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preparations 27

主宰者側との初対面だが、きちんとした打ち合わせをするのは初めてだった。ある程度のことは、事前にヴァルターが伝えてくれていたこともあり、日本語で作成したものを書類に目を通しながら手際よく説明し、翻訳もしてくれる。もちろん、同じ文章でドイツ語で書かれたものが、アルノルドには渡される。 「大変恐縮ですが、アルノルドはドイツ語と英語しかできません。楽団の方々はいかがでしょうか?もし、不可能であれば、私が通訳に入りますが。」 淀みのない口調でヴァルターは目の前の人物たちに伝える。指示を出す上では重要になるからだ。 「基本的には音大出のプレイヤーが主ですからね。ドイツ語の指示を出していただいても理解はできるはずです。が、数人ほど外国語が苦手なプレイヤーがおります。楽譜は読めますから、その指示くらいはドイツ語でも理解はできると思いますが、細かい部分は通訳をお願いする人物がおります、というのが現状ですね。」 「わかりました。では、その人物をリストアップして頂けるとこちらとしては、大変助かります。パートと性別まで記載をお願い致します。個人的にお話をした上で、指示方法を決めていきたいと思います。」 日本人は特に名前のみだと性別がわからない。どのパートの楽器の奏者なのか、相手によっては言葉を選ばなくてはならないからだ。性的趣向までは聞くわけにはいかないので、そこまでの話はしない。東洋人を味見したい気分はあるが、のめり込まれても困る。 アルノルド自身は、クリスしか視界に入れないだろうが、万が一、この楽団の人間に誘われて乗るようなら、クリスはこちらが奪うまでの話だ。それでも、クリスを手放す気などはないだろうが、万が一の際には、クリス自身が決めることだ。 アルノルドが忘れられない、と未だに泣きついてくる連中も少なくはない。そんなことまでがSSの仕事なのだろうか?と首をかしげることもあるが、腐れ縁の延長線上に成り立つ関係上、仕方ないと割り切って入るが、たまに面倒臭いのもいるのが説得に骨が折れる。 『おまえ、いつか刺されるぞ』 とは伝えているが、本人はオーバーアクションで 『その時はお前が護ってくれるんだろ?』 と嗤う。本当に嫌な男だと思うことも多いのも事実だ。 『インキュバス』が存在するのなら、間違いなくアルノルドの父親のような男なのだろう。そして、その血を引き継いでいる子供たち全員が、面倒なことこの上ない性癖の持ち主だらけだ。 母親、と呼ぶ人間だけで、父親の周りには、8人の女性がいる。ところが、1人だけ、行方不明の女性がいるのだ。アルノルドの兄姉の中に2人、母親がわからない兄姉が存在する。その2人は双子なのだが、出生は隠されたままになっている。どんなに調べても、その女性が存在していたことが浮かびあがってこないのだ。何故、隠されているのかは不明だが、本人たちですら、育ての母のことを大事にし、産みの母親には興味すらないらしい。 けれど、同性愛者なのは、兄弟の中でもアルノルドとアルノルドの姪にあたる兄の次女だけだ。 アルノルドは成人しているが、兄の子供たちは未成年の為、父親が持つ別荘で隔離された生活を送っている。アルノルドの兄を殺した犯人が見つかるまで、ということだが、もうかなりの年数が経過しているのも事実だ。 アルノルドも実家の家業には興味がない割りに、兄を殺した人間を探すことには躍起になっている部分がある。クリスに出会う前までよりは、いくらかその気持ちも削がれているようだが、諦めてはいない。 今は、その執着を抱えたまま、クリスを手元に戻すことに必死になっている。今年のオーストリアでのクリスマスや正月のフェスティバルには参加するつもりはないらしい。 日本でのクリスマス・コンサートを選択したことから、盲目になっていることは一目瞭然だと伺えた。クリスマスの公演を終えたら、彼をオーストリアに連れて帰るつもりで、今回の来日を決めたのだから、それは間違いなく実行されるだろう。 その為の音作りの為にこうして打ち合わせて、その日に向かおうとしている。 オーケストラの指揮などというものは、事前に音を作り上げてから、指揮を振るのは、ちゃんとしたテンポを保つ為と、パフォーマンスの一環だ。 完全に音が作り上げられたプロのオーケストラであれば、当日に指揮者がいなくても、その指揮者の音を完全再現できるのだ。それでも、有名な指揮者の名前を出せば、集客力があるのは確かで、見目のいい『アルノルド・シュレイカー』という指揮者兼作曲家の名前は、十分すぎるほどの集客力を持っている。 その証拠に、今回のこの楽団も、アポイントを取ると、二つ返事でOKを出したくらいだ。 『本当にうちの楽団でいいんですか?』 と逆に聞き返された。アルノルドの要望にはピッタリの楽団であることには間違いなかったので、商談は即座に成立した。日本での予定があまりにも早く決定したのをいいことに、アルノルドは驚くほどの速さで来日を果たしたのだ。 もちろん、マキナを通して行動を把握していたので、生徒にピアノのレッスンをつけに行っていたことも知っていた。そして、そこに乗り込んで行った、というわけだ。 ところが、その「マキナ」ですら、魅了してしまう「クリス」という人間は性質が悪い。見た目の美貌を然ることながら、口が悪いのとは裏腹に性格は至って穏やかで優しい性質を持っている。 優しくされて、微笑まれようものなら、その場で虜にしてしまうほどの威力を持ち合わせている。 一度、死にかけた所為もあるのか、そこに儚さを添えてしまえば守ってあげたくなるほどだ。 マキナは幼いころから、工作員としての訓練を受けていて、多少のことでは心を動かすことはない。コードネームである「マキナ」という名前もその由来があるほどに。 愛を捧げる為のシンフォニーをどこまで作り上げるか、が見ものだな、とヴァルターは口に出すこともなく、隣のアルノルドと、楽団の人間と双方の通訳をしながら思っていた。

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