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番外編 障子の向こうは何する人ぞ

 青年は上司から渡された文を懐に入れて、たったっと軽やかに早足で向かう。これが終われば少し長い休みに入れる。せっかくならば城下に行って酒でも買いに行こうか。頭領の部屋の前に着くと、声を掛けようとした。だが…… 「くうっ………影……縄……」  男の悩ましげな呻き声が障子越しで聞こえてくる。……いや、まさか。あの精進潔斎を形にしたような頭領が昼間からそんなことをする訳が。青年は動けぬまま障子の向こうの声を聞き続ける。 「ふふっ主様。随分とお疲れな御様子ですね。これはやりがいがありますよ。」 「あぐっ……! もう少し……手加減をして……くれないか……」  聞き間違いようがない。余裕のある声が影縄様で、悩ましげな声を上げているのが頭領だ。あの二人は浮いた話など一切無いがまさか、二人がそのような関係とは……。 「こればかりは聞き入れられません。覚悟なさってください」 「待て……んんっ……は……あっ……」  無理だ。声を掛けられない。鬼祓いの青年はどうしようかと頭を抱えるのであった。  青年が部屋を訪れる一刻前、秋也は目を覚ました。ここ数日は評定(会議)に、作暦した暦の確認、藩の上士や貴族からの依頼のまとめと鬼祓いの部隊の派遣などと殆ど眠る暇など無く仕事漬け。疲れきったままに布団に倒れ込んだ筈だが、いつの間にかちゃんと布団の中に入っている。影縄がわざわざ掛けてくれたのだろうか。 「まずい……起き上がれるか?」  身体は鉛のように重く、急には起き上がれない。そのためゆっくりと起き上がるが、バキバキと不穏な音を立てて身体が軋む。 「うぐっ………」  秋也は顔をしかめて髪を掻き上げた。数ヶ月前に数えで41になった。若い頃は無茶もきいたものだが、数日の無茶だけでこんなことになるとは……。つくづく歳など取りたくないものだ。秋也は呻き声を上げながら額に手を当てて一気に身体にのし掛かる疲労による身体の痛みに耐えていると、青年の足音がした。 「主様、おはようございます。ご気分は……よろしくないようですね」  障子を開いて白湯の入った湯呑みを載せた盆を置くと、影縄は秋也の顔色を見る。主の顔は若干血色が悪く、顔にはうっすらと目の下に隈がある。眉間には苦痛を堪えているせいか、皺が寄っていた。 「ああ……しばらく床から離れたくない……。それに我が子にこんな無様な私を見せるわけには……」  桃香から間違いなく問い詰められるだろうし、時雨にも心配を掛ける訳にはいかない。それに父としては子供達に弱い部分を見せられないだろう。 「ならば、此方に膳を運んできます。主様はしばし床で横になっていてください」 「ありがとう……」  秋也が白湯を受け取ると、影縄は部屋を出ていった。一人になった部屋で秋也は白湯を少しずつ飲む。白湯は程よい温かさで、渇いていた喉を潤した。昔から今まで影縄を始めとした式神達に迷惑を掛けてばかり。特に昨年は式神達だけでなく我が子をも苦しめてしまった。妻と楓を喪った悲しみに引き摺られて目の前にいる子供達と向き合うことが出来なかったのだ。影縄や夜萩に止められなければ、私は先代と同じことを繰り返してしまいそうになった。それなのに時雨や騰蛇、桔梗は私を許してくれて、影縄とは想いを通わせ合う仲となった。   だからと私のような人間に信頼を寄せてくれる者達の為に頑張りたいのに、少しずつこの身体は老いていく。思いばかりが急いて、置いていかれるこの身の不甲斐なさに嘆くばかり。秋也は床に横になると、辛そうに顔を歪める。 「朝からこのような暗い考えなど……疲れすぎだろうか」  秋也は一人、自嘲気味に笑みを浮かべた。 「大体、7日で一睡もしてない日が2日も続き、それ以外も一刻程度しか寝ていない。そこに昨日一気に睡眠を取れば、そりゃあ全身が凝るわ」  桔梗はごりごりと薬鉢をすっていた。勿論、頭領の為の薬である。 「ですよね……。特に京で賀茂殿が主様と夜まで話されたことが大きいかと」 「そのせいで此方に帰る道中、魑魅どもが襲い掛かるものだから此方に着く頃には朝帰りの状態とか……賀茂の野郎、うちの頭領を殺す気か!!」  ぎりっと桔梗は奥歯を噛む。何せ、桔梗は赤子の頃から今まで秋也を見守っていたのだ。  颯月に引き取られる以前の蛍火(秋也)は父親と顔を合わせたくないあまり、桔梗の部屋に入り浸っていた。そこで桔梗が薬草や簡単な薬の調合の仕方を教えていたのだ。普段は無口で表情の乏しかった幼子が「これなあに?」と目をキラキラと輝かせていた様子を桔梗は昨日のことのように今でも思い出せる。去年こそ若干のゴタゴタはあったが、すぐに反省したようだし、そこは不問としていた。しかし、今回の体調不良は度しがたい。秋也のせいではなく、秋也を気に入ってる様子の賀茂の野郎が悪いのだが、己の体調管理が疎かな秋也も叱りたい。 「後で診察に行くから。……頭領に覚悟して大人しくしているように言ってくれ」  地の底を這うような女狐の様子に、影縄は悲鳴を上げそうになる。 「はい……分かりました」  影縄は薬を受け取ると、そそくさと部屋を出た。それから下女の方が作ってくだった朝食と桔梗の薬を運ぶ。 「影縄、すまぬな。ありがとう」  主は礼を仰ってから食事を口にする。朝食を残すことなく召し上がられたが、少し食欲が無かったのかいつもよりも箸の進み具合が遅かった。 「主様、これを。桔梗によると疲れを癒すための薬だそうです」 「ああこれか。……飲まねばならないか?」  主様は目で飲みたくないと訴えてくる。桔梗はわざと主様の薬を苦く不味くしてある。それは主様が嫌いなのではなく、主様が何度も無理をしないようにと釘を差す目的なので、私が桔梗の言うことに口を挟むつもりはない。それに私とて本当は主様に無理をしてほしくないのだ。だけどそれを止めることなど出来なくて、歯痒いのだけれど。 「飲まないと駄目ですよ。じゃないと桔梗が怒りますし、私も怒ります」 「それは……嫌だな」  小波のような影縄の声が少しだけむっとしている気がして、秋也は覚悟を決め一気に薬を飲み干す。途端に舌に広がる苦味と不味さに秋也が無言で耐えていると部屋の外から声を掛けてきた。 「頭領、入るがいいかい?」  桔梗が怒っている気がする。何を言われるのだろうか。秋也はため息つくと応えた。 「……構わない」  ああ、子供の頃のように叱られるだろうか。秋也は気まずそうに目を伏せた。  桔梗は部屋に入るなり、秋也の身体を診ながらくどくどと説教した。 「大体、昨夜はさっと水浴びしてから眠ったって阿呆か! 疲れているときこそちゃんと風呂に入るべきだと何度言わせるつもりなんだ!」 「いや……本当に昨日は風呂に入る余力など無くてな……」 「風呂に入るくらいの体力は残しておくべきだろうがこの阿呆!」  昔から思うがこの二人は親子か何かか。桔梗と秋也のやり取りを黙って聞いていた影縄は胸中で呟く。桔梗が心配するのも分かる。だが相手は一応この里の長だ。仕事は減らそうにも中々難しい立場にある。 「桔梗、気持ちは分かりますが、もう少し落ち着いて立場を弁えてください」 「影縄も同罪だよ。ったく右腕なんだから力ずくで止めなよ。大体影縄は頭領に甘すぎるし……」  説教の矛先が影縄にも向けられ、影縄は申し訳なさそうに正座をする。説教は一刻続くと思ったが、頭領の不調が優先と判断したのか、四半刻で済んだ。 「頭領は今から風呂に入ること。影縄は風呂上がりの頭領に按摩でも施してやんなさい。うちの親父直伝の按摩はあんたが一番上手いし」  按摩は主が一時的に療養した際、桔梗の父である棗殿から教わったものだ。あれはすんなり覚えられたが……ちょっとだけ問題がある。だが別に腕前などではないので構わない。 「はい、承知しました」  影縄は、説教を受けて疲れが濃くなった主を横目で見ながら頷いた。  秋也は熱い湯に浸かりながら溜め息を吐いた。 「ふう……」  丁度良い湯加減。だが風呂炊きに驚恐を司る騰蛇の力を使って良かったのだろうか。申し訳ないというか、とんでもない無駄遣いというか。 『いや、此方がさっさとやらないと桔梗に怒られるし……』  などと騰蛇が言っていたので、あやつも桔梗に説教されたのだろうか。……本当にすまない。あとで菓子か酒でも買うことにしよう。  身体を浴槽の中で揉みほぐしていく。それでも数日の疲れは四十路の身体に蓄積されており、中々固い気がする。やはり按摩をしてもらったほうが良いだろうか。影縄の按摩は心地好いのだが、何故か終える頃には影縄が複雑そうな顔をしているので、少し頼みづらい。それに最近では按摩をしてくれた後の影縄の顔が赤い気がする。その理由が気になるのだが、まだ分からない。直接尋ねづらいので代わりに夜萩に聞いてみたのだが……。 『まあ頭領、知らない方が良いことってあると俺は忠告しておく』  夜萩はぎこちない笑みを浮かべてそんなことを言っていた。私に問題でもあるのだろうか。それならはっきりと言ってほしいのだが。考え事をしている内に少し目蓋が重くなったので、秋也は顔を横に振った。 「もう上がるべきだな」  此処で考えても答えは見つかりそうにない。按摩の時かその後にでも聞くとするか。秋也は湯から上がると着流しに着替え、すぐに己の部屋へと戻った。  部屋に戻ると影縄が香炉で何かを焚いて待っていた。 「丁度、落ち着くような薫りの物を焚いておりました。如何でしょうか」  香りは何度か嗅いだことのあるもの。別に問題はなさそうだし、嫌なものでもない。 「ありがとう、影縄。それで私はそこに俯せになれば良いか?」 「はい。按摩をした後、お灸をしろだとか」  灸……。俯せになりかけた秋也の顔が強張る。幼い頃のせいで背中に何かされることが苦手だ。特に熱を与えるようなことなど。桔梗とて分かっているのにそれはないだろう。秋也は不機嫌そうな顔を見せないものの、主の胸中を察したのか影縄が慌てて続ける。 「嫌ならばお灸はしなくても良いと桔梗が申しておりましたがどうされますか?」  嫌ならばということは察した上での提案だったのか。好意は無駄にしたくないが、灸などはどうも嫌なことを思い出しかねない。今とて僅かに古傷が痛むのだから。 「すまないが按摩だけで頼む。我儘とは分かっているがな……」 「いいえ。無理に我慢する主様を見たくはありません。その分、私が頑張りますので」 「ああ、たのむ」  秋也はほっと息をつく。影縄には触られるのは平気だ。灸のような熱さもないし、かえって少し冷たい彼の手のひらは落ち着く。秋也は身を影縄に預け、ゆっくりと目を閉じた。 「んっ……」  探るように、影縄が何ヵ所かに軽く指圧をかけていく。そして何かを見つけたか、ぐっと指圧が強くなった。 「くうっ………影……縄……」  気持ち良いが、痛いという何ともいえない心地。影縄はふふっと笑い声を上げた。 「ふふっ主様。随分とお疲れな御様子ですね。これはやりがいがありますよ。」 「あぐっ……! もう少し……手加減をして……くれないか……」  影縄は細身の割には指圧に手加減がない。別の箇所を押されて思わず呻き声が出た。 「こればかりは聞き入れられません。覚悟なさってください」 「待て……んんっ……は……あっ……」  耐えられない訳ではないが痛い。それでも筋肉の凝り固まった部分を解されるのは、気持ち良いものである。 「はっ……ん……そこ……を……もう少し……強くしてもらえると……」 「こうですか?」  ぐいっと強く押されると凝りを砕かれたように感じた。 「そうっ……影縄……ん……」  気持ちいい。ずっとこうしていたい。だが障子の向こうから視線を感じる気がする。鬼祓いの若衆なのだろうが、何故か声をかけてこない。こちらが按摩中だからと待っているのだろうか。 「はっ……ん……」  こちらから呼んでみようとも思ったが、焚いている香のせいか眠い。起き上がる気力も起きない。 「ぐ……あ……っ」  特に凝っている部分を押され、呻き声が零れる。丁度良い加減で影縄が押すのでありがたい。自分はこんなにも身体が凝り固まっていたのか。もう四十路なのだから色々と対策は練るべきか。やはり仕事を減らすのがいいか。そのためには頭領の仕事を時雨にもう少し教えるべきであろう。だが与えすぎてはこちらが若君に睨まれかねない。 「ん……ん……ん……」  長く考え事をしている内に、指圧から叩打に切り替わる。こちらは若干弱いものの、背中全体を程良い強さで叩かれるのは気持ち良い。 「影縄……少し……強く叩け……」 「はい」  少し力を強めにして叩かれる。身体の肉が柔らかくなっていく気がする。まるで調理される前の獣の肉だな。秋也は笑いそうになった。 「あっ……ん…ん……ふっ……う」 「あの……頭領。お取り込み中なのは承知ですが………文を渡すように申しつけられまして……」  どのくらい時間が経ったか。ようやく障子の向こうから声が聞こえた。  縁側にでも置いて行ってくれても構わないが、万が一風に飛ばされる可能性もある。影縄に一旦中断するように目配せすると、影縄の手がゆっくりと離れた。 「入れ。今から確認する」 「えっ!? いや、でもいいんですか……!?」 「私が入れと言っているだろう。悪いことなどあるものか」  障子の向こう側の若衆は何か動揺しているようだ。文の内容に、何か良くないことでも書かれているのだろうかと気になる。若衆は少し戸惑っているようだったが、障子にゆっくりと手を掛けた。 「本当にすいません……。部屋の中は見ないので文だけでも受け取っていただけると……」  下を向いて頬を赤く染めた若衆が現れる。いや、別に部屋の中を見られても平気なのだが。それよりも何かあったのだろうか。具合が悪そうだが……まさか熱でも出したのでは。秋也は傍にあった羽織を肩にかける。 「部屋の中は見ても構わない。それよりもお前、顔が赤いが大丈夫か?」 「っ……!? 俺……いや私は大丈夫です!? いけません頭領! そんな……頭領は影縄様と……あれ……?」  尊敬している頭領の手が頬に触れ、青年は驚いて顔を上げる。頭領のあんな所を見るわけにはいかない。そう青年は胸に決めていたのに、うっかり部屋を見てしまった。  だがそこには青年が予想していた光景はない。部屋の中央に布団が敷かれているものの、さほど乱れた形跡はない。部屋の隅には香炉が置いてあり、香を焚いているのか良い香りが鼻腔を擽る。そして目の前には羽織を肩にかけ着流しを纏った頭領と、その背後にはたすき掛けした影縄が目に映った。 「何を……していらっしゃったのです……?」  青年が何を考えていたのか分からない秋也は、怪訝そうに首を傾げた。 「何をって按摩だが。疲れが溜まっていたので影縄にな」 「そう……なのですか」  青年は安堵したように大きく溜め息を吐いた。良かった。次代が若君に寵愛を受けているという話や、療養中の若君と次代が二人が夫婦のように仲睦まじく話をしている様子を目にするものだから、てっきり頭領と影縄様もそのようなことをしているのではと勘違いしてしまった。大体朝から頭領がそんなこと…… 「お前は私が何をしていると思ったんだ?」  安心していた所に、頭領からそう聞かれて心の臓が止まりそうになる。必死に頭を働かせて言い訳を考えた。 「いえ……! な、何でもないです。それよりも、これ文です! 頭領、失礼いたしました」  青年は何とか言い訳を言い終えると、さっと逃げ帰る。その様を怪訝そうに秋也は見送る。熱は無いようだったから良いが、何をしていると思ったのだろうか。考える秋也の背後で、影縄はもしかして……と苦虫を噛む潰した顔をしていた。秋也は文を一度確認したが、内容が急用ではなかったことに安堵する。 「影縄、すまぬがもう少し按摩をしてもらっても構わぬか」 「え……あ……はい。 大丈夫ですよ主様」  影縄は秋也に微笑むと、按摩を再開するのだった。  逃げるようにその場を離れた青年は、屋敷の敷地から出ると深呼吸をした。 「俺ってば……馬鹿」  按摩されている声があまりにもあれで、早とちりしてしまった。第一、精進決済を形にしたような頭領が、そんなことをする筈無いというのに……。 「どうした? そんなに急いだように出てきて」 「や……夜萩様…!?」  頭領の片腕である夜萩様に遭遇してしまうとは。いや、ここで言い訳する必要がないだろう。青年は息を整える。 「先程頭領に文をお渡ししたのです。ですが、頭領が按摩を施されている最中でして……」 「あー……按摩か。なるほど。お前の顔が赤いのはそういうことか」  夜萩様はにやにやと俺を見る。何故そのように俺を見るのだろうか。嫌な予感しかしない。 「お前、頭領に欲情したのではあるまいな」 「何故……!? いや、そういうのでは……!」  確かにあの声に鼓動が煩くなったのは事実だ。男の中心が勃ちそうになったが、必死に耐えて何とか静まった。夜萩様が一歩近づいたので後退りする。だが手首を掴まれた。 「そんなに怯えた顔をするな。別に咎めるつもりはないんだから」 「そうなのですか……? 良かった……」  蛇神の餌にでもされると怯えていたので、生きた心地が一瞬しなかった。俺がほっと息をつくと、夜萩様は腕を組んだ。 「まあ……按摩の最中の頭領の声は艶かしい。さらに悪いのは、本人は自分の声の艶かしさに気づいていないことだ」  そうなのだ。あの頭領からあんな声が出るとは思わなかった。紅原の初代の記録や次代様が寵愛されていることなどから、紅原家の者は女役が向いているのは知っていたが頭領までもがその傾向にあったなど知らなかったのだ。それにしてもあれで無自覚なのは恐ろしい。 「頭領も紅原の血筋ということよ。しかしながら恐らく頭領は女役は未経験だろう。昔からそういうことは毛嫌いしていたからな。むしろ俺からすれば……いやこの話は止めよう」  頭領に怒られるからなと夜萩様はにっと笑う。それに俺は頷いた。それにしても……頭領は衆道のご経験はあるのだろうか。いやそんな不敬な考えは止めておくのがいい。考えを振り払い青年は自分の住む家屋に戻って寝ることにした。 「……按摩の最中はいやらしい声出すくせに、何で秋也は男役なんだろう。まあいいか。本人達は仲良くしているみたいだし」  誰にも聞こえないように夜萩はぽつりと呟く。そして仲良きことは良きことなりなどと口にしながら妻子が待つ家に向かうのであった。 「ふう……お陰で身体が軽くなった。影縄ありがとう」 「どういたしまして。主様がそう仰ってくださるなら光栄です」  按摩が終わって秋也は起き上がる。そして影縄の異変に気づいた。どうにも影縄の顔が赤い。影縄も体調が悪いのだろうか。 「影縄も何やら顔が赤いが大丈夫か?」 「いえ、身体はいたって健康です。ですが……」  もじもじとする影縄。影縄は按摩の最中の主の声に欲情したなど言うに言えなかった。想いを通わせる前から按摩の際の主の声に妙な気持ちになったがこのことか。影縄は伏し目がちに答える。 「あの……ご無理を承知で申し上げるのですが……今夜……いいですか……?」  影縄の顔の赤い理由を察した秋也は笑みを浮かべて頷いた。 「影縄がそう言うならば喜んで相手をしよう」  嬉しそうに微笑む影縄の唇にぬくもりが重なる。影縄は主の背に腕を回して布越しの体温に目を閉じた。

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