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2章 9-1
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土曜日、21時。
正哉は先程コンビニで買ってきたおにぎりとサラダを食べている。それは今日初めての食事だ。
その日は朝帰りだった正哉は、夕方頃までずっとベッドの中にいた。時頼目を覚ましては絵里奈と祥哉のことを考えて、嫌になり目を瞑ることを繰り返し、ひたすら思考放棄をしていた。
昼間起きた時にスマートフォンを確認すると、シュウから「今日はありがとう」とメッセージが入っていた。案外律儀な青年なんだなと思ったが、正哉は何も返さなかった。
祥哉と絵里奈は今一緒にいるはずだ。それともそろそろ解散しているのだろうか。もしそのまま祥哉が絵里奈の家にでも行っていたら──と考えてしまう。
気を紛らわせたくて昨日新宿まで行ってあんなことをしたのに、結局この状態だ。馬鹿みたいだな、と正哉は自嘲の笑みを浮かべた。
食事を終えてゴミを片付けていると、家のインターホンが鳴った。突然のことに驚きながら正哉はドアホンの液晶画面を見る。外が暗いのでよく見えないが、そこに立っているのが誰なのかすぐにわかった。
「祥哉さん?」
正哉が通話ボタンを押してそう言うと、画面越しに彼は笑った。
「やあ、正哉さん」
何故彼が今ここに来ているのだろうか。絵里奈は勿論一緒ではない。つまり正哉にとって最悪の事態は免れたということになる。
正哉は通話を切って玄関に向かい、ドアガードを付けたままドアを少し開ける。
「何?」
「顔が見たくて」
「いつも同じ顔見てるでしょ」
「あはは、そうじゃないよ。中、入れてくれない?」
祥哉の口元は笑っているが、目は全然笑っていない。今日の彼は少しいつもと違うように正哉には見えた。
「……絵里奈は?」
「さっきちゃんと家に送ってきたよ。何もしてない」
正哉は大きくため息を吐き、1度ドアを閉めてドアガードを外した。そしてもう1度ドアを開けると、正哉が何か言う間も無く直ぐに中に入ってきた祥哉。玄関に足を踏み入れ、ドアを閉める。靴を脱いで部屋に上がった。
距離を取ろうと数歩後ろに下がった正哉の、その服の袖を祥哉が掴む。
「僕のこと、信頼してくれた?」
「何で?」
「ちゃんと絵里奈さんが嫌がることはしなかった」
そして祥哉は正哉に1歩近づく。
「今日ね、絵里奈さんに好きだって言われた」
「…………え」
「僕と付き合いたいって」
祥哉の言葉に頭から血の気が引くのを感じた正哉。絵里奈がこんな男に好きだと告白するなんて、眼前の彼の言葉は本当だろうか。そう疑ってしまうのは自分が信じたくないからか。自分ならば絵里奈に聞けばすぐ裏が取れるのだから、彼が嘘を吐いたって意味がない。
絶句している正哉に、祥哉が更に距離を詰めてきた。
「大丈夫? 正哉さん。顔色悪いよ」
「……君の、せいじゃないか」
何とか正哉がそう返すと、祥哉は何故か微笑んだ。そして掴んでいた彼の服の袖を引っ張り、身体を抱きしめる。
「な……!」
驚愕し、正哉は祥哉の胸を押して離れようとしたが、力が出なかった。そうまでする気力がもう無かったのだ。
疲れたな、と正哉は思った。この双子の弟が現れてから心労と寝不足続きだ。全部忘れたくて普段しないようなこともして、更に疲労は溜まった。
その上1番大切で守りたい妹は自分の思いなど知りもしないでこの男が好きだなんて。この男は彼女に何の興味も無く、ただ自分の気を引きたくて彼女を弄んでいるだけなのに。
抵抗の無い正哉を暫く無言で抱きしめていた祥哉が、再び口を開く。
「まだ絵里奈さんに返事はしてないんだ」
「……何で?」
「あなたは僕にどうして欲しい?」
「断って欲しいよ」
「そしたら絵里奈さんは傷つくよ。絵里奈さんを縛って幸せから遠ざけてるのは、あなたじゃないか」
祥哉のその言葉に、正哉は目を見開いた。俯いていた顔を上げ、彼に抱かれたまま怒鳴る。
「……っ! 違う!!」
「どうして? 絵里奈さんは望み通り僕と一緒になれたら幸せだろう?」
「そんなことない! 君の真意を知ったら絵里奈は振られるよりずっと傷つく!」
「知らなければ傷つかない」
「ずっとそれでいられるわけないだろ!」
正哉は残った力を振り絞って祥哉の腕から離れた。しかしそのまま床に崩れ落ちてしまう。
「……くそ、絵里奈…………何で……」
床に座り込み、俯いて片手で顔を覆った正哉。震えた声で「絵里奈」と繰り返している。
何年もかけて蓄積されてきた彼の妹への感情は最早、心配とか大切とかそんなものではない。執着なのだ。
彼女を傷つけないように、ただ守って庇護して依存させて、彼女自身のことは本当に見ていたと言えるのか。それが兄妹愛と言えるだろうか。
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