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1章 7ー2

 部屋の床に落ちていた服を拾い、洗濯カゴへと入れていく絵里奈。洗濯機をもう1度回すつもりらしい。  「頑張って片付けないとなぁ」  彼女の言葉に、空きペットボトルや缶を袋にまとめていた正哉は振り返った。  「ん? 珍しいね。絵里奈が片付けする気になってる」  「うん……来週末、うちに祥哉さん来るの」  「…………え?」  驚愕した正哉は手に持っていたビニール袋を床に落とした。袋に入っていた空のペットボトルが床に転がる。  それを見て絵里奈は正哉に近づく。  「何やってるのお兄ちゃん」  「……え、あ、いや……祥哉さんが来るの? この部屋に?」  「そうだよ?」  当然のように彼女が返答するので、正哉は眉を眉間に寄せた。  「何で? そんなよく知りもしない男を部屋に上げるなんて……」  「知らなくないよ。お兄ちゃんの兄弟だし」  「知らないでしょ。つい先週知り合ったばっかりで大して話もしてない」  「話もしたよ! 昨日の夜たくさん電話で話したもん」  彼女がそう言うので正哉はますます驚いた。  つまり祥哉は昨日、正哉の家から帰った後に絵里奈に電話をし、来週彼女の家に行く約束をしたということか。一体どういうつもりなのか全く分からない。  昨日の彼のあの態度はなんだったのか。簡単に自分とセックスした男だ。簡単に狙いを自分から絵里奈に移したということなのか。  「昨日遅くまで電話してて今朝起きられなかったってこと?」  「うん……、だって祥哉さん突然電話したいってメッセージ送ってきて、凄く寂しそうだったから……」  「はぁ?」  あまりのことに額に手を当てた正哉。  祥哉もわからないが絵里奈も分からない。知り合ったばかりの男から夜に突然電話したいとメッセージを送られたら普通女は気持ちが悪いとしか思わないはずだ。  祥哉は自分と同じ顔をしているから絵里奈はこんなにすぐに心を開いてしまっているのだろうか。  何にせよ祥哉は自分がゲイだと知った途端にキスをしてきたような人間だ。しかもそのまま2回もセックスしてしまった。絶対に祥哉は絵里奈が思っているような人間ではない。  「絵里奈、本気なの?」  「うん。もう約束したし」  「やめときなよ。何されるかわからない」  「祥哉さんなら大丈夫だよ」  「私と祥哉さんは違うんだよ? わかってる?」  「分かってるよ!」  絵里奈の口調が急に強くなった。彼女は俯き加減だった顔を上げ、正哉の琥珀色の瞳を見上げる。  「お兄ちゃんには関係ないじゃん! いい加減私のことは私に決めさせてよ!!」  「……絵里奈…………」  怒る絵里奈に戸惑った正哉。彼女の思考や言動がいつもあまりに幼いのでつい忘れてしまうが、彼女は今年で30歳であり大人なのだ。正哉が子供扱いするのを怒りたくなることだってある。  「ごめん、でも絵里奈がそうやって結局泣くの、何度も見てるから……」  「祥哉さんは優しいもん」  そう言い切る絵里奈に、正哉は閉口した。  彼女の言葉を否定したいが、昨日自分と祥哉はセックスしたんだなどとは言えない。  絵里奈がこれまでに付き合った男は何人かいたが、まともな男はいなかった。一度は男に金を貸すために絵里奈が風俗店で働いていたこともあった。その時は正哉がその男と話して絵里奈と別れさせ、風俗も辞めさせた。  そんなこともあったが、とっくに成人した女性がどんな男と何をしようが確かに自由なのだ。  大体、自分だって不特定多数の男とセックスし、まともな恋愛なんてしていないではないか。絵里奈に何を言う資格があるというのだろう。  「…………わかった、好きにしたらいいよ」  絞り出すような声で正哉がそう返し、絵里奈は少し悲しそうな顔をした。  「ありがとう、お兄ちゃん……怒ってごめん」  「いや、私が悪かった」  「ううん。お兄ちゃんが私のこと心配してくれてるっていうのは、分かってるから」  流石に正哉に悪いと思ったのか、絵里奈の口調は弱々しかった。  その彼女の態度が正哉には悲しかった。彼女は何も悪くない。  自分も彼女も少々不安定な親達を見て育ち、一般的な家庭を知らない。安定した男女の関係や家庭を想像できず、想像できないものを手に入れることは難しいのだ。彼女のように発達障がいを持つ女性は特に。  床に落としたビニール袋と空のペットボトルを拾って集めた正哉。  「今日はもう帰る。自分でちゃんと掃除して」  ビニール袋の口を縛りながらそう言った彼に、絵里奈は焦って口を開く。  「え、待ってよ。怒ってるの? お兄ちゃん」  「怒ってないよ」  「じゃあ……」  「ちょっと頭冷やしたい。ごめん」  正哉にビニール袋を差し出され、絵里奈は戸惑ったようにそれと彼を交互に見た。そしてそれを恐る恐る受け取り、目を伏せた。  「……うん、来てくれてありがと」  「うん」  そして正哉は玄関の靴箱の上に置いていた財布とスマートフォンを手に取り、絵里奈の家から出て行った。  絵里奈は閉まったドアの鍵をかけ、暫しその場に立ち尽くしていた。

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