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15 フルーツ缶
「どうしよっかなぁ」
奈智は自宅近くのいつも利用しているスーパーではなく、少し離れた大型店の缶詰コーナーで思案していた。
足りない小麦粉・卵・牛乳・生クリームはカゴの中に居る。ペーキングパウダーは家にある。
後の問題は、果物を何にするかということ。
今年はチーズケーキではなく、生クリームのケーキが食べたいとの要望があったからだ。
「うーん……」
無難なところで、ミカンやパイナップルか? 上にも、サクランボとか欲しいのかな?
真剣に悩んでいて、奈智は自分の背後に全く気付かなかった。
ズッシリと重かったカゴが急に軽くなって、奈智は驚いた。
「っえ?」
「珍しいところで会うな、奈智」
見上げた先には、堀ちゃん先輩。
──ナゼ?
「ぁ、こんにちは」
「ケーキでも作るのか?」
「はい。明日、沙和の誕生日なので。中に入れる果物、何にしようかな、と」
カゴの中身を覗いて、奈智の返事を聞き、彼は器用に片眉を上げた。
「へー」
俺がケーキ作るの、そんなに意外そうに見えるのかな。
高校生男子だからか?
奈智の場合、味見程度に食べるだけで基本的に作るの専門である。食べるのが専門なのは、沙和だ。しっかりと分担されている。
「あの、そちらは?」
「同じだ。食材の買出し」
スーパーで会ったのだ。それもそうか。
「予算は?」
「え? あ、缶詰ですか? 特にはないです」
「嫌いなものは?」
「沙和は何でも食べますよ」
「……そうか」
そういいつつ、彼はカゴの中にいくつか缶詰を放り込んでいく。
「これで、どうだ」
「ありがとうございます。悩んでたので、助かりました」
そういえば、沙和はモモが好きだった。
カゴの中を見て、奈智は満足そうに微笑んだ。
「買うものは、これで終わりか?」
「はい。重たいカゴ、ありがとうございました。後はお会計だけなので……えっ?」
品物を持って、彼はさっさと行ってしまう。
「ほら、行くぞ」
「……え?」
デジャビュを感じつつ、奈智は急いで堀ちゃん先輩の後を追った。
「何だろ……?」
奈智は自分のバッグと買ったものを抱えて、ベンチに座っていた。
手には、渡されたスポーツ飲料が納まっている。
それ程時間は掛からないからと、堀ちゃん先輩にここで待っていろと言われ、飲料水で水分を補給する。この時期、水分補給は大切だ。熱中症にでもなったら、堪ったものではない。
「一人?」
「……ふえ?」
陰ったかと思えば、目の前には若い男が二人立っていた。
──どちら様?
「西校の足立だろ? ちょっと、俺たちと付き合ってよ」
それは、沙和のことだ。
奈智が通っているのは、市内の東端に位置する。
ペットボトルを持っているのとは、逆の手を引かれ立たされそうになる。
「っあ、あの、沙和に用があるなら、本人に直接──」
「おい、何やってる」
頭上から声が掛けられる。
堀ちゃん先輩だ。
「っほ、堀せんぱ……っ!」
「こいつは、沙和じゃねーよ。その汚ねー手、どけろ。潰すか?」
普段と違い、笑っていない眼と上げた口角がミスマッチで背筋を寒くさせる。そして、冷ややかな声音。長身で上から鋭く見下されるとかなりの威圧感である。
こんな彼ははじめて見る。
「す、す、すみませんでしたっ!!」
震える声で深々と会釈をして、彼らは脱兎の如く駆け出した。
「……はぁー……やっちまった」
彼らが見えなくなってから、堀ちゃん先輩は大きな長い溜め息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。
「あ、あの? 調子よくないですか? 飲みますか? 飲みかけですが……」
奈智はうな垂れている彼にペットボトルを差し出した。カチリと二人の視線が合う。
いつも通りの彼のように見える。
「顔、広いですね」
先ほどの彼らは、堀ちゃん先輩のことを知っているらしかった。
「そうでもない。……ああ、赤くなってるな」
腕を取られる。中々に強い力で引かれたため、跡になっていた。
痛みはそれ程ない。
「怖く、なかったか?」
「え? いえ、沙和に間違えられるのは、はじめてでは無いですし、助けてもらったので」
「そっちじゃない。……俺が」
「え? 何で?」
「……なら、いい」
解らず、首を捻ると彼は立ち上がって、奈智の横に腰掛けた。
「ほら」
差し出された物に首を傾げる。それと、彼の顔を交互に見る。
「明日、誕生日だろ」
「え……何で、知って」
「双子なら、一緒だろ。しかし、主役がケーキ作るのか」
「我が家は母か俺しか料理しないので」
母親は平日仕事だ。
その他が気まぐれを起こしたら、大惨事になる。後に残るのは、食材の残骸らしきものと、地獄絵図のキッチン。
それに、主役と言われてもあまりピンと来ない。ケーキを食べる主役が沙和だからか。
「あ……キーリング?」
「いつもジャラジャラ持ってるだろ。ほら、付けてやるから出せ」
「は、はいっ」
自宅玄関と勝手口、学校のロッカー、生物室、生徒会室、バイトのロッカー。
「ほら、首に掛けてるのも」
「え……何で、知って?」
答えは無く、黙々と鍵がリングに通されていく。
奈智は首に掛かっているチェーンを引っ張り出した。
これは、墓地で出会った青年が好意で渡してくれた鍵。『大切にしてると良い事あるよ』と託され、無くしたら困ると首に掛けていた。
「ほら。しかし、よく今まで無くさなかったな」
出来上がった鍵の束は中々にズッシリとしたものだった。
「あ、ありがとうございます。すみません、頂いた上に付けてもらって。あの、お誕生日、いつですか?」
もらってばかりでは申し訳ない。
「敬語」
「……へ? あ」
彼にはじめて会ったときから、沙和に似た顔で敬語を使われるとムズムズすると言っていた。鳥肌立つとも。
彼との関係は、双子の弟の先輩。世話好きな彼が時々、沙和のついでに一緒に自分の世話まで見てくれているのだ。直接的な先輩後輩同士ではないにしろ、目上の人である。今までのかかわり方を振り返って考え直した方がいいか。
不意に鳴り響く、電子音。
沙和だ。
「あ、すみません。はい、沙和ど」
『なっちーっ!! どこにいんのー!?』
……大音量に耳が潰れそうだ。
治療費が必要になったら、彼が自分の双子の弟だろうと遠慮なく請求しよう。
「……ケーキの材料買いに、お店に」
『もーっ、奈智ったら、すぐにどっか行っちゃうから、ずっとGPSで追跡しよっかなー』
やめて。確かに、方向音痴気味ではあるが、ちいさな子どもでもあるまいし、俺のプライバシーは?
もしも実現されたら、今以上の不携帯電話間違いなしだ。
「沙和、いい加減にしろ」
『っなんっで、堀ちゃん先輩が奈智と一緒にいるのー!』
また、電話を取られた。
しかしホントだ。縁でもあるのかな?
「愛だろ」
「…………は、はぁ……?」
『ちょっとー! 奈智を変なのに巻き込まないでくんない?!』
奈智の疑問符は彼らの言い合いでかき消された。といっても、沙和がキャンキャンと吼えているだけで、彼はソレを大人な余裕で流している。
「まぁ、大切な『お兄ちゃん』はこれから返してやるよ」
……俺、沙和から『お兄ちゃん』と言われたことも、尊重されたことも欠片も記憶がない。
ちいさい頃からずっと、呼び捨てだ。
何か言いたそうな顔をしていたのだろうか。
電話を終えた堀ちゃん先輩に苦笑されつつ頭を撫でられた。
「帰るか」
「あ、はい」
一緒に立って歩き出そうとして、ふと気付く。
彼は上背があるため、先ほど見下されたときにはかなり迫力があった。しかし、現在はそれほど威圧感は無い。それだけ、彼が普段から気をつけてくれているということだ。
「どうした」
「いえ」
ふんわりと、やさしい気分になった。
やわらかく微笑んだ奈智を見咎めて、彼が不思議そうな顔をした。
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