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9 墓地は出会いの場所
……怪しげなプレイに目覚めたらしい。
「っやぁっ、おねっんンっぁ……ひゃぅぅっ、こっこれ、とって、ね? もうしないからぁっあああぁっ!」
双子の弟の嬌声と喘ぎ声、そして微かに聞こえるモーター音。
薄い壁一枚向こうの多聴の部屋から聞こえる以上が、奈智の本日の目覚まし。
悲しい事この上ない。
実際に奈智(なち)がセットした目覚まし時計の予定時間よりも二時間ほど早い。
「……俺、昨日バイトで遅かったのに……」
布団の中からぼやいても、熱中している彼らに聞こえるはずもない。
窓の外はしとしとと雨が降っている。
昨日今日と両親は仲睦まじく温泉旅行へ出かけている。
その為、昨夜は長兄と双子の弟の熱が高まると踏み、夜遅くにバイトを入れた。帰宅時はくたくたで兄弟が何をしているのかを気にするほどの余裕はなかった。しかし、今朝この仕打ちである。
自分が一体、何をした。
確かに、彼らは自宅の至る所で事に及んでいるため、どちらか互いの部屋にして欲しいとは思っていた。だが、自分が自室で安眠を貪っているその時に限って狙ったように、しかも隣の部屋でしなくても良いではないだろうか?
「……もう、やだ」
彼らが仲睦まじいことは大変よろしい。同性だろうが、近親相姦だろうが、勝手にしてくれというのが本音だ。それほど偏見も無いつもりだ。自分に害がないのならば。
「……ぁあ、もぉ」
観念して奈智は自宅を出るべく、ベッドから抜け出した。
「……あ、お花忘れた」
雨が音も無く降る中、傘を差しつつ奈智はお寺の墓地に来ていた。
起き抜けはどうも頭が働いていなくていけない。
線香とマッチは持参したが、花を忘れた。この時間帯では花屋が開いているはずも無く、自宅の庭で見繕ってこなくてはいけなかったが、すっかり忘れていた。
本日は奈智の祖父の月命日。配偶者であるはずの祖母はすっかり忘れているようで、友人達と毎日を謳歌している。元気でなによりである。
「……点かない」
ここでも、うっかりと。マッチではなく、ライターを持参しなければならなかった。雨が降っているのだ。湿気ている。
これでは、花だけでなく線香すらもあげる事ができない。不肖の孫をお許しください、じいちゃん。そして、金(きん)ちゃん。
祖父の墓の横には最愛のペット・金ちゃんの墓。猫に食べられて遺体は無いが、彼の住処(すみか)だった金魚鉢に砂を入れ墓とした。
「それ、何?」
「ひっ」
自分ひとりしか居ないと思っていたところで、背後から急に声を掛けられ飛び上がった。しかも、場所は早朝の墓地である。
「ああ、驚かせてごめんね」
「い、いえ、こちらこそ、すみません」
落ち着いた声の主を探せば、青年だった。初めて見る顔である。
「はじめて見たときから、気になってたんだよね」
「あ、ペットだった金魚です。食べられてしまったので、中身は無いですが」
「ふーん。面白い事するね。君、足立さん家?」
「そうです」
「俺はここの寺の三番目の息子だから、もしかしたらまた会うかもね」
彼は線香片手に蹲(うずくま)っていた奈智を認めて火を貸してくれた。
「ありがとうございます」
「珍しい時間に居るね」
「あー……諸事情により、今は自宅に居られないので」
「家出?」
「今、俺の居場所が無いだけです」
まったくもって自分の所為ではない。自分は被害者のはず。
「寂しい?」
「寂しくないですよ。家族関係も至って良好ですし、毎日自宅でも学校でも退屈はしないので」
「そう、良かった」
満足そうに微笑まれて、こちらが意味もなく照れてしまう。
「いいもの、あげるね。大切にしてると良い事あるよ」
差し出されたものは、鍵。
「えっ、俺、貰っても……」
視線を上げれば、彼の顔が間近にある。
触れる唇同士。
──冷たい。
強い風が吹き、傘を飛ばす。
驚いて一瞬眼を閉じ、開けた視界には彼の姿は無かった。
「……え?」
まぼろし?
しかし、それを裏切るように唇には感触が残っており、手にはちいさな鍵が納まっている。
──またね。
そう、空耳が聞こえたような気がした。
墓地には吹き飛ばされた傘を拾いもせず、しばらく呆然と立ち尽くす奈智の姿があった。
奈智がその寺の三男坊が何年も前に他界していることを知ったのは数日経ったある日。彼の残した鍵は消えずに手元にあり、更に奈智を悩ませた。
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