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3章 3-2
次から次へと涙を溢れさせる正哉に、鈴木は溜め息を吐いてポケットから煙草を取り出した。それに火を点ける彼女を見た正哉は、白城は酒はよく飲むのに煙草は全く吸わない人だったな、と思った。しかし時々部屋には煙草の箱があり、「女が吸うんだ」と言っていた。
鈴木は煙を吐きながら横目で並んで立っている正哉を見る。
「……援交でもしてたの?」
「ち、違う。お金なんて貰ってません」
「じゃあ何でお母さんの元彼となんてセックスしてたの」
「……俺は、白城さんに必要としてほしくて、生きてていいって思いたくて」
そう言っていて正哉は違うと思った。ずっとそうなんだと思っていたが、きっとそんなことのために自分は白城とセックスしていたのではない。正哉は1度大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
「俺は……ただ、彼に抱き締めて頭を撫でて欲しかった…………」
それは幼少期に母親にしてもらえなかったこと。そして白城がしてくれたこと。
白城がしていたことは犯罪で、決して許されることではない。彼が正哉にしていたことを知れば、殺されて当然だと思う人間もいるだろう。
しかし彼に与えられた温もりで正哉は救われた部分も確かにあったのだ。
鈴木は煙草を吸いながら、怪訝そうな顔で正哉を見ていた。
「そっか。……戸田君、高校生?」
「……はい、高1です」
「白城さんが君にしたことは犯罪だってわかってる?」
「はい」
「わかってるんだ……。じゃあ、これからは自分の身体を大事にね」
鈴木の言葉に、正哉は心に何か棘のようなものを感じた。“何か”が刺さり、そして閉じ込めていた“何か”が溢れ出る。急速に頭の中が、心が冷却されていくような感覚があった。
正哉は横に並んで煙草を吸う彼女の方を見た。その琥珀色の瞳には、正哉が滅多に見せない怒りが隠っていた。
「…………あなたにそんなことが言えるんですか?」
「は?」
「この2年、俺が白城さんとセックスしてること知ってて見て見ぬふりしてきたあなたが、今更俺に何を言えるっていうんですか?」
急にはっきりとものを言ってきたので、鈴木は驚いて正哉を見た。その睨むような目つきに彼女は閉口する。
正哉は続ける。
「鈴木さんは初めて俺がここに来た日からずっと俺を見てた。でも俺にも白城さんにも何も言わなかったのは、隣人と揉めて引っ越しにでもなったら面倒だったからでしょう? 俺を止めようとも、警察に通報しようともしなかった」
「いや、戸田君……」
「結局自分さえ良ければいい。他人事じゃないですか。それで今更“自分の身体を大事に”? 笑わせないでください。最後まで見て見ぬふりしてたら良かったんですよ」
捲し立てるようにそう言った正哉。自分が怒りに任せてこんなことを言ってしまうなんて思っていなかった。いつも本心は心の内に留めていたのに。白城が消えてしまった衝撃で歯止めが効かなくなっているようだ。
鈴木は唖然としていた。先程まで泣いていた少年と同じ少年の言葉とは思えない。
「何でそんなこと言うの? 私は君が心配で……」
「今更遅いって言ってるんですよ」
そう、全て遅いのだ。もうとっくに正哉は歪んでしまっていた。それは初めて白城の陰茎を口に入れた時からか、あるいはもっとその前から少しずつ始まっていたことだ。
アンネッテが幼い正哉を怒鳴りつけるのを、2人の貧困を、近隣の住人やアンネッテの恋人達は見て見ぬふりしていた。白城が正哉に性的虐待を行うのを、2年間アンネッテは見て見ぬふりしていた。
白城と別れた後、アンネッテは正哉に「2年も付き合ってたのにあんたのせいで別れなきゃならなくなった」と言った。
そして鈴木はこの2年、正哉と白城の性交渉を気づいていながら見て見ぬふりしていた。
正哉にとってはみんな同じ、“助けてくれなかった大人”だ。白城だけがそうではなかったのに、彼は自分のせいで殺されてしまった。
鈴木は正哉の言葉に何も言い返せなかった。正哉も口を噤み、暫しの沈黙が降りる。短くなった煙草を携帯灰皿の中に入れた鈴木は、口を開いた。
「この世の中、みんな自分の保身で精一杯なんだよ。去年あんなでっかいテロもあってさ、ますますそうなってると思う」
正哉は黙って彼女の話を聞いた。
去年のテロとは、9.11アメリカ同時多発テロ事件のことだ。ちょうど1年前の今頃だったので最近のテレビはその話題ばかりだ。
そう言えば、その頃から鈴木をアパートの前で見かけることが多くなった。あれからの景気低迷で職を失っているのかも知れない。
「私も確かに立派な大人じゃない。見ず知らずの子供をお節介で助けるほど余裕なんて無いし、君に軽蔑されても仕方ないと思う。……まあ、精々君も自分のことに精一杯に生きなよ」
「…………はい」
絞り出すように返事をした正哉。行動はしてくれなかったが、確かに鈴木は自分を心配してくれていたのだろう。白城が死んだと聞いて取り乱し、何も悪いことはしていない彼女につい酷いことを言ってしまった。
鈴木は一瞬笑顔を見せ、自分の部屋のドアノブを掴む。
「じゃあね。ちゃんと家帰んな」
そう言って、彼女は部屋の中に戻った。
正哉は暫くそこに立ち尽くした後、自宅へ帰る道を歩いていった。
何故白城が殺されたのか、白城を殺した女はどうなったのか。正哉に知る術はなかった。彼と自分の深く浅い関係性を知る者は既に自分しかおらず、この2年は全て夢だったのかとすら思える。
9月の昼間は相変わらず暑かった。
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