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32 兄弟団欒

「はいっ奈智、あーん」  語尾にハートが付きそうなほど、うれしそうに差し出されるスプーンに奈智は顎を引いた。 「……沙和、自分で食べれるよ」 「えー! いいじゃんっ、ひとのこーいは素直にうけとろーよー!」 「できないことは手伝ってもらいたいけど、できることをやってもらうのは甘えだと思うよ」  ほら、背後で多聴兄の殺気が肉眼で見えるよ。  ヒシヒシと感じる鋭い視線に泣きたくなった。  ──殺される……。  己の予後のあまりの短さに密かに涙する。  人生八十年などと、誰がほざいたのか。  今、この時、瞬殺されそうな勢いである。  そんなことは露知らず、口を尖らせた双子の弟は尚も食い下がった。 「だぁってー、奈智右利きなのに、怪我してんじゃんー」 「それほど大したことじゃないよ」  大袈裟に包帯の巻かれた掌を振って、利き手ではない方で箸を持つ。  食べにくいが、使えないわけではない。  口元に運ぶキュウリをモゴモゴとさせつつ、視界に入った手首に眉間を寄せた。  暑い。  長袖に隠された手首のこれまた包帯。  さほど痛みはないが、問題は痕である。青紫に変色したそこはしばらく曝(さら)せない。 「なんっで、きよーに食べちゃうかなぁー」  そこは喜ぶべき所であるハズ。 「奈智って、急に起こることは、はんのーできないクセにじゅんのー早いよねー」  沙和にしては、難しい言葉知ってるね。とは声に出さず、茶を啜った。  ちなみに文系関係はからっきしな沙和は理数系にかけてはずば抜けている。双子のクセに真逆な自分と足して二で割りたい。そこだけは。 「沙和、放っとけ」  動き出しました、お兄様。 「えぇーっ、だってー、かわいそーだよ?」 「どうせ、ヤツの自爆だろ」  えーえー、そうでしょうとも。ありがたいご高説、痛み入ります。  奈智が例の一件の直後、帰宅すれば兄と弟は目合(まぐわ)っていた。普段と変わりない光景を目の当たりにして、心身ともに疲れた真ん中の弟の姿を確認した多聴は嫌そうな顔を隠そうともしないで盛大に舌打ちをした。 『なんだ、帰ってきたのか』  いっそ、どっかへ本当に逃亡してやろうかと頭を過(よ)ぎった己は悪くないはず。  知ってはいたが、沙和との対応のあまりの違いに今さらながらに悲しくなった。  それでも、尚自宅に居る自分は勇者なのか、あるいは敗北者なのか。  判断付かず、奈智は滴る汗を拭った。 簀巻(すま)きにされ晴海の海に沈められるかと思った奈智だったが、無事に翌日の日の出を拝んで安堵した。

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