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2章 2-2
「いただきます」
正哉は女性客の反応は気にせず回鍋肉定食を食べ始めた。普段ここに来るのは夕食の時ばかりで、ランチタイムにしかない回鍋肉定食を食べるのは初めてだ。
甘辛い調味料が絡んだ肉と野菜。食欲を唆る濃いめの味付け。1口、2口と食べたところで祥哉がじっとこちらを見ていることに気づき手を止める正哉。
「何?」
「ん? ああ、美味しそうに食べるなって思って」
「美味しいよ? 祥哉さんも早く食べなよ」
「あ、そうだね」
割り箸を割り、祥哉も酢豚定食を食べ始めた。
「うん、美味しい」
祥哉はそう言い、食べながら嬉しそうな顔をしている。
彼の笑顔は綺麗だ。普通にそうして食事をしているのを見ているだけなら彼は魅力的に見えるのにな、と正哉は思った。自分と同じ顔の人間に対してそう感じるのはおかしいだろうか。
定食のスープを一口飲み、祥哉。
「あなたとここに来れてよかった」
「え?」
「なんか、家にいた時よりちゃんと話せたから。さっきはほとんど話せなかったし」
「それは君が私を怒らせたから」
「うーん、まあそれも良かったけどね」
やはりこの男のいいところは顔だけだな、と思った正哉。彼がストーカー紛いのことをしていたことだって気持ちが悪いが、彼自身は悪いことをしているなんて思っていないのだろう。
「これで明日は本当に絵里奈の家に行かないんだよね?」
「行かないよ。約束だからね。ああでも絵里奈さんとの約束断るのは悪いし、映画にでも誘おうと思ってる」
「は?」
「だって絵里奈さんは僕と会うの楽しみにしてくれてるみたいだし」
唖然としている正哉に、何故か祥哉は困った顔をしている。
確かに先週の絵里奈の様子では彼女は祥哉にまた会いたがっているようだった。しかし興味が無いならきっぱり断るのが誠意というものではないのだろうか。
「君、分かってるかも知れないけどそれは優しさじゃないよ?」
「大丈夫だよ、絶対ヤらない。それは約束するから」
「そういう問題じゃなくて……」
また怒鳴りたくなったが、それは理性で押し留めた正哉。家には行かない、セックスしない、でもデートはする。それが祥哉の考え出した妥協点というところなのだろう。
祥哉は絵里奈の気を引いておかないと正哉に気に留めてもらえないとはっきり分かっているのだ。
「君って本当に性格悪いよね」
「それは正哉さんもだと思うよ」
笑顔のまま祥哉にそう返されると、正哉は何も言えなかった。昨日のリョウとのこともあり、自分の性格が良いとは言えないことはよく分かっている。
「……分かった。じゃあ明日はとりあえずそれでいいよ」
「うん、ありがとう」
今は祥哉の笑顔の綺麗さが腹立たしい、と思いながら正哉もスープを飲んだ。祥哉はもうほとんどスープを飲み終えている。
「ところで、正哉さん。気になってたことがあるんだけど」
「今度は何?」
「正哉さんが初めて男と寝たのっていつ?」
「はぁ?」
食事中になんて話をするんだ、と正哉は祥哉にまた呆れた。彼はとことん空気が読めない、というより読む気が無いようだ。
「随分慣れてるみたいだったから、気になって」
「…………それって、初めて後ろ使ってヤったのはいつかってこと?」
「まあそうかな?」
正哉は回鍋肉を食べながら逡巡して言う。
「14歳、かな」
「えっ」
あまりの若さに驚愕したのか、祥哉は目を丸くする。
「だ、誰と?」
「そんなのいいじゃない、どうだって」
「えー、まあ、答えたくないならいいけどさ」
祥哉は少し不服そうにそう言った。全く子供のような態度だ。
正哉は白米を口に入れ、咀嚼して飲み込んだ。
「父さんに会うまでの母さんは、色んな男と付き合っては別れてた。今思うと、かなり自傷的な付き合い方だった」
「へぇ……」
「父さんが他界してから、私は母さんと同じことをしてるって気づいた」
彼の言葉に、祥哉はまた驚いた顔をする。
「……今も、そう思う?」
「そうかもね」
正哉自身、自分がしてきたたくさんの男達との性交が自傷行為なのかはわからない。しかし少なくともそれをしなくては自分で自分の価値を認められなくなることはわかっている。
7歳で初めて陰茎を口に入れた時から、正哉は自分の価値を性交によってしか見出せなくなった。
父親、直紀が他界してから母親であるアンネッテがどういう人間か、自分とは別の人間として客観的に見えるようになった。そして彼女と自分が似ているのだと気づいて吐き気がした。
自分はあれだけ恐れていた母親と同じことを繰り返しているのだ。
祥哉の表情が曇った。
「やっぱり正哉さんには、もうどうでもいい人とセックスしてほしくないな」
「君が口を出すことじゃない」
「そう、だけど……」
悲しそうに俯く祥哉。14歳の子供がよく知りもしない人間とセックスしていたら、大人が止めるべきだったのかも知れない。しかし正哉はとうの昔に成人している。誰かがその行為止めるべきだった年齢に止める者はいなかった。
「いつか僕が辞めさせてあげたい」
「それはどうかな」
正哉は祥哉の「愛」を信用していない。それは愛ではなく性欲であったり、ただ彼がたくさんいるどうでもいい人間の1人になりたくないというだけであったりする可能性の方が高いと思っている。
世の中の人間は多方みんなそうだ。たくさんいるうちの1人にはなりたくない。そうではないと思いたいだろう。
沈黙が降りた。そのまま2人はほとんど話さないまま定食を食べ終え、店を出て正哉は家へ、祥哉は駅へと向かっていった。
その日の夜、正哉のスマートフォンに絵里奈からメッセージが届いた。
内容は明日、日曜日は祥哉と新宿に映画を観に行くことになったという連絡。そして先週のことについての謝罪だった。
正哉はその晩は久々に深い眠りについた。
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