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16 お風呂タイム

 風呂に入ろうとして、奈智(なち)は脱衣所で頭を抱えた。  ──どうしよう。入れない……。  中から洩れるのは、言わずと知れた双子の弟の嬌声。  うん、悩ましいね。色っぽいよ。言葉には出さないが、棒読みで心の中で呟く。自分と似たような声のため、気分はとても微妙だ。  沙和(さわ)が入ってから、長めな風呂だとは思った。彼は烏(からす)の行水である。そろそろ出る頃だろうと脱衣所まで来たが、まさか長兄の多聴(たき)が一緒に入っているとも知らず、うっかりとその声を聞いてしまった。 「っぁ、ぃやぁっ! たっ、にぃぃん、あぁ……っ! お湯はいっあ、あ、あぁぁっ」  バシャバシャと規則的に奏でる水音を背に、奈智は無言で脱衣所を後にした。 「……お風呂、入りたかったのに」  人知れず、奈智は零した。  本日は学校の後にバイトもあったため、ゆっくりと入浴して汗を流したかった。  しかし、現在はそれも叶わず、かといって彼らの後に浴室に足を運ぶ勇気もない。情事後しっかりと風呂場を掃除してくれることを切に願う。  そう、風呂だ。  自宅近所にスーパー銭湯などはない。 「あ、時緒(ときお)さんのところでお風呂借りる! ……駄目だ」  本日は週末。叔父である彼も恋人と過ごしている可能性が高い。  まぁ、彼の場合、恋人が居ようが風呂の使用は快く許可してくれると思われるが、奈智自身がその場にお邪魔したくないだけである。  ちなみに、例に漏れず両親は週末デートだ。家族間内にある二組のカップルに奈智は弾き出されている。疎外感はそれ程ないが、居場所がないことは確かだ。 「どうしよっかなぁ」  このじめじめとした時期に風呂は諦めたくない。せめて、シャワーだけでも。 「よぉ、奈智」 「あ、久しぶりー。かっちゃん、元気してた?」  自宅前でうずくまっていれば、幼馴染に声を掛けられた。 「かっちゃん言うな、なっつん。何だ、締め出しでも食らってんのか?」  だらしなく沙和と同じ制服を着崩した男前を見上げれば、ピアスの数が増えていた。 「違うけど……近いかも。ねえ、かっちゃん、この辺って銭湯とかあったっけ?」 「風呂壊れてんのか? ウチ来れば?」 「っホント?! ありがとう! 今から、準備してくる!」  嬉々として自宅に戻った奈智の背を見送った茶髪は変わってねぇなと苦笑した。 「もー、ありがとう、かっちゃん。生き返ったー」 「ふつーの風呂だ、バカ」  二人で幼馴染の母親が用意してくれた布団へ寝転ぶ。 「でも、久しぶりだねー。お泊りするのも、かっちゃんに会うのも」  家は通りを挟んで向かいなのに。 「高校違うし、お前バイトしてるからだろ」 「だからかなぁ」  幼稚園、小学校、中学校と一緒で彼と沙和と三人でよく遊んだものである。それがパタリと無くなったのは、高校入学を機に。 「かっちゃん、沙和とは学校で会ってるの?」 「ん? クラス違うから時々な。人気者だぞ」 「だろうね。あの子は誰からも好かれるから」  一卵性双生児でこれほどまで違うのかというほどに。 「奈智は奈智。沙和は沙和。違うだろ」 「ん、ありがと」 「なんか、飲みもん持ってくる」  よろしくーとその高い背に声を掛ける。  枕を持ってゴロゴロしていると、不意に足先が視界に入る。  かっちゃんが戻ってきたのかと見上げると、その弟だった。 「久しぶり、こうちゃん。お邪魔してます」  男前の兄に似て、弟も男前。背も高く二つ離れていても奈智は中学の時にとっくに抜かれていた。 「こうちゃん……?」  奈智を見つめたまま、何も反応のない幼馴染の弟を不審に思い、声を掛けた。  調子が悪いのであろうか? 「奈智兄、またキレイになったね」 「うーん……自分じゃ解らないし、それに男に綺麗ってどうなの?」  褒めてもらっているようだが、正直あまり嬉しくない。奈智自身としては、もう少し縦にも横にも成長したいものである。しかしそれも、ここ一年パッタリと変化がないのが悲しい事実。  仰向けで寝転んでいる奈智の頬に彼の手が添えられる。 「前よりも断然、色気がでてきてる」 「……あの? こうちゃ」  ゲシ! 「こンのサカリ野郎。人が目を離したスキに。外行って野良猫でも追っかけて来い!」  奈智との間を詰めた男の背に、その兄から踵落しの制裁が見事に下される。 「ってぇな! 兄貴も奈智兄の色気にやられそうになるだろ!」 「生憎と、俺は巨乳が好きだ。それに、奈智に色気があろうと女顔だろうと今更だろうが。何年幼馴染やってると思ってる」  面と向かって女顔と言い放たれ、ショックで枕に沈んだが、最後の台詞で奈智は顔を上げた。 「っかっちゃん……!」   さすが、幼馴染!  感極まって目に涙を溜めた奈智に今度は怒声が飛ぶ。 「奈智、お前もおまえだ! フェロモン垂れ流しにすんじゃねえ! 高校あがって少しは何とかなるかと思ったら、増強させてんな」  ……フェロモンって何? 「どうせまた、いざこざに巻き込まれたりしてんだろ。ほとんどは沙和の所為だが、残りは奈智、お前自身の所為だぞ」 「……それって、俺の所為って言わないよね?」 「ったく」 「いひゃぃ……」  飲み物の乗ったお盆を強制的に弟に押し付けたかっちゃんに両頬を抓られる。 「これでも、気にしてんだぞ。お前世渡り下手だし。……で、出来たか? これかこれ」  親指と小指を示される。  頭を捻っていると、溜め息を吐かれた。 「奈智の場合、年上の女か男だろ。それかママゴトカップル」 「……選択肢少ないんだね。ってかさ、男って!」 「ぁあ? 今更だろうが。それに、この前回覧板届けに行ったら、沙和なんか玄関でヤってたぞ」 「さぁーわぁー……」  再度枕に沈んだ奈智は恨みの言葉を零した。  あの時、やはり自分以外に見てしまった人間が居たのだ。 「ごめんね、かっちゃん。見苦しいものを……。あんまり偏見ないんだね」 「話すり替えんじゃねえよ。観念して吐け」 「…………居ないよ」 「ふーん」  いかにも信じてなさそうな声を出されても、居ないものは居ない。  俺、この話題苦手なのに……。 「じゃあ、奈智兄、寂しくなったら呼んでよ。相手するから」 「ん? あ、うん?」  こうちゃんは部屋を後にした。  ……相手? 「奈智、お前、家族以外に一緒に居れる人間いるか?」 「今かっちゃんと居るよ」 「ちげぇよ、安心できる場所はあるか? 他のことが気にならないような、落ち着けるトコ」  沙和と多聴兄が仲良くしてる所は、居にくい。両親が仲良くしてるところも。  家族団欒は暖かくて心地よく感じる事もあるが、気付けば二組のカップルは互いの相手を尊重しており居心地が悪く感じるのも事実。彼らが嫌いなのではない。そこに自分が存在する事によって、やさしい空気を乱したくない。それだけ。 「……解んない、よ」  軽い自己嫌悪に陥ってうな垂れた奈智に彼は質問を変えた。 「助けが欲しいとき、手を差し伸べてくれるヤツは?」  長兄と双子の弟が仲睦まじくしていて自宅に入れないとき、叔父の時緒は部屋に上げてくれ食事も一緒に摂ってくれた。  公園で居眠りをしていたとき、傍に居てくれた木戸。会社で迷子をしていたときにも声を掛けてくれた。 学校では、一日休んだ奈智を心配し、わざわざクラスに足を運んでくれた生徒会会長。学校でもバイト先でも心配してくれた副会長。  中年男に襲われそうになった時、助けに入ってくれた『雨宿り』の人たち。  自宅前で声を掛けてくれる幼馴染。  でも──。  黙ったままの奈智に幼馴染は急くことをせず、待っていた。 始めに声を掛けてくれたとき、顔色が悪いと一目で判断して食事を奢ってくれた。具合の悪かった奈智の甘えを受け入れ、食事・就寝場所を提供してくれた。奈智の食生活を気にし、小まめに双子の弟へ確認を入れてくれていたらしい。驚いて泣き出してしまった奈智の背をやさしく撫で、抱きしめてくれた。彼の表情が曇っているのを見たくなくて、何か出来ないかと、せめて気を紛らわせないかと飴を渡した。 「──ぁ」  その全てに繋がる源を見出し、カッと急激に体温が上昇していくのを止める事ができない。ついでに視界も不安定になってくる。  もしかして、俺──。 「──ふっ、上出来」  視線を上げた先には、幼馴染の満足げな顔があった。 「っかっちゃんっ、どう、しよ……」 「足掻くんじゃねぇ。どうしようも、こうしようもねぇだろ。素直だけど、自分のことに鈍感で世渡り下手な奈智がじっくりと出した結論だろ。自信持て」  ふるふると奈智は首を振った。自信なんて持てる訳がない。  次から、ちょっとまともに会うことが出来ないかもしれない。  ……つぎ?  今まで、当然のように顔を合わせていたが、それも偶然の方が断然多かった。  彼と会ったのも、あちらから声を掛けられ、沙和と間違えられたのが始まり。  次があるのだろうか? あって、いいのだろうか?  面倒見のよい世話好きな彼のことだ。自分を弟か何かだと思って構ってくれているのだろう。  そんな厚意を、自分の浅ましい好意で壊したくない。 「っ、わかんない、よ……」 「お前はただ、自分に素直になりゃあいいんだよ。他人のこと、考えすぎ。付き合いがいいっつーか、振り回されるっつーか」 「だ、だって、お、男同士だし、先輩のことよく解らないし」 「これから解ればいいだろ? 男同士云々は今さらだろ。周りに沙和とか多聴兄ぃとか、その他とか山ほどいんだろ」  山ほど? 覚えが無い。  それに同性愛の滅びの呪いが掛かっている足立家で、自分が最後の砦だと思っていたのに。それが突き崩され始めてきている。  奈智は段々と訳が解らなくなってきた。 「ほら、落ち着け。これでも飲め」  差し出された飲み物を確認もせず、遠慮なく喉に流し込む。  後味が何か、違う。 「ナニ、これ? かっちゃん」 「酒。今のお前にゃ丁度いい。もっと飲め」  再びグラスに注がれる、キウイ味の薄く緑掛かった液体を眺めつつ、奈智は別の物を思い浮かべていた。  あの時は全身だるかったし、気分も悪かった。いくら薬だといわれても飲みたくなかった。甘かったし。  カァーッと身体が火照る。  幾分かぼんやりしていて、曖昧だったが、確か彼の手によって飲まされた気がする。口の端に付いたものを拭われた後、その指は何処に行き着いた?  朝のあいさつをした時にサラリと唇に触れたのは、彼の何処だった? 「……っぁ」  見ていられなくて、奈智は液体から視線を外した。  顔、耳はおろか首筋まで真っ赤になって、うつむいた奈智を見て、その幼馴染はやれやれと息を吐いた。 「奈智お前、真っピンク。垂れ流し」 「ピンク? 垂れ?」 「あーっ!! 愛華(あいか)の顔見てー!」  時折意味不明な発言をかます幼馴染に奈智は首を傾げつつ、急に上げられた大声にびくりと肩を揺らす。 「今の彼女?」 「今度紹介してやるよ」  選り取りみどりのかっちゃんが選んだ子ならば、相当なのだろう。彼から会いたいなどという言葉を聞いたのは初めてかもしれない。 「楽しみにしてるよ」  どんな子だろう。  微笑んだ奈智に、彼はニヤリと笑った。 「そっちもな」  久しぶりの幼馴染との酒盛りに奈智は潰れた。 就寝後、その幼馴染はもう一人の幼馴染・沙和に連絡を入れたことを奈智は知らない。

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