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1章 1ー2
彼が人混みに消えていくのを眺めた後、正哉は絵里奈に目線を移す。
「行こう。家まで送ってく」
「え、いいよ。お兄ちゃん遠回りになるじゃん」
「いや、この時間あそこ危ないから」
絵里奈が住むアパートは駅前の飲み屋街を突っ切った先にある。疫病が流行ってから落ち着きはしたものの、金曜日の夜はそれなりに賑わっている。妹を1人で歩かせたくなかった。
正哉が歩き出すと、絵里奈は大人しく付いてきた。
「びっくりだったね、祥哉さん」
「一体どこで会ったの?」
「映画館、新宿の。最初ね、お兄ちゃんかと思って声かけたの。そしたら祥哉さん、お兄ちゃんに会いたいって」
「ふぅん。でもよくわからない奴について行くなって前も行ったよね?」
「よくわからない奴じゃないもん。映画、凄く詳しいし」
突然兄の双子の弟を名乗る男がよくわからない奴じゃなくて何なんだ、と正哉は思った。そして映画について詳しいかどうかなんて何の判断基準になると言うのだろう。
絵里奈は所謂変わった子だ。抜けているところが多く、一人暮らしをさせるのも正哉は心配だった。
「あの人、本当に私の弟なのかな」
「そうだよ、絶対」
本当にそっくりだった正哉と祥哉。あれを見せつけられれば誰もが双子と認めざるを得ないだろう。
しかし長崎に居たはずの祥哉が何故東京にいて、1人で自分を探していたのか正哉にはわからない。少なくとも正哉は自分にいるはずの双子の弟のことなど普段考えないし、今日自分の目の前に彼が表れてその存在を思い出したくらいだ。
居酒屋の前で煙草を吸う男達に顔を顰める正哉。
「明日あの人の話聞けるといいね」
「うん。お兄ちゃん、祥哉さんのこと全く覚えてなかったの?」
「覚えてない。物心付く前に母さんは離婚したから」
「そっか」
話している間に2人は飲み屋街を抜け、住宅街に差し掛かる。そして周囲が静かになると正哉は少しほっとした。
絵里奈がポケットからスマートフォンを取り出す。
「そうだ。祥哉さんの連絡先、お兄ちゃんにも送っておくね」
「え、いいよ。絵里奈が知ってれば十分でしょ」
「お兄ちゃんとも連絡取れた方がいいよ。兄弟なんだし」
「……まあ、別にいいけど」
絵里奈は少し強情なところがある。祥哉の連絡先を知ったところで損することはないのだから受け取っておこう、と正哉は諦めた。
2人は絵里奈が住むアパートの前まで来た。
最寄駅から徒歩5分、最寄駅から新宿までは電車で約25分の好立地。ただし築40年の古いアパートで5階建て、エレベーターはない。そこの4階に絵里奈は住んでいる。家賃は月に5万8千円だ。
足を止めて絵里奈は正哉を見上げる。
「じゃあ、お兄ちゃん。ありがとう」
「ああ、早く寝るんだよ。おやすみ」
「お兄ちゃんもね。おやすみ!」
朗らかに笑って絵里奈はアパートの階段を登っていった。
正哉は1つ息を吐き、自分の住むアパートへと向かって歩き出す。
明日母親に自分の弟だと言う男を会わせるのが少し怖い。スマートフォンには、西祥哉という人間からのメッセージが入っていた。
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