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10 鬼ごっこの行方
「っ、なんっで、こんなこと、に……」
自分が、一体何をした。
奈智(なち)は荒い息を吐きつつ、額の汗を拭った。
現在、本人全くもって不本意の鬼ごっこ真っ最中。逃亡者は奈智一人、鬼はどこかの多分高校生男子三人。ゴングが鳴ってから既に三十分は経過している。その間、奈智はほぼ全力疾走で走り続けている。限界も限界である。しかし、捕まるのも嫌だ。
「……ン、しつ、こ、いっ、はっ」
「いたぞっ!」
なんで、そんなに元気なんだ。その気力を他の事に使ったら、多分いいことがあるはず。ぜひ、そうして。
力の抜ける足を叱咤しつつ、奈智は再び走り出した。
本日いつもの様に、生徒会の仕事を済ませ帰路についた。
違ったのは、その帰り道に見知らぬ他校の男子生徒が三人待ち構えていた事。
『足立! 付き合ってくれ!』
どこに?
『…………あの? 人違いじゃ』
面識のない人たちである。その中のリーダー格であろう一人がイキナリ奈智の手を取り、凄んできた。
『おまえ、告白できるような度胸があるなら、付き合うって言っただろう! 沙和(さわ)!』
あああぁぁ……、謎がすべて解けた。
嬉しくもないが。
奈智は珍しく、一卵性双生児の片割れの弟を恨んだ。男心を弄んで、なんて断り方をしたんだ。しかも、沙和は実の兄である多聴(たき)と恋人同士である。付き合う気がないのなら、もっと他の断り方があっただろうに。
『あの、ですね。俺も足立ですが、沙和とは双子でして……』
『そんな言い逃れ、許すかっ!』
極力刺激しないように物腰柔らかく伝えるも、頭に血の上った彼らに聞き入れてもらえるはずも無かった。
そして、現在に至る。
沙和も沙和ならば、彼らも彼らである。好きならば、まず通っている学校をしっかり調べてくれ。奈智と沙和が通っている学校は別であり、しかも自宅を挟んで反対側である。
まったくのとばっちりだ。
奈智は薄暗くなってきた空を見上げた。星が段々と目立つようになってきた。
ああ、お星様、どうにかしてください。
あれか? この前の墓参りに花を忘れたからか? じいちゃん、金ちゃん今度は綺麗なお花、たくさん持っていくから今日、この時を何とかしてください。
念じるも、どこにも届きはしない。
そんな、どうでもいいことを考えつつも奈智の足は走り続けている。
しかし、本当に限界……。
奈智はビルの隙間に身を隠した。
「っはぁっ……ここ、どこ?」
改めて辺りを見回すと、知らぬ土地。それもそうだ。わき目も振らず逃げ惑っていたのだから。
完璧に、迷子。もともと、方向感覚に鈍いのだ。
ネオンがそこかしこに灯る。その明かりで荒い息の中、学ランの襟元を寛げた奈智の艶かしい姿が浮かび上がる。
とっぷりと暮れた日に現在の時間帯が解らない。
スマホで確認しようと取り出すと、突如として震える。マナーモードのままだったのか。
着信は『堀克己』。
──何故?
「……はい?」
『奈智! 何処に居る!?』
「……え? あの、迷子で……っわぁっ、な、何?」
「ねぇ、今晩空いてる? 君いくら?」
気付かないうちに、知らない中年男性がにじり寄ってきていた。
耳元では、舌打ちと焦った声が聞こえる。
『奈智、逃げろ!』
本能でも危険は感じるも、ビルとビルの間、そして今まで全力疾走で走りまわっていた所である。逃げ場もなければ、体力もない。
──万事休す。
「んっ、はなっぃやだぁっ!」
伸し掛かってくる男の臭いも、興奮しているらしい不規則な吐息も全て不快なものにしかならない。耳介にねっとりと這わされる舌にも、ぞわりと悪寒が背筋を駆ける。
「はぁ……いい思い、させてあげるからさ」
そう思うなら、とりあえず、どいてくれ! とは声にならない。
「へぇ、とてもそうは思えないけどねぇ」
押し問答している二人に、いやにのんびりとした言葉が掛けられた。
直後、奈智の上から男の体重が消える。
「まったく、いたいけな青少年を襲うんじゃないよ。他所(よそ)を当たんなさい」
しっしと掌で払われた中年は、今度は怒りで顔を赤くする。
「このっ」
「ふぅん、おにぃさん、社会的に抹殺されたい?」
人を食ったような悪い笑みをにっこりと中年に浮かべ、スーツ姿の青年は今度は奈智に目を向け、片眉を上げた。
「あれ、君、足立ンとこの弟君? こんなとこに居るの、よくないよ?」
「っあ!」
自分の方を見たため中年に背を向けた青年に、弾き飛ばされた男は飛び掛ってきた。
しかし、それも誰かの蹴りによって地面に転がされる。
「壮(あき)ちゃん、あんた一体何やってんの!」
「んー? まっとうなる、人助け。なぁ、怜(りょう)この子見覚えない?」
奈智を認めた長髪の彼は眼を丸くした。
「奈智くん?」
オムライス専門店『雨宿り』マネージャーの香坂怜、彼だった。
「あの、よかったんですか?店長さん」
「あれは放っておけばいいよ」
奈智を始めに助けてくれた、スーツ姿の彼は香坂と同じく『雨宿り』の店長とのことだった。その彼を今度は香坂がしっしと追い払った。
『えー、多聴(たき)の弱みとか知りたくないか?』
『そんなもん、自分で本人にでも聞けば』
泣き落としをする店長に対して、マネージャーは一刀両断した。
そして、店長と別れて奈智は香坂と『雨宿り』に向かっている。
道すがら、心配しているであろう堀ちゃん先輩に連絡を入れ、無事である事を伝えた。
たどり着いた『雨宿り』はやはり落ち着く。本日は定休日であったらしい。
「すみません……」
「平気だよ。よく甥っ子も定休日に遊びに来るから」
にっこりと微笑まれ、淹れてもらったホットミルクに更に落ち着きを貰う。
しばらくの間、二人で他愛も無い話に花を咲かせた。
「奈智!」
「……え? どうして」
店に飛び込んできた堀ちゃん先輩に困惑を隠せない。
彼には電話先で心配ないことを伝えたのに。確かに、この店に寄ってから帰宅する事は口にしたが、まさか来るとは思わなかった。
「それじゃあ、店の奥に居るから」
ごゆっくり、そういい置いて香坂は背を向けて行ってしまった。
「っあの、心配掛けて、すみませんでした。ほんとに、大丈夫だか」
差し出された手が頬を撫でるその感触に、ワケも解らず大袈裟はほどに身体に震えが走る。それを発端としてマグカップを持っていることも出来ず、受け取ってもらえるのをいい事に渡してしまった。
溢れ出る涙を拭っても止まらない。
「──怖かったな」
「……うん」
そうか、怖かったんだ。
「もう、大丈夫だ」
「……うん」
やさしく背を擦る大きな掌に、安堵する。
上手く出来なかった呼吸を再開する様に、細く長く息を吐く。
そうして、奈智はしばらく堀ちゃん先輩にしがみ付いていた。
翌朝、眼を醒ました奈智は堀ちゃん先輩と共にベッドに居(お)り、混乱をきたすこととなる。
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