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 揮発したアルコール、揺蕩うタバコの煙、男女の様々な香水、揚げ物の油、誰かの体臭。   大衆居酒屋の個室のすみっこで、ウーロン茶をチビチビ舐めていた谷岡依弦(たにおかいづる)は、何度目かのため息をついた。 ――帰りたい……。  大学に入って最初に出来た友人に無理やり誘われて入ったサークルの飲み会に呼び出されたのだが、依弦は酒もやらない、タバコも吸わない、ましてや合コンのような飲んで騒いでヤリあって、みたいなことが苦手な方だった。  現に、顔も成績も普通、全く目立たない彼を気にする人はこの部屋には誰もいない。呼び出した友人もどこかに行ってしまったし、派手な見た目の女の子を両隣に座らせてワインを一気飲みしている先輩を尻目に、依弦はトイレに行こうと立ち上がった。 「あれ、三崎?」 「……依弦、か?」  トイレへ向かう途中、別のオープンテーブル席に昔の幼なじみ、三崎裕輔(みさきゆうすけ)が座っていた。思わず依弦は丸っこい目を更に丸くさせて声をかけると、裕輔の方も声をかけたのが誰か気付いたようで、細いつり目を少し見開いた。 「久しぶりだな、お前も合コン?」 「あー、多分? サークルの飲み会って言われて連れてこられたんだけど、先輩たち女の人とイチャイチャしてるから」 「イチャイチャって……あははっ、なんだ、とうとう色気出したのかと思ったら人数合わせかー。確かにお前、世間一般的には地味だもんな」 「酷いなぁ」  グラスを傾けながらニヤニヤと笑う裕輔に、依弦は口を尖らせた。中身が空になったグラスをテーブルに戻すと、手元のカバンを引き寄せながら依弦に向き直り「抜け出さねぇ?」と問うた。 「僕の家、ここから近いから。ウチで飲み直そうぜ」 「え、いいの?」 「ダメなら誘わないだろ。行こうぜ」 「ま、待って……さ、先にトイレ行かせて!」  依弦の言葉にまた吹き出した裕輔に少しモヤモヤしながらも急いで排泄を済ませ、サークルの代表といつの間にか戻ってきていた友人に帰ることを伝えると、依弦は慌てて裕輔のあとを追った。 ◆◆◆ 「じゃあ、改めて。再会に乾杯」 「か、乾杯」 カチン、とグラスがぶつかる音が小さく鳴った。グビグビとビールを胃の中に流し込み、唇についた泡を舌で舐めとる。コンビニで酒類と一緒に買ったツマミの中から枝豆を取り出し口に含むと、濃い塩分に笑みが零れた。 「しかし、中学の時以来だね、元気してた?」 「一応……な。つか、お前どこの高校と大学行ったんだよ。クラスメイト誰も知らないって言うし、近所で全然見かけなかったし」 「えっ、と……秘密」 「なんだそれ、ひっでー」  依弦のグラスの中が空になり、缶からまたグラスに残りを注ぐ。泡が溢れる前に口をつけて、半分ほどを一気に飲み干した。 「依弦、さっきの店でも飲んでなかったか? 潰れないように気をつけろよ」 「潰れないって。さっきはただのウーロン茶で、アルコールは入ってないよ? それに俺、普段は全然お酒飲まないし」  なら尚更危険なのではないか、と裕輔は逡巡した。依弦は再びグラスを空にすると「ちょっとトイレ貸して」と立ち上がった。 「あぁ、出て左のオーナメント吊るしてるドアがトイレ」 「わかった、ありがとう」  ドアが閉まる音が響いたと同時に、裕輔もグラスの中身を一気に飲み干した。視線の先には、依弦が飲んでいたグラス。おもむろに手に取った裕輔は、依弦が口をつけていただろう箇所に、舌を這わせた。 「…………いづ」 ◆◆◆ 「お待たせ、ごめんね」 「いや、使い方大丈夫だったか?」 「うん、ウォシュレット付きにはビックリしたけど」 「安いマンションでも、これはちょっと助かってる」 「ウォシュレットが?」 「ウォシュレットが。後付けじゃないからな、あれ」  なにそれ、と依弦は吹き出した。新しく()がれたグラスを手に取り、「足してくれたんだ、ありがとう」と呷った。 「依弦、酔っ払ってるだろ、そろそろやめたらどうだ? 水持ってくるから」 「えー、いらないよー」  テンションが上がってきたのか、ニコニコとペースを上げてアルコールを摂取する依弦。顔を真っ赤にしながら、水を拒否してお酒のグラスを離さない。  しかし、酔いが回ったのか突然ピタッと動きが止まり、ウトウトと船を漕ぎ始めた。 「依弦」 「んー……?」 「眠い?」 「んー……かもぉ?」 「完全に酔ってるな、だから水飲めって言っただろ」 「んー……おれ、飲みすぎてる?」 「そう。普段飲まないなら、尚更自分の限界量くらい把握しとけよな。今日は泊まってっていいから」 「んー……ごめん、ね……」  ソファの背もたれにズルズルと体を預けて、とうとう依弦は意識を飛ばし寝落ちてしまった。 「……おやすみ、いづ」  今だけ、ゆっくり休んで。  裕輔は依弦の体を抱き上げて、部屋を出た。

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