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6 まずは自己紹介から

「……ん、」  奈智(なち)はベッドの上で寝返りをうった。  身体全身が、だるい。  それでも眼が覚めてしまうのは、日頃の習慣かカーテンの隙間から漏れている朝日の所為か。それとも自宅ではないという緊張からか。  昨日は診療所へ連れて行かれ『胃潰瘍』と診断を下され、山のように内服薬を処方された。そして、食生活への指導が入った。 「ほんと、迷惑、かけてるなぁ……」  身体を休める所を提供してもらい、食事を作ってもらい……至れり尽くせりである。  彼とは双子の弟の先輩というだけなのに。 「起きたか、奈智」 「あ、おはようございます」  屈んだ堀ちゃん先輩によって、あいさつの代わりのように唇同士が一瞬触れ合う。 「……あの、」 「ほら、薬」  緑色の液体の入ったボトルを差し出されて、奈智は顔を顰(しか)めた。  薬は元々好きではない。しかし、これはドロッとしている上に、甘ったるい。まず色からしておかしい。  躊躇(ちゅうちょ)している奈智に口角を上げた彼から提案が出る。 「口移しで飲ませてやるか?」 「……結構です」  父親を除く足立家の男子や、一昨日の夜に公園で出会った男たちだけでなかった。ここにも、独特な趣向の持ち主が居た。  差し出された容器を受け取ろうとして、腕を伸ばすと折ったはずの袖が落ちてきた。それによって、奈智の腕はスッポリと隠れてしまう。  これでは受け取れない。  ここは奈智の自宅ではなく、お泊りセットも用意している訳もなく、堀ちゃん先輩の服を借りるハメに陥った。合うサイズの服があるはずもなく、結果的にダブダブのものを着用することになった。下手をすると、襟元からどちらかの肩が覗く。  同じ男として、思うところは多々ある。  腕まくりをしようとするも、儘(まま)ならず躍起になっていると声を掛けられた。 「ほら、口開けろ」 「んっ、んぐっ……」  指で口を開かれ、緑色の液体を流し込まれる。  ……嫌いなのに、これ。 「甘いな」  ……あなた、なに人ですか?  薬を飲み込んだことを確認すると、堀ちゃん先輩は奈智の口端に付いたそれを掬って自身の口へ運ぶ。  胃の粘膜保護剤だから、作用的には問題は無いだろうが。  そんな行為は自分ではなく、恋人とでもやればいいのに。これだけの容姿と性格だ。相手には不自由しないだろう。  一昨日心細さから彼を呼び出してしまったが、これほど構われる理由はない。いい加減自宅に帰らねばならない。現在は休日なので、父とデートに出かけていなければ、母親は自宅に居るはず。そのため食事の心配はしなくて良いが、明日からは平日。彼女もああ見えて仕事持ち。平日夜間は帰宅が遅くなるので、奈智が夕食を作っている。父親も帰宅は遅く、兄弟に食事の支度をしろというのは罪の無い台所が気の毒だ。そして、母親以外の誰かが気まぐれを起こして何かを作成したとしても、どう転んでも奈智に片づけが回ってくる。 「あの、俺そろそろ」 「家に帰るか?」  こくりと頷けば、そうかと頭を撫でられる。 「明日から学校もあるし、そちらも学校……」  用事があったかもしれない彼を、結局金曜日の夜から日曜日の朝まで付き合わせてしまった。申し訳ない。 「俺のほうは二限からだし、別に行かなくても困らんぞ」  双子の弟、沙和(さわ)の通う学校は普通の一般的な高校であったはずだが?  困惑を隠せない奈智と、その顔を確認した堀ちゃん先輩は互いに暫く無言になった。 「……沙和が高校に入ったときに俺は卒業。一年ダブってるから、四つ離れてるはずだ」  そうだったのかと、眼を丸くする奈智に彼は溜め息を吐いた。  奈智が知っている彼のこととは、名前と沙和と先輩後輩関係であること、そしてどうも世話好きであるらしい、とのこと。 「沙和は何か言ってなかったか?」 「えーっと……特には、それほど」  近寄ると子ができるという噂があると、珍しく真面目な顔をした双子の弟に諭されたとはとても言えない。お盛んでなによりである。 「ふーん?」 「あの、」  顔が近いです。  気付いたら、何故かじりじりと寄ってこられ、鼻先に相手の顔がある。彼が奈智の髪の人房を持ち上げ、指先で弄び始める。  長くない、しかも男の髪で楽しいですか?  冷たい汗が背筋を伝うのを感じながら、どうしたものかと奈智が考えを巡らせていると、それを阻むようにしてチャイムが鳴った。 「……沙和か」  チッと舌打ちしたような音が聞こえたが、気のせいであろう。 「沙和?」 「ああ」  面倒くさそうに頭を掻きつつ、出て行った広い背中を見送り、奈智は吐息を漏らした。知らず、息を止めていたらしい。 「……びっくり、した」  あまりに真剣なその瞳に。  男の自分でもどきりとするのだ。女の子には覿面(てきめん)な効果を来たすであろう。  理由も解らず、胸を撫で下ろしていると、堀ちゃん先輩が消えた扉が勢いよく開き、知った顔と知った声が飛び出してきた。 「なっちぃーっ! だいじょーぶっ!? 変な事されてない?」 「沙和。っうわぁっ!」  デジャビュ。  今度奈智の後頭部を受け止めたのは、扉の角ではなくベッドのシーツであったが。 「なちぃーっ!!」 「はいはい」  抱きしめてくる双子の弟に奈智はよしよしと背中を撫でてやる。  その背が押し倒した奈智を見下ろして、びくりと硬直する。声もなく眼を見開く沙和を不審に思っていると、部屋の持ち主が戻ってきた。  奈智と沙和の体勢に眉を顰める。 「おい沙和、病人だぞ」 「……その、病人に手、出してない、よね? いくら、堀ちゃんセンパイだからって、許さないから」 「そう思うなら、逃げられないよう、傍に置いとけよ」 「っ、そんなことしたら、なちがっ」 「俺?」  内容よく解らないが、どうやら自分の事らしい。 「なち、堀ちゃんセンパイに変な事されてない?」  慎重に何やら先輩後輩同士で話していたと思ったら、急に奈智に振ってきた。 「は、はぁ……? 迷惑は沢山かけたよ、俺」 「気にするな」 「もーっ、堀ちゃんセンパイは黙ってて! なちに聞いてんのー! 襲われてない!?」  今、自分を押し倒しているのは、目の前の双子の弟である。 「……人をケダモノみたいにいうな。俺は紳士だ」 「うそつけっ!」  腕組みをして柱に寄りかかる先輩に沙和はキャンキャンと吼える。 「沙和が言ってるのは、沙和の先輩と俺がそんな関係になるってこと? なんで?」  中々に思考が偏ってきている弟に、奈智は首を傾げた。  沙和本人が同性愛者だとしても、それを他の人間に当てはめるのは如何なものか。いくら双子でも、思考も趣向も違う。事実、兄弟・家族の愛情はあれど奈智は足立家長男に欠片もときめかない。  そんな奈智に沙和は涙を浮かべて、再度抱きついた。 「そんななち、だいすきっ!」 「はぁ……?」 「これからも、このままでいてっ!」  そんな様子を部屋の入り口から眺めていた堀ちゃん先輩は、これから道のりが中々険しそうだと人知れず溜め息を吐いた。 とことん自分に無頓着な奈智が鎖骨辺りにある、虫刺されのようなものを発見するのは自宅へ帰宅したその日の夜。

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