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第7話
仕方ない。彼のより良き人生の為には全部仕方ないんだ。僕は自分をも無理やり納得させて、そのあからさまにしょんぼりとした背中を見送ろうとした。
ただ……これが最後、もし仕事以外で滅多に話をしなくなるかもしれないなら、返しておかねば。
「は、春川くん! あの、これ実は僕が預かって忘れてたんだ、返すよ!」
春川くんの私物であったBL漫画を懐から取り出し、必死に手を振る。
何事かと振り返った春川くんは、無視したり呆れたりするどころか……高身長特有の大きな歩幅でずかずか踏み寄ってきた。すぐに奪い取られてしまう。
「な……な、な、な、社内のどこかで失くしたと思って死ぬほど焦ってたら課長が持ってたんすか!? マジかよクッソ! 中身は……見たんすか」
「あー……うん。だって春川くんがバスケ漫画って言うから、本当にただ興味を持って……でもタイミング逃しちゃって……ごめんなさい」
なんだかさっきまでものすごく力んでいたせいか。春川くんはへろへろとその場に膝から崩れ落ちてしまった。
「チキショー!! 俺はどこまで課長に情けねぇ姿見られたら気が済むんだよ!!」
また絶叫する春川くん。
それをその状態で言われると、正にこの有名すぎるバスケ漫画みたいな構図になってる訳なんだけど。
「……これ、春川くんのだよね? 何かの手違いとかそういうんじゃなく?」
「俺のですよ! むしろ表紙の方が実家から持って来たくらいずっと読んでるバイブル的な漫画だから、ところどころ掠れたり折れたりしてて歴史感じるでしょ! 中身が通販で買った新品っすよ!」
ああ、言われてみれば。春川くんのバスケ愛と件の一夜があったせいで、経年劣化の違いも気付かなかった。鈍臭いのは年齢は関係なく生まれつきらしい。
つまりは気軽に手に取れる時代になったBL漫画で、彼なりに同性との恋愛の育み方を勉強しようとしてくれていた訳か。なんと涙ぐましい心がけだったのだろうか。
「でもこういう漫画……肝心の、行為の部分はソフトに終わるっつーか、モザイクも濃いじゃないっすか……いや、かなり露骨に描いてあるやつもあるけど、いきなりそういう作風のは勇気なくて……」
「え……もしかして春川くん、現実的なアナルセックスが知りたかったのかい!?」
「ぎゃはあああ!! やめてくださいストレートすぎます恥ずかしすぎますもうやだ俺死にそう」
春川くんはまた泣きそうになりながら、真っ赤に紅潮した顔を大きな手のひらで覆う。
「そっか……ここまでの覚悟を持っていたなら、それこそ年の功で僕がリードしてあげなきゃいけなかったのに、君の気持ちも知らないで、良かれと思って突き放すなんて……本当に、僕は最低だ。ごめんよ春川くん」
「そんな、の……別にいいんですって……」
「でも、仕事も手に付かないくらい僕のことを考えてくれたんだって思うと、上司としては叱るべきだけど……すごく嬉しいな」
「だ、だからそれはっ……はぁ。元はと言えば俺があの日酔い潰れなければ……この本だって、勘違いさせるようなことしてサーセンした」
立ち上がった春川くんから、ぺこりと頭を下げられる。
もう誤解は解けたんだから、そんな風に謝罪される謂れはないし、どうすればいいかわからずあわあわしてしまう。
そうすると、ようやくまた春川くん本来の活気が戻ってきた。クスクスと微笑し、彼も安堵したようだった。
たぶんこれが、彼が本気で愛した人に向ける、温かく頼もしい目。
「あの……ですね……課長……。俺、もうこの際なんで人生最大級に恥ずかしいこと言いますよ。聞いてくれますか?」
首を縦に振ると、春川くんは一つ咳払いをして、いつになく真剣な眼差しを向けた。
「俺と付き合ってください。そんで……お、俺を本物の漢に……要するに……だ、だだだ抱いてくださいっ!!」
言った後の春川くんはもう顔面から火が吹き出しそうなほど。
また視線を逸らしてくうぅ、と小さく悲鳴すら上げていて、あんまり焦らすと逃げられてしまいそうだ。
「うん。よろしくね」
ぱっと目をキラキラさせた春川くんから、呼吸困難手前になるほど力強く抱き締められた。
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