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preparations 28
無事に打合せを終えて、昼食を済ませた後、『萩ノ宮』学園へ車を走らせた。
まだ、クリスは仕事をしている最中だということはわかっていた。必要もないのにも関わらず、心配性のアルノルドがクリスの携帯にGPSを仕掛けているからだ。そのGPSは学園内を示していた。
『クリスの車を借りる以上、送迎に極力、真嶋の手は最小限に煩わせる程度にする、というのが筋じゃないのかな。だからと言って、バスや電車での通勤なんてもっての外だからね』
というのは建前で、アルノルドが1分でも長く一緒にいたい、というワガママからこの行動は始まっている。クリスに対する執着心なのか、ストーカー行為が悪化しているようにも思えてならない。確かに恋愛というものは、遠くで見ている時よりも、心が通じあってからの方が不安を覚えることも多くない。ヴァルターとしても、アルノルドとの長い付き合いの中でも、こんなアルノルドを見るのは初めてだった。
アルノルド自身も、迎えと称して、学校での様子も直で見ておきたかった。これまでは報告書でしか目にしていない内容だけでは、学校の雰囲気までは伝わってはこない。
せっかく、日本に来ているのだから、出来る間に出来ることをしてみたい、という期待感があることも否めない。
この次に、大学に訪れることがあったとしても、クリスは『植田昂輝』でも『萩ノ宮昂輝』でもなく、『クリストハルト・K・シュミット』と『アルノルド・シュレイカー』として、ゲストとして招かれる形になるだろう。そして、クリスと昂輝が同一人物だと知る人物は少ないはずだ。
生まれ育ったアメリカの田舎町から、母親を失い、当時は声さえも失っていたにも関わらず、言葉もなにも知らない土地に連れてこられて、やっと見つけた趣味から、プロ顔負けの力をつけ、その道を示すこともままならならないまま、好きな音楽の道を断たれ、腹を括った矢先に攫うように迎えに来たアルノルドは、ある意味、残酷な存在なのかもしれない。
けれど、惚れた弱みか、アルノルドは自分との人生を歩んでほしい気持ちを止めることが出来ないのだ。
実際に乗ってる人間はともかく、車種、カラー、ナンバーで認識された車は止められることなくゲートのバーが上がり、難なく通過した。高速道路の料金所に似たシステムだと思う。
業者や、登録のない車は、アナログに受付をして、氏名、目的、入門時間、退場時間を記載させられる。その為、そちら側のレーンは渋滞している。その反対側をバス専用レーンがあり、駅から来たであろうバスが受付の男性に挨拶をしながら、通過していく。タクシーもバスと同じレーンを抜けていく。
そして、許可証を無事に受け取った業者の車は、フロントの見える位置に許可証を提示してから、敷地内を走行する。真っ直ぐに伸びた道の両サイドには、桜の木が埋まっている。春になればさぞかし綺麗なことだろう。
まもなく冬になろうとしている桜並木は、枯れた葉をひらひらと撒いているだけだった。
同じ敷地内に、幼稚園から大学までを持つ広大な敷地の中にある学校だ。幼等部、小等部はかなり近い敷地にあり、中等部、高等部とそれなりの敷地を備えている。
その中でもいちばん大きな敷地を持つのが大学部だ。
エスカレーター式に上っていくシステムだが、途中入学の枠も備えている。
中途入学者はかなり浮く、という話だが、ぬるま湯に浸かったままの生徒達への刺激には持ってこいの人材が多いらしい。
それなりの成績を収めている生徒でなければ入学試験すら通らないのだから、大学への学部選びのライバルを途中で増やされることとなり、高等部の生徒も、ある程度の成績を上げていかなけらばならない。
自分の思う通りの学部に行くために、他人を蹴落としてでも、成績を上げなければならないことは、間違いないのだ。2年生から、文系、理系、他大コースと分かれてその為の勉強に勤しむことになる。
他大を受験する者もいるのは、血縁者にあのクリスがいるにも関わらず、音楽科や美術科、舞台演出コースや演劇科等といった芸術系の学部が無いからだ。
センター試験を目指す生徒もいれば、推薦コース枠を狙っている生徒もいる。
他の私立大学を目指している生徒もいる中で、その受験方法に合わせて授業をしていくのは容易なことではないだろう。
他大受験の大半は、萩ノ宮にはない、芸術系などの専門学部を希望する生徒たちで、そのコースを設立するによっては必要以上の場所をとる。
萩ノ宮は他大のように、学部によってその場所を変え、経営していく、という考え方をしていない。この先、世代交代になったら、もっと欲を出すのかもしれないが、その頃にはアルノルドにしても、クリスにしても、関係のないこととなっている。
ただ、現学園長の考え方が古い、ということだけは言える。この次の世代がどう考えていくのか、はわからないが、そんなことはどうでも良かった。
事務室に真っ直ぐに向かい、校内見学の許可を取り、許可証を首からぶら下げ、校内を歩き始めるが、なにぶん、アルノルドはクリスに負けず劣らずの見た目が目立つ容姿をしているので、特に女生徒からの視線を感じているが、授業中というのもあり、視線だけで収まってはいるが、授業が終わったら、騒ぎになりそうなので、早々に大学の方は見たいところをまわり、高等部の方へ移動した方が良さそうだ、とヴァルターは思うが、すべてを回るには時間がそれでは足りないだろう。
興味を引くような学部はないはずだが、アルノルドは日本文学科の前で足を止めた。少し教室の中を覗き、資料室へ向かう。膨大な量の蔵書やCD-R、DVD、などが並ぶ中に、一際、幼稚な場所がある。それを見てアルノルドがクスリと笑う。
『日本昔ばなし』
というアニメーションのDVDがずらりと並んでいるのは、クリスのような外国人や帰国子女向けのものなのだろう。実際にクリスは観ていたのだから、安易だが、為にはなるのだろう。
『日本のことを知らないんだから、丁度いいんだよ』
と言っているクリスが想像出来るところが、彼らしさなのかもしれない。ヴァルターは笑いを堪えながらそれをアルノルドへ説明した。
「確かにそうかもしれないな。」
アルノルドは笑うことなく、静かに答えた。
例えアニメーションで、見ただけでは日本のことを理解するのは難しいだろう。
アメリカの歴史の方が親しみがあるのが、クリスにとっては当たり前のことでもあるし、その前には音楽史も学んでいるはずだ。どれだけの知識を持っているのか、と考えると、『天才』的なセンスで、努力し続けた結果だ。
そして今度は『ドイツ語圏』に連れていくのだから、彼の順応性がどれほどかを知ることが出来るだろう。
あのレディ・リリィ相手に、欲情しない男だ。喰われたことがある、というのは聞いている。そして一晩中、世界的博士を床に座らせて説教していたというのだから、彼らの関係は面白い。
ギブアンドテイクがはっきりしている関係だけに、クリスもそれ以上のものを求めることもなかったけれど、きっと、レディ・リリィは違ったかもしれないが、今はそんな確認も出来ない。
彼女は何も語らないまま、文字通り墓の中に持っていってしまったのだから。
「さて、クリスの授業風景でも覗きに行こうとするか」
踵を返し、ヴァルターと、カレッジを後にした。
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