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4章 5-3
「…………羽山(はやま)……」
「羽山? 羽山リョウ君?」
「いや……」
リョウは何故か頬を赤らめていた。どうやら本名を言うことに随分抵抗があるらしい。1度深く溜め息を吐き、彼は小さく言う。
「…………羽山、雫(しずく)」
ついに本名を告げた彼に、正哉は笑いそうになるのを何とか堪えた。
「か、可愛い名前だね?」
「やめろよその反応! コンプレックスなんだよ! 今ちんこの大きさもコンプレックスになった!」
「リョウ君、ここ病院だから小声でね? 素敵な名前だし、君のちんちんも十分大きいよ」
「めっちゃフォローすんじゃん逆に傷つくわ」
リョウは床にしゃがんで頭を抱えた。落ち込んでしまったらしい。
正哉が再び祥哉の方を見る。
「なんか君のせいでリョウ君落ち込んじゃったんだけど」
「僕のせいなの? 彼に雫君って名前付けたのは彼のご両親でしょ」
「やめなよ……世代的に絶対某キャラクターに準えてちゃん付けで呼ばれ続けてたヤツだよこれ……」
「いや彼はその世代より後なんじゃない?」
2人の会話にリョウは性格の悪い双子が揃ってしまったなと思った。
ちなみにリョウが小学生の時も雫をモチーフにした某キャラクターはまだ流行っていた。そのため周りからちゃん付けで呼ばれるのが完全に定着してしまい、中学生頃まで同級生からはちゃん付けで呼ばれていた。
クスクスと祥哉が笑う。
「あなた達、本名も知らないままよく恋人になったね」
「本名は知らなくても心が通じてれば信頼は得られるものだよ」
「ふぅん」
「それじゃあ、リョウ君沈んじゃったし私そろそろ行くよ。ほら、リョウ君ちゃんと立って」
しゃがんでいるリョウの手を掴んで引っ張る正哉に、祥哉。
「そっか。正哉さんの家、また行ってもいいかな?」
そこで立ち上がったリョウがすかさず言う。
「おう、今度正哉さんちで3Pで勝負だ西祥哉」
「3P? それは色々まずいんじゃない?」
しかもセックスで勝負とは何なのだろうと思う祥哉に、立ち上がったリョウの手を離した正哉。
「リョウ君がいいなら私は構わないよ」
「いいの?! いやでも僕、リョウさんとはやりたくないんだけど」
祥哉がリョウを見上げてそう言うと、正哉の臀部を触りながらリョウは満面の笑みで言う。
「大丈夫だ、俺もあんたとはやりたくない」
「それって私がめちゃくちゃ酷使されるんじゃ……」
自分の尻を触るリョウの手を叩きながら正哉はそう言った。そして呆れたように溜め息を吐く。
「下らない話は置いといて、別に私の家に来るのは事前に連絡してくれればいいけど、また勝手に家の周りウロウロしないでね。あと絵里奈は暫く放っておいてあげて」
「ああ、うん……。昨日絵里奈さん、大丈夫だった?」
「大丈夫じゃなかったから泊めた。でも今朝ちゃんと自分の家に帰ったよ。君のことはまだ許せないって言ってたけど、多分時間が解決してくれるんじゃないかな」
「そっか。迷惑かけてごめんね」
「ホントにね」
正哉自身、まだ祥哉を許したわけではない。しかし自分の行いにも問題があったから彼を理解して受け入れようとしているのだ。
祥哉はもう1度小さくごめんと言った。そして視線は手元に落として口を開く。
「あと……昨日殴られた時、本当に死ぬんじゃないかと思った。怖かった。凄く……怖かった」
「うん」
「以前、僕が死なんて怖くないって言った時、何で正哉さんがあんなに怒ったのか、昨日やっとわかった」
「そう」
淡々と無表情で相槌を打つ正哉を、祥哉は見上げた。感情の見えない琥珀色の両目を見て、震える唇で言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい、もう2度と言わない」
「わかったならいいよ」
そう言った正哉の唇の端が僅かに上がった。その安堵と自分の情けなさに、また涙が出そうになるのを感じた祥哉は慌てて俯いた。
黙ってしまった彼に呆れ混じりの笑顔を浮かべる正哉。
「それじゃあ、ちゃんと安静にしてるんだよ」
「……うん。正哉さん、またね」
祥哉はそう言って一瞬正哉とリョウを見上げて微笑み、また手元に視線を戻した。
「うん、またね。行こうリョウ君」
そして踵を返した正哉にリョウは付いていく。
2人が病室を出た後、祥哉は2人が出て行ったドアを暫く眺めていた。
自分が正哉や絵里奈、アンネッテと正常な関係性を持つにはまだ時間がかかるだろうと祥哉にはわかっていた。しかし双子の兄、正哉が自分の手を取ってくれて、自分の間違いを受け入れようとしてくれている。
祥哉は再び病室の外を眺める。外は晴れていて、きっと今外に出たら暑いのだろう。
正哉と望んだ形で結ばれなくても、彼が自分を受け入れてくれて、彼自身が幸せであってくれるならそれでいい。今はそう思うことができるようになっていた。
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