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1章 4ー2
「祥哉さん、聞いてもいいかな」
間近に来た正哉の顔に、祥哉は心臓が高鳴るのを感じた。それを彼に悟られないように平静を装う。
「ん?」
「私達のお父さんってどんな人だったんだい?」
「ああ……」
正哉は自分の本当の父親を知らない。母親を知らなかった祥哉のように。気になるのも当然のことだろう。
逡巡して口を開く祥哉。
「無口な仕事人間だった。正直なところ、僕もよくわからないんだ。僕は父さんの工場で働いてたけど、いつも仕事の話しかしなかった」
「そうだったんだ」
「うん。ほとんどおばあちゃんに育ててもらってた。おばあちゃんはよく笑う優しくて頭の良い人だった」
「その、おばあさんも亡くなったんだよね」
「うん……」
祥哉は少し悲しげに俯いた。彼のその様子に正哉も顔を曇らせる。
「……泣いた?」
「え?」
「お父さんとおばあさんが亡くなった時、泣いた?」
「ううん」
首を横に振る祥哉。強がりでも何でもなく、本当に2人の肉親が息を引き取った時、全く涙を流さなかった。何故彼がそんなことを聞くのか祥哉は不思議だった。
また1口酒を飲んだ正哉は、溜め息を吐く。
「私も。父親が死んだ時、全然涙が出なかった」
「……正哉さんのお義父さんはどんな人たったの?」
「良い人だったよ」
そう即答し、続ける正哉。
「私が10歳の時、母親は父親と再婚した。それまで凄く貧乏だったけど、あの父親と暮らし始めてやっと普通の家庭になった感じだった。母親は幸せそうで、父親は絵里奈と同じくらい私を可愛がってくれた」
「本当に良い人だったんだね」
「うん、好きだった。……でも何でだろ、22の時に父親が死んでも私はなんか、悲しみ切れなかったっていうか……母さんと絵里奈は凄く泣いてたのに」
「ああ、わかる気がする」
そもそも祥哉は普段からあまり感情が動かされることがない。正哉も同じなのかも知れない。
「僕はね、家族なんてどうてもいいと思ってた。いてもいなくても一緒なんだってさ」
「うん」
「でも父さんもおばあちゃんも居なくなって、あなたを探したくなったんだ。本当はどうでもよくなんかなかったのかな。家族は必要なのかも」
「そういうものなのかな」
正哉がわざとらしく肩をすくめ、祥哉は柔らかく笑った。
「正哉さんは家庭を持とうと思わないの?」
「思ったことないな」
「……でも、恋人いるんじゃないの?」
祥哉は再び正哉のベッドサイドのコンドームに目をやった。その視線の動きに気づいたのか、笑う正哉。
「ははっ、今はいないよ。それはね……ちょっと前までいたんだ」
「別れたの?」
「まあね。でもそんなに真剣な付き合いじゃなかった。私は1人の人と長く付き合うのが苦手みたいなんだ」
そう、と祥哉は小さく返した。正哉が言っているのはつまり、セックスフレンドならいたということなのだろう。
祥哉は正哉のことをもっとお固い人間だと思っていたが、違っていたらしい。真面目に妹の世話をしている反動なのだろうか。
「その人のこと、好きじゃなかったの?」
「うーん、よくわからない。嫌いではなかったと思うよ」
正哉は好きだとはっきり言えない相手と性交したのか。祥哉にも彼と同じ経験がある。しかし彼の返答は祥哉の中に複雑な感情を生んだ。
その感情は嫌悪なのか、軽蔑なのか、それとも同情や憐憫の類いの感情なのか。それは祥哉自身にもはっきりさせられない。
暫しの沈黙の後、正哉は空になったグラスにまた酒を注ぎながら言う。
「祥哉さんは恋人いるの?」
「いや、いないよ。1人の方が好きだから」
「じゃあ君も家庭は持たないつもりなんだ?」
「そうなるのかな」
曖昧に祥哉はそう答えた。祥哉は自分自身のことを話すのが苦手だ。それは37歳という年齢にしては自分の明確な考えをあまりにも持っていないからだろう。
「あんまり、女性を好きになれないんだ」
そう付け足した祥哉に、グラスをテーブルに置く正哉。
「“女性は”?」
「ん?」
「男性なら好きになるの?」
「え、あ……何で?」
祥哉は他人を好きになれないという意味で“女性は好きになれない”と言ったのだが、正哉の質問が想定外で質問で返してしまった。
正哉の表情は至って真面目なものだった。
「私は男性の方が好きだから」
「……へ?」
正哉の告白を聞いた瞬間、祥哉は自分の感情を理解した。
家族を失ってから、2年間探し続けた自分の片割れ。その男が自分の大切な何かだと思い込み続け、そこから生まれたこの不思議な執着心。
そして偶然見つけたこの戸田正哉という美しい男に感じた運命。自分はこの男を見つければ手に入ると心のどこかで思っていたのだ。
その男が性に対して奔放だということを知った時の複雑な感情────あれは怒りと嫉妬だ。正哉への怒り、彼と性交をした者達への嫉妬。
全てが曖昧で強い感情を持つことが出来なかった祥哉が、唯一持った双子の兄弟への強い執着心。それが彼の中で弾けた。
「正哉、さん」
祥哉は呟くようにそう言い、テーブルの上にあった正哉の片方の手首を掴んだ。
唐突な祥哉の行動に正哉は驚いて彼の顔を見た。その瞬間、祥哉は彼の手を自分の方に引きながら距離を縮める。そして彼の後頭部に手を回し、唇を奪った。
「…………?!」
驚愕して直ぐに彼を跳ね除けた正哉。しかし手首は掴まれたままで、目の前の彼の琥珀色の両目にじっとりと見られるのを感じる。
「何のつもり?」
「嫌かな? 正哉さん」
祥哉の片手が今度は正哉の太腿にスラックスの上から触れる。その手つきに正哉は自分の中の欲望が疼くのを感じた。
目の前の祥哉という男は身なりこそ少しだらしなく見えるが、顔も自分に触れるその指先も綺麗だ。先日初めて会ったのだから兄弟という感覚も薄い。
この男が自分の身体を求めているなら応えればいい。正哉にとってそれはほんの些細なことなのだ。
「……嫌じゃない」
正哉は欲望に任せてそう返した。そして顔を祥哉に近づける。唇が重なる寸前まで。
「私を抱きたいの? 祥哉さん」
そう言いながら正哉の手は祥哉の股間に触れた。彼のその行動に祥哉は驚きながら彼の腰に手を回す。
「いつもそうやって男を誘ってるの?」
「……先に誘ってきたのは君だよ」
そして2人は唇を重ねた。
正哉の唇の隙間から祥哉は舌を滑り込ませた。するとそれに正哉の舌が絡みつく。口内の温度の中に微かに感じる日本酒の匂い。
片手で正哉のシャツの釦を外していく祥哉。高揚感で身体が熱い。どうしようもなく彼が欲しい。彼の全てを見たい。今までこんな激情は知らなかった。
唇が離れると、唾液が銀色の糸を引いた。
シャツの釦を全て外された正哉は、さらに服を脱がせようとする祥哉の手を掴む。
「待って」
「ん?」
「シャワー浴びよ……2人で」
そう誘われた祥哉は、戸惑いながらも頷いた。
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