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40 浴衣と金魚と空の花
「なっちー! のーりょー祭、いこーよー!」
勢い良く自分目掛けて突進してきた双子の弟に、奈智はやや仰け反りながら返した。
「……納涼祭?」
「打ち上げ花火もやるってー!!」
「へー」
それはちょっと見たいかも。
「んじゃ、おかーさんあっちの部屋で浴衣準備してるからー!」
「……え?」
本人同意得ぬまま、実は確定だったのか?
自分が行かないと言っていたら、どうしていたのだろうか。やはり強制だったのか。適当に覗いて、適当に花火を見れればいいと思っていたため、浴衣などというものはハナから頭に無かった。納涼祭とは体のいい口実で、実は母親は着せたいだけなのかもしれない。三人も産んだ子供はいずれも男で、それほど着せ替え人形にもできず。兄は外見無駄に整っているが、付き合ってくれるほど出来た人格でもなく。双子の弟は時々母と一緒になって服を選んだりはしているようではあるが。そのため、彼女は現在お腹の中の四番目に大きな期待をしているのだ。
『女の子がいいな』
その為か、食後ソファに座って己の腹部を撫でつつ声掛けしているのを何度か眼にしている。その時々によって色々だが、奈智の知っている限り全て女の子の名前である。気の毒であるとは思うが、それに自分が乗ってやるかとは、また話が別である。
そろそろと足音を忍ばせ、奈智は玄関に辿り着いた。
静かに扉を開こうとした瞬間、気配を感じた奈智は己の行く末を悟った。
『似合ってるわ。さすが!』
双子に浴衣を着せた母は満足したのか、子供たちをせっせと家から追い出した。彼女はこれから旦那と共にデートである。
カラカラと下駄の音を立て、奈智は思った。
──どっか、行きたい……。
多分前を歩いている長兄も同じ様なことを考えているであろう。不穏な空気をヒシヒシと醸し出している広い背中が物語っている。その兄の横にはピッタリと寄り添っている、双子の弟。時々、己を振り返って声を掛けてくれるが、そんな気遣いは迷惑以外の何物でもない。
浴衣を着せられ、自宅から放り出されたときに運悪く(良くとも言う)帰ってきた長兄。沙和の浴衣姿に生唾を飲み込んだのを、奈智は見なかった振りをした。
そうして、この状況である。
何が悲しくて、カップルと一緒に行かねばならぬのか。
ちっとも涼しくないし、ちっとも楽しくない。
祭りはある意味、恋人の一つのイベント。そんな中に居るのは真っ平御免だ。現地に着いたら、絶対に別行動しよう。
奈智は心に誓った。
「食べるかい? 坊主」
「あ、ありがとうございます」
どこからともなく出されたリンゴ飴を奈智は会釈をして受け取った。
行きの道中での決心を嘲笑うかのように、人のごった返した会場はすぐに奈智とカップルを引き離した。バンザイと心の中で歓声を上げれば、現在地が解らず途方に暮れるのはその直後。場所も不明ならば、携帯電話で調べる地図の起動の仕方も解らず、とりあえず出店を覗く。ワタアメ、焼きソバ、ボール掬(すく)い、リンゴ飴……そこで奈智の目に留まったのは、金魚掬い。赤を基本とした魚の泳ぐ水槽をただひたすら眺めていた。
「やるかい?」
声を掛けてくれた店のおじさんには申し訳ないが、自宅では飼えない。ふるふると首を横に振り、お詫びを入れる。
「ジャマ、ですよね……すみません」
「いんや。ある程度サクラも居んと、商売ってのは上手く行かん」
そんな物であろうか。
「坊主が居ると、どうも客も寄って来やすい。魚が好きで、暇だったら気が済むまで居たらいい」
「ありがとう」
ふんわりと笑った顔に彼は眼を見開いたが、次には奈智の頭を撫でてその日焼けした表情を崩した。
「丁度坊主と同じくらいか……あいつもどうしてるかなぁ。あぁ、いや、孫が居てな」
話し出した店主に奈智は耳を傾けた。
そうして、仲良くなって貰ったリンゴ飴に口を付けていれば、声を掛けられる。
「奈智? どうした、こんな所で」
「……あ、先輩」
見上げた先には、双子の弟の先輩・堀ちゃん先輩。
「よかったな、坊主。にーちゃん、知り合いなら気をつけてやってくれよ。あぶなっかしくて仕方ない。変なヤツに連れてかれそうだ」
「……え」
もしや、自分のことだろうか?
高校生になってまで、はじめて会った人間からそんな心配をされるほどなのか。振り返った金魚屋の店主は大真面目な顔をしていた。
「……ありがとうございます。奈智、金魚掬いしないのか? 好きだろ」
軽いため息をついた堀ちゃん先輩は赤で溢れ返っている水槽を指差した。
「ウチは環境が悪いので」
とてもペットを飼う環境ではない。
「そうか。おやじさん、一回」
「はいよ」
目の前で交わされる行為をぼうっと眺める。
「奈智、何匹がいい?」
「──え?」
「はっはー、にーちゃん。そんなに簡単じゃあ、ないぜ?」
ニヤリと白い歯を見せる店主に、済まして答える高い背。
「どうかな? ──奈智?」
「っえ、えっと……に、二匹?」
それならば、寂しくない。
金(きん)ちゃんは一匹で、時々寂しそうだったから。
「欲がねぇなぁ、坊主」
「ホント」
苦笑する二人に奈智は首を傾げた。
そうこうしている間に、堀ちゃん先輩の持つ器には赤い魚が二匹。
「っぅ、わぁー」
可憐な手さばきに、奈智は感動の声を上げた。
「上手いもんだな、にーちゃん。まだ出来そうだ」
「いや、これでいい」
まったく破れていない紙の杓子と器を店主に渡して彼は言い切った。透明な袋に入れられた金魚を眺めつつ、この子達どうするんだろうと奈智は関係ないながらも思う。
堀ちゃん先輩の家に水槽などという代物があったのだろうか。訪れた回数は片手で足りるほどだったが、記憶になかった。
「奈智、良ければ行くか?」
「え、あ、はい。おじさん、ありがとうございました」
「ああ。楽しんでいきな」
ペコリと頭を下げて、露店を後にする。
花火の上がる時間が迫るためか増える人にぶつかりながらの道中、溜め息をついた彼に引かれる右手。
「っあ、あの、センパイ……?」
戸惑う声は喧騒に紛れたのか彼に届かなかったようで、アツイ手はそのままに。人垣を抜け、鬱蒼(うっそう)と茂った神社の裏。
「似合ってるな。浴衣」
「え、えっと、これは勝手に着せられて……」
奈智は肌白いから、濃い色がよく似合う。そう囁かれて、どうすればいいのか解らなくなる。
「飼うから、見に来ればいい」
ふっと笑われて、首筋にかかる掌に肩を竦める。遅まきながら、それが先ほどの金魚を指していることに気付く。
「好きなときに来ればいい」
持っているだろう? 合鍵。
「……ん」
落とされる口付けと潜められる声に、奈智は肌を振るわせた。
ドオォン。
光る火花と音にゆっくりと眼を開く。
やわらかに微笑む顔の向こうに、次々と上がる夜空の花。
一瞬の、できごと。
「……きれい」
「ああ」
何度も開く花を飽きる事もせず見上げる。
静寂の中に響く風流に身を任せて余韻に浸っていれば、それを遮る電子音。
「…………沙和か」
「あ、はい」
一番に反応したのは、持ち主の自分よりも渋面になった彼だった。
──なんだろう?
取り出した携帯電話はやはり奪われ、ことわりを快諾する間に開かれる。
「……」
「先輩?」
更に眉間に皺を寄せた彼を不思議に思う。
何が書かれているのか。
身長差で己の位置からは、背の高い彼の手元は確認できない。
「……何でもない内容だ」
勝手に操作されて折りたたまれ、奈智は首を傾げることしかできない。
「あ、そうなんですか……」
それならば、ナゼにメールを寄越したのか。
少し前にこの会場にまで一緒に来たし、自宅に戻れば確実に顔を合わせるのに。
「返事しといた」
「あ、ありがとうございます」
手渡された物を仕舞おうとすれば、再び鳴る着信。今度は電話だ。
『ちょっとー!! 奈智じゃないでしょーっ!!!』
初っ端から大音量で叫ばれて、日本の情緒もクソもない。痛む耳を携帯からやや離して、奈智は弱々しく返事をした。
「……どう、したの、沙和」
『さっきのメール、奈智じゃないでしょっ!! 「自分で何とかしろ」って!!』
「あぁ。あんなモノ、奈智に見せられるか」
『だからっ、なんっで居るのっ!! オレは奈智にメールしたのっ! 堀ちゃん先輩じゃないのー』
当の奈智を放置したまま、奪った電話で言い合いをする先輩後輩。
『だって、着る物ないんだよっ!? かわいそーとか、思わないのっ!? おにー、げどー、きちくー!』
「自業自得だ」
確か、沙和も自分と色違いの浴衣を着ていたハズである。母はしっかりと着付けてくれたから、奈智の浴衣は堀ちゃん先輩が気まぐれにイタズラした所以外は崩れていない。
何となく嫌な予感を覚えてしまい、奈智は口を噤(つぐ)んだ。
『もーちょっと、奈智以外にもやさし……っぁた、にぃ……ンっふ……、ぁ』
無言で通話を終了させた堀ちゃん先輩は、渋面のまま奈智を振り返った。
「──どうする?」
汚してしまった服の替えが欲しい。
つまりは、そういうことだ。
「花火、もう少し見ていたい気もしますが、風邪ひいちゃうと可愛そうなので──っわ!?」
苦笑しつつ肩を竦めれば、抱き寄せられる。
「あの、先輩……?」
包まれる男の匂いに奈智は身動きできなくなった。
「次は……今度は二人で行こうな」
「……は、い」
秘め事のように潜められ、耳朶を擽る低い声に奈智は知らず返していた。
パシャリ。
袋の中の金魚が跳ねる。
『次』の約束を取り付けて、夏休み最後の祭りは幕を閉じた。
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