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33 余波
「大変な事になってるね」
うっかりと全力で頷きそうになって、奈智は堪えた。
ナゼ、兄の募集をこの人が知っているのだろうか。
目の前でニコニコと人の良さそうに微笑をたたえている人物。以前、一緒に日向ぼっこを楽しんだ銀縁眼鏡の彼は、我が愚兄の会社の社長であると発覚。それ以来、何故か時々電話やメールが届く仲に。
「……木戸さん、呼ばれていますよ」
「今日はお店にっていうよりも、君の顔を見に来たからなぁ」
「俺の顔を見ても、何もありません」
ガックリと項垂れて皿を洗っていれば、同じバイト仲間から声を掛けられる。
「奈智、氷取ってきて。もうない」
「あ、はい。木戸さんすみません」
パタパタと背を向け駆けて行く奈智を眺めつつ、木戸は呟いた。
「キミもやるねぇ?」
「どうも。腐ったヤローなんかに、奈智はくれてやらねぇ」
「一応お客なんだけど?」
「ハッ」
見下して鼻で笑った生徒会副会長はボーイの服を翻(ひるがえ)し、優雅に奈智の後を追った。
「……いっぱいあったよ?氷」
「助けてやったんだ、感謝しろ」
「……ハイ。ありがとうございます」
静々(しずしず)と頭を下げれば、腕を組んだ長身が頷く。
「よろしい」
難しい顔で一通りそんな会話をしつつ、二人で噴き出せば堰を切ったように笑い転げる。
「退屈しないな、奈智の周り」
「俺はうれしくないよ……」
平穏なる生活を望んでいるだけなのに。
自分は平凡で、周りが非凡なだけだ。
「もてるな」
「そんなことない。そっちの方が」
学校でもいつも囲まれているくせに。女生徒が主にだが。
「嘘つくな。ここのところ、変な客増えてるぞ」
「それ、俺の所為なの?」
奈智はこっそりと隙間から店内を見回した。見るからに怪しい人たちが闊歩したり、酒や会話を楽しんでいる。
「……違うでしょ」
「まぁ、元々マイナーな分野ではあるな」
「ほら」
「今は夏休みで学校無いだろ? 寂しいぜ? 奈智」
ジリジリと近寄られ、背は壁。
顎を持ち上げられ、顔を近づけられる。
「あ、あの、副会長……?」
「役職名だなんて、他人行儀だな。名前で呼んでみろ」
「え、えっと……花村(はなむら)サン、離してくださいっ!!」
「……チッ」
渋面が鼻の先で舌打ちをした。女の子が、そんなことしちゃあ、いけません。しかも、かなりな美形である。
「──い!」
いきなり鼻を捕まれ、溜め息を吐かれる。
「そこは、名前だろ。気がきかねぇな」
「いいよ。きかなくて」
痛む箇所を撫でつつ、潤ませた眼で見上げれば更に顔を顰(しか)められる。
「奈智、そんなんだから付け込まれるんだ。──あぁ……あのデカイ男はどうした?」
「デカイ?」
「学祭に来てただろ」
──堀ちゃん、先輩のこと、だ。
いつの間にか学祭のことを知っていた沙和に、それに付き合わされた長兄。彼は結局、学校の敷地内には足を踏み入れていないはずなので、残る大きな人と来れば、先輩だけとなる。
「二ヶ月も前のこと、よく覚えてるね」
「はぐらかすな」
ピシャリと撥(は)ね付けられ、及び腰になる。
「と、時々遊んだりする、よ?」
そういえば、例の一件直後に無事のメールを打ったきりだったので、かれこれ一週間以上、十日近く直に声を聞いていない。今までは三日を空けずにメールやら電話やらのやり取りがあっただけに、かなり彼と連絡を取っていないことになる。
ずっと自分に感(かま)けることなど出来はしないだろう。彼も忙しい人だ。
「喰われてねぇだろうな?」
頬を撫でる掌にキョトンとする。
「何で? モテる人だし、俺に手を出すハズないじゃん?」
「……そうかよ。安心したぜ、奈智」
ガックリと脱力した副生徒会長の擬似親心は奈智には伝わらなかった。
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