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7 日常の一コマ
土日を挟んでいたため、奈智(なち)は火曜日から学校へ出席する事ができた。これも、面倒見のよい彼のお陰であろう。
そんな事をつらつらと考えていると、ホームルームが終わりを告げる。奈智は前の席に座っている仲の良い友人の肩をつついた。
「真咲(まさき)、あのさ」
「ん? なに?」
振り返った彼、折原真咲の笑顔に癒される。そんな二人の元に大きな影。気付いたら奈智の目の前に居たはずの真咲の姿はなく、彼は彼の親友に首根っこを捕まれ教卓の影へ蹴飛ばされ、押し込められているところだった。
それを目撃していた奈智をはじめ、初老の担任、クラスメイトは何事かと目を剥く。
「蓮見(はすみ)! なにすっ……むぐぅ」
抗議の声を親友の大きな掌に阻まれ、ついで喋るなと人差し指を立てられている友人を眺め、奈智はなるほどと感心した。
直後、大きな音を立てて開かれる教室の扉。同時に元気な声が上がる。
「まさきーっ! あ、そこのでっかい人、まさき知らない?」
「……職員室」
「あっそう」
年齢の上下関係なんか知らないとばかりに先輩へのあいさつも敬語も無く、嵐のような年下の男子学生に蓮見は普段の抑揚のない声で返した。
そして、元気に走り去っていく足音。
騒がしい嵐が過ぎ去って、奈智は溜め息を吐いた。なぜかデジャビュ。双子の弟の顔が浮かばなかった訳ではない。
隅に追いやられ動くことができなかった友人は嵐が過ぎ去ってから、親友の手を借りて這い出ることが叶った。
「びっくりしたー」
「当分来ないだろ」
四階のこの教室から職員室は一番遠いところに位置しているのである。ついでに走り去った一年は抜群の運動神経を持ちながら部活へ入部していないため、運動部顧問からしつこく勧誘を受けている。その教師たちはクラスの副担任または学年主任などでクラスを持っていない者が多く、職員室に居る可能性が高い。顔を出した獲物をみすみす逃しはしないだろう。
可憐なお手並みを拝見させてもらい、奈智は是非それを伝授してもらいたいと切に願った。
教卓に押し込まれた奈智の友人・真咲は、嵐の様な後輩君にどうも好意を持たれているらしい。たぶん、本人は気付いていない。あまりに眼に余るため、親友の蓮見が追い払っている。因みに彼らの間にあるのは、純粋なる友情。いいよ、それで。友情万歳。
……男女共学なのに。
細かな統計は知らないが、大雑把にすれば二分の一。なぜ、同性に走るのだろうか。奈智は頭を捻った。
「奈智、ごめんね。さっきの何だったけ?」
「また今度でいいよ。先帰んなよ」
「明日ねー」
手を振って、二人を送り出す。
まあ、真咲に聞くよりも、蓮見の方が適任か?
上手く人と立ち回る方法。なんとなくではあるが、真咲と自分は同じようなカテゴリーに入ると思われる。どちらかと言えば、世渡り下手なほうに。それならば、違う人種に教えを請うた方がよいのかもしれない。
「奈智、今日はいるかー?」
「いるよ。なに?」
「昨日は寂しかったぜーっ」
「あぁ、はいはい。会議出れなくて、すみませんでした。会長」
自分へ抱きついてくる生徒会会長へお座なりにあいさつをする。
学校を休んだ昨日は、月に一度の生徒会・部活動・委員会の運営会議。──の、書記。
「やっぱり、他の誰よりも奈智の字がいい」
「左様ですか。それはどうも」
一応は生徒会に所属しているも、奈智は書記のためそれ程表立った活動はない。今まで人前で立ったことのあるのは、新任のあいさつくらいである。それ以前に、面倒臭いのでひたすらその機会から逃げ惑っている。生徒会長の彼から書記へのお誘いがあったときにそれをことごとく回避する事は伝えてある。それでもと望まれ、現在の位置にいる。
会議のたびに、生徒会役員を初めとする他の生徒の癒しの的となっているのを知らないのは、当人のみである。
「昨日はどうした?」
「んー? 一身上の都合」
近頃ろくに食事も取れておらず、ストレスも加わり胃潰瘍を起こしていたとはとても言えない。ましてや、双子の弟の先輩のところでお世話になっていましたとは。
ちなみに本日の弁当は、いつも食べている生物室で火を拝借し、レトルトのお粥を作って食べた。生物担当の教師も知っているので、問題はないだろう。
「ふーん。いいたくないなら、いいけど」
「どうも」
彼とは、こういうところが楽だ。逃げではあるだろうが。
「それで、どうしたの?」
彼と自分のクラスとは学年で一番端同士である。しかも、生徒会室とは逆方向。それなのに奈智に会いに来た。別件で用事でもあるのか。
昨日会議に出席できなかったため、生徒会室へ顔を出すつもりではあったが。
「奈智君の顔を拝みに」
「……はぁ? それよりもさ、いい加減離して」
重い。
奈智は背後からどっかりと体重を掛けている、生徒会長へ抗議した。そして周りの視線が痛い。
まあ、彼は注目の的生徒会長様だ。偉そうではなく、その分だけ親しみやすさがある。頭の回転も悪くない。冗談も通じる。それだけに人気もある。そんな彼が、何をどうして自分に書記をと希望したのかは甚だ不明。
「もー、奈智がいなくて、寂しかった……」
「副会長も他の役員も居ただろう」
「居たよ、居たけどさ、俺の居場所が無いわけさ」
……あぁ、その気持ちはよく解るよ。
奈智の視線は遠くを見た。自宅の情景が浮かぶ。あの肩身の狭さ。
「かわいい女の子はべらせてさ、仲良くしてるよ。今も」
だから、逃げて来たんだね。そして、自分は今からその生徒会室へ行かなければならない。
明日にしても、いいかなぁ。
「それは、だめだ」
「……俺、何か言った?」
「なんとなく、解った。いくつか眼を通してもらいたいのもあるから行くぞ」
一緒に。そう空耳が聞こえた。
たどり着いて、開けた扉の先には可愛い女生徒が何人かソファに座ってお茶を飲み、談笑していた。女生徒のみのその教室は圧巻だった。
無意識に扉を持つ手に力を入れ、見なかったことにしようとするのを一人の声によって阻まれる。
「昨日はどうした? 奈智が居ないと調子が出ない。バイトも休んだだろ」
「それは、どうも、副会長」
自分よりも若干高い背に、奈智は視線を合わせた。
生徒会副会長は女生徒。別にそれはいいのだが、某女性だけの歌劇団の男役を彷彿させるような顔とスタイル、しぐさ。どれも嫌味がない。男子生徒、女子生徒ともに人気がある。生徒会長と人気を二分するほどである。そして放課後になると何故か生徒会室でお茶会なるものを開催している。メンバーは毎回違う。時々、奈智も頭数に入れられることもある。
「少し痩せたか?」
心配そうに奈智の頬を撫でる副会長の手に、外野から黄色い声が上がる。
「……そう? あ、お茶請けに、どうぞ」
学生カバンから取り出したのは、昨日自宅に戻ってから双子の弟の機嫌取りに作成したクッキー。自分では食べてないが、文句もなくモリモリと摂取した沙和(さわ)を見るかぎり、不味くはないだろう。
「ありがとう、頂くよ」
あまりの男らしさに、沙和に毒された頭で思う。沙和と性別逆だったらよかったね。しかし、ハタと気付く。そしたら、長兄と沙和との間に子が成されてしまうという、冗談では済まされない事態に陥る。
自分のうっかりした考えに、さぁっと青くなった奈智は思考を放棄した。
そして、食間薬の例の緑色の液体としばらく対峙する奈智が生徒会室に居た。
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