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35 事実
ギラギラと太陽照りつける中、奈智は木陰でへばっていた。
猛暑日になると天気予報が言っていた。しかも、ここ数年で類を見ない暑さだと。
……一体、どうしてくれる。
「っあっつぅー……」
そろそろ言葉を発する元気も尽きてきた。
兄弟でも、恋人でも仲が良いのは大変喜ばしい事である。もう、この際ラブホでもいいから、自宅以外にしてくれ。少しくらいなら、カンパもする。長兄の細かな給与は知らないが、多分いらないだろうけど。
弾き出された自宅から炎天下へこんにちは。
夏生まれは夏に強いと、誰が吹いた大法螺(おおぼら)なのか。
春と秋は日向ぼっこが出来る。冬は防寒対策をしつつ凍えるのを覚悟に外に居ればいい。問題は夏だ。どんなに暑くても、服を脱ぐには限度がある。生憎、自分は警察にお世話になるほどの露出趣味はない。
現在の友は、ウチワ。かわいいお地蔵さんが微笑んでいるが、それで暑さが吹き飛ぶはずもなし。自動販売機で購入した飲料水も早々に常温と化している。しかも節電で普段の夏よりも設定温度が高くなっているため、更に自分に不利である。
己の立場に流す涙に、新たに水分を奪われる。
……涸(か)れる。
これで熱中症で死んだら、怨んでやる。丁度、シーズンだ。
そんなどうでもいいことで暑さを紛らわせるハズもなく、グッタリしていれば声を掛けられる。
「奈智くん?」
長い髪の毛を涼しげに上げた、オムライス専門店『雨宿り』のマネージャーだった。
「あの、いいんですか?」
店には定休日と看板が引っかかっていた。
「気にしなくていいよ。甥っ子もよく来るから。って、前もそんな話したね」
二人で顔を突き合わせて、声を潜めてひとしきり笑えば、香坂(こうさか)は麦茶とアイスを出してくれた。
「店のメニュー作ってもいいけど、見るからに夏バテしてるみたいだからね」
とは、彼の言い分である。
正直、近頃素麺すらも受け付けにくくなった己の胃には、とても助かる。ありがたく受け取った奈智はヒンヤリと冷たいそれらに命を吹き込まれる。
割愛はしたが、奈智が焼け付くような屋外で死んでいたかの理由を話せば、彼は同情してくれた。同志が居るとは、なんと心強いことか。
ちらりと視界に入る、手首と掌。
徐々に改善はしつつあるも、未だ完治とは言えず。右手は物を持ったりと使えるようにはなってきた。
ふと、右耳朶に感触を覚えて眼をやれば、彼の手が。すぐに耳の軽さを感じピアスは外されていた。
「香坂さん?」
ちいさな箱に放り込まれた深紅。
彼の行動に疑問を抱いて首を傾げて見つめる。
「これは、俺の独り言なだけだから」
ふんわりと微笑んだ彼はとても綺麗だった。
『──っクソ!』
奈智との連絡が途絶え、堀は電柱に八つ当たりをした。
何度掛け直しても、無常な電子アナウンスが流れるだけで改善が見込まれない。
急(せ)くは気持ちだけ。
すぐに双子の弟であり、名前だけの後輩へ電話する。
『どーし──』
『沙和!奈智が居なくなった。二ノ宮ってヤツはドコだ!?』
『二ノ宮……? ドコで、そんな』
『いいから、教えろっ!!』
早口で捲くし立てた堀へ喝が飛ぶ。
一瞬耳を疑ったが、それによって幾分か冷静を取り戻す。
『オレも心配だけどねー』
『……沙和、どこにいる?』
『それでこそ、堀ちゃんセンパーイー』
指定された足立家のはじめて足を踏み込む奈智の部屋。持ち主の性格をそのまま表したかのように、整理整頓されたあたたかな雰囲気である。
その中で積みあがっている薄緑色の封筒の山は異質であった。
『ニノちゃんかぁ……ぜんっぜん思い当たらなかったー。でも、ゆわれてみればー』
山の一つを手にとって、臭いを嗅いで眉間に皺を寄せる後輩を見て掘は疑問を口にした。
『どういうことだ?』
『ニノちゃんって、こんな香水使ってた気がするー。でも、三年? くらい前だよー?』
それが今さらになって。
彼らが出会ったのは三年前、ストーカー行為がはじまったのは半年前。その空白は一体何なのか。
『弟が死んだからだ』
二人で頭を悩ませていれば、突然割って入った低い声に堀は顔を上げた。そこには、出来れば会いたくなかった己の先輩のであり奈智の兄の姿。
溺愛していた弟が事故で居なくなり、代わりを求めた心の砕けた兄。そこで思い出した、恰好(かっこう)の餌食(えじき)。歪んだ愛に目覚めるのに時間は掛からなかった。
『っ、そこまで知っているなら……!!』
すでに携帯のGPS機能は使えないことは判明している。
言い募った堀に足立家の長兄は冷たくあしらった。
『お前に協力する理由はない』
『っそ!』
仮にも、兄弟だろうと喉元まで出かけた堀を遮り、沙和は真っ直ぐ多聴を見上げた。
『もー多聴兄ぃは、なちが居なくなったってコト、知ってるんでしょー? こんなトコに居ていーの? それとも、もー手は打ってあるってことー?』
『抜かりがあるわけないだろう』
ふんぞり返って発言する先輩を見て、堀は軽く殺意を覚えた。
ならば、なぜ?
ふと、引っかかる「お前に」・・・・・・もしや。
『あ、気付いちゃった? 多聴兄ぃ、堀ちゃん先輩のことあんまりスキじゃないみたーいー』
あははーと笑うその声に軽く脱力すれば、目の前の美貌がしてやったりと口角を上げる。
『力も何も無いヤツにあいつを呉(く)れてやる謂(いわ)れはない』
『わぁー……なちってば、実は多聴兄ぃに愛されてるぅー』
本人は全く気付いていないだろーケド。
解りにくい独占欲に尊大な態度を取っている本人以外の堀と沙和は呆れかえる。
『……そこまで解っているなら、さっさとストーカーから開放してやれば──』
『あいつで遊んでいいのは、俺だけだ』
もっともな意見は一蹴される。
要は知っていながら放置し、あまつさえ経過を見ていたという事だ。
憐れな奈智を思って、堀は静かに心の涙を拭(ぬぐ)った。
それでは治る頭痛も胃痛も改善しないというものだ。今さらながらに知らされる、奈智の苦労。
そして、奈智曰く勝手にピアッシングされた耳朶は所在確認のために、急遽取り付けたのであろう。不携帯電話の奈智の事だ。そのまま自宅やカバンの中に放りっぱなしの可能性も大きい。それを見越して。
何手か先を読むことは大切である、が。
──気に喰わない。
『結局、連れ去られてからの救出だろう。後手に回っているな』
腹立ちまぎれに呟いた言葉は相手に届いたらしい。
『馬鹿か。今までのストーキングは決定打に欠ける。あれが一番近道だ』
ちまちまとした嫌がらせよりも、誘拐されてはっきりとした尻尾をつかんだ方が楽だと。
一歩間違えれば、怪我などを引き起こしかねない。生命の危険が無いとも言えない。
それなのに、手っ取り早いと。
あんたら、一体何者ですか? とはさすがに堀は聞かなかった。
ただ己よりも四つ年上の大魔王とその背後のあまりの黒さに渋面する。
『そんな、いーあいよりさー。ねー、多聴兄ぃー。なちのトコはダレか行ってるのー?』
『お前らは知らなくても事足りる。能無しに用はない』
切って捨てた多聴に鋭く睨まれる。後半は明らかに自分へと向けられた言葉である。
散々な言われ様だ。
『これからも、だ』
見下し、噛みしめるように吐き出された言葉に溜め息をつく。
『会うなってことか』
普段はかなりどうでも良さそうな反応であるが、その実かなりのブラコンである。もしくは激しいジャイアニズム。
そのどちらでもありえそうだ。
『聞き分けいいな』
『……一般人だからな。俺自身に力があるわけでもなければ、妙な後ろ盾もない。あいつを利用するほどの頭も無ければ、行動を制限できる資格もない。自由に伸び伸び、奈智らしくしていてくれれば何も言う事ない。俺が出来るのは「よくやった」「頑張った」って頭を撫でてやるくらいだ。それだけだ』
堀克己は苦笑しつつ言い放った。
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