」
嫌い、という単語だけ告げると、アルノルドとマキナが身体をビクッとさせる。ヴァルターは苦笑いして、「それは頼もしいです」と告げる。『コウキ』とドイツ語の単語だけは聞き取ったアルノルドが微妙な表情で
「おい、なんでクリスに嫌いって言われなきゃならないんだ?」
向かいへの着席をするヴァルターへアルノルドがいつにもなく真剣な表情で尋ねてくる。
「俺の立場上、アルノルドと同席、しかも一緒に食事、ってことは、通常、特に外では有り得ないだろ?ここではアルノルドは狙われることはないし、昂三氏は食事を共にしないそうだ。
で、俺も客人の一人だから、遠慮なく座れ、って言われた。それで文句を言われるようなら、クリスから嫌いっていってもらうから、だそうだ。なかなか頼もしいご夫人だ。」
そう言いながらヴァルターはニヤリと笑う。昂輝も苦笑いしながら、そのやり取りを見守るしかない。目の前に出された食事を見ると、夫人は和食だが、アルノルドやヴァルターは洋食を用意させている。ここのシェフはなんでも作れるらしい。
「そういえば、昂輝さん、貴方、真嶋さんには色々と相談してたそうですね。先日、昂一と真嶋さんをお呼びして、お話をさせていただいたの。」
目の前の食事を小さく口に含みながら、こちらの返事を待っている。
「たいしたことは話してないんです。ただ、最初、何の意味もなく、オレが萩ノ宮を裏切ることになるかもしれないけど、許してくれるか?って。もう2年も前の話です。」
「そうなの。でも、貴方が生れ育った環境から考えたら、貴方は本当にいい子に育ったわ。それに知識も豊富。私たちの時代は、どんな恋愛をしたところで、結婚相手は親や親戚が決めていましたから、1度のお見合いで、結婚が決まってしまう世の中でしたの。
けれど、子供たちは自由に遊んで、子供が出来てしまったから、って親の反対を押し切ってまで、休学して出産をして、双方の親に迷惑をかけてまで、自分の家に就職出来ることを前提に好き勝手をして。教員免許だって、ギリギリで取得して、なんの苦労もなしに、小等部で教員をして、今はのさばっているし、その子供たちですら、立場の上にあぐらをかいてるようでは、この先の萩ノ宮はどんどんダメになっていきます。切磋琢磨して、自分を磨いていくことをしなければ、いずれ、は滅んでいく一方だと、私は感じるんですよ。」
祖母は元華族出身だからこそ、そういった結婚を強いられたのだろう。
「自分が残ったからといって、何かをさせてもらえるとは思っていませんが、萩ノ宮がここまでの学園になったことはすごいことだと思いますよ」
昂輝も正直に祖母に伝える。都度、アルノルドに通訳しているヴァルターは食べてる暇があるのか心配になるが、お皿の上はかなり減っている。
「けれどもね、昂輝さん。人生は一度きりなんですよ。真嶋さんも仰っていたでしょ?萩ノ宮はとても閉鎖的なところです。貴方は後悔のない人生を歩むべきだと、私は思います。せっかくの才能と、世界的にも有名なアルノルドさんからお声がかかることが、どれだけのことか、貴方も理解しなくてはいけませんよ?そのチャンスを必死で掴もうとしてる人が、どれだけいらっしゃるか、考えたことはありまして?踏み出さずに後悔するよりも、踏み出して、そのチャンスを活かせるかどうかは、貴方次第なのですよ?」
祖母の言葉に涙が出そうになる。アルノルドの手を取ったからと言って、自分の努力なくしては、アルノルドの隣に立つ資格はない。アルノルドが努力してくれたように、自分もしなければならないのだ。
「オレは、そんないい子として育っていません。たまたま知り合った人に勉強を教わったから、飛び級で大学に入ったけれど、普通の子供らしい成長をしてきませんでした。
いつも、まわりは自分より年上の人たちばかりの中で生活をしてきたので、同年代の人とどう接したらいいのか、イマイチわかっていません。母のことがあって、日本に来ましたが、なにもわからないまま、言葉が少し話せるようになった時に、趣味の一つとして始めたピアノが楽しくなってしまっただけのことだったんです。でも、コンクールで色んな人のピアノを聴いているうちに、音楽が好きになりました。
けれど、萩ノ宮には、音楽科はありませんし、音楽教師はすでにいらっしゃいましたし、お爺様がオレに与えてくれた仕事は、外部受験コースの英語教師でした。それが不満なわけでもなかったんです。ただ、容姿を隠すことは自分で決めたことですし……」
「そうですね。貴方がそのままで出て行ったら、女の子たちは授業そっちのけで、貴方の講義に殺到するでしょうね。」
とクスクスと笑う。笑い事ではないのだが……
マキナが食後の飲み物の準備を始めると、カートに数種類の茶葉とポット、お湯用のポットが乗る。食後に離れのソファに座り、何かを飲みながら、クリスのピアノを聴くのが定番となっている、とミヨからヴァルター、アルノルドへ伝言されていく。祖母へのリサイタルを兼ねた練習でもあるのだ。指の動きが、以前よりも滑らかになっているのがその証拠だろう。
「マキナさん、昂輝さんがピアノを弾いてる間、客間の用意をお願いできるかしら?」
「かしこまりました。2組分でよろしいでしょうか?」
「………… 一つでいいってよ……」
ヴァルターが面倒くさそうに答える。アルノルドはクリスのベッドでいちゃつくのが目的なのだから。
「あら、あら、まぁ……フフフ。アルノルドさんは本当に昂輝さんのことを好きなのね」
「そうですよ。僕は普段は一人寝ですが、彼と一緒でなら、ぐっすりと眠ることが出来ます。他の人では、眠ることが出来ないんですよ。ここまで来て、一緒に眠れないのでは、僕は不眠症になってしまいますよ」
食後のピアノを流しながら、アルノルドとミヨが会話をする最中、都度、ヴァルターが通訳をしている。本人に聞こえていないことだけが、幸いだとヴァルターは思った。
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