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41 風物詩

「っなっちぃー!!」 「っう、わっ?!」  急に後ろから抱きつかれて、奈智は危うく包丁を足に落とす所だった。その代わり、転がったのはカボチャ。  地味に負傷したが、下手をしたら殺人現場である。 「沙和! 危ないっ!」  パニック映画以外ならホラーもスプラッタもある程度平気だが、自分が主体になるならば話は全く持って別である。痛いのはごめん被る。  声を荒げて振り向けば、自分とそんなに変わりない顔は瞳を盛大に潤ませていた。 「どうしたの、沙和」 「っなちぃー……終わんないのー……」 「……何が」  ちょっと嫌な予感を覚えつつ、しゃくり上げる双子の弟を奈智は宥めた。 「……っく、しゅくだぃー……」  ──またか。  半目になった奈智は天を仰いだ。  この歳になってまで、そして毎年のことである。いい加減に少しは成長してもらいたいものである。 「でも多聴兄とこの前、一緒に勉強してたんじゃないの?」  珍しいこともあるものだと思いながら、バイトに出掛けた覚えがある。久しぶりに見るほのぼのとした兄弟を、こちらも和やかな気持ちになった。  そう、あれは夏の初め。  ナゼ今、この夏休み終了間近になって自分に泣きつくのか。  覚え違いでなければ、多聴は在学中相当優秀な成績だったようで留学の話もあった位である。性格はともかく、そんな完璧な頭脳を持っている彼の教えならば、それ程困らないはず。 「……っだってぇー、多聴兄ぃオレと一緒なんだもん」 「あー……」  それでは誰も解るまい。  納得した奈智は痛みを訴える頭を抱えた。  以前数学の解らない箇所を有名進学校に通う双子の弟に聞きに行った奈智だったが、呆れと後悔だけが残った。  問題集を見つめた沙和は少し唸った後、見事に答えのみを当てたのである。自分としては、何をどうしてこんなに曲がりくねった線と直線に挟まれた面積を求めねばいけないのか甚だ疑問であったが、それ以上に図はおろか解体した式も何もかも吹っ飛ばして答えだけ出す弟の超能力の方が疑問であった。  その時は結局、学校の友人達と唸りながら問題を解いたが。  それと、一緒。 「それにね、多聴兄ぃ、ヒドイんだよー、間違ったらお仕置きするのー。バイブ入れ──」  不穏な単語が耳に届く直前、自己防衛が働いた奈智は問答無用で弟の口を塞いだ。  ──俺のほのぼの、返せ!!  のど元まで出掛かったそれは飲み込んで、コメカミに指を当てる。 「わかったよ、手伝うから!」  ぐったりと項垂れた奈智に沙和は諸手を挙げて喜んだ。 「わぁーい!! じゃあ、ドコでやるー?」 「部屋……じゃ、狭いかな? ここ?」  食卓机に勉強道具を広げれば二人は優(ゆう)にできる。  が、一番の問題は帰宅する長兄である。  彼が乱入すれば間違いなく勉強は中断する。この短い期間に大量の宿題を終わらせることを考えれば、それだけは避けたい。  図書館は同じ様な考えや境遇の人間でごった返しているハズ。  叔父の時緒(ときお)の所で世話になるか? 「オレねー、広くってー、涼しくってー、静かなトコ知ってるー!!」  はいはいっと挙手する双子の弟に視線を戻す。 「そんな所あるの?」 「うんっ!! それにぜっったい、人いないよー」 「なら、そこにする?」  きまりー! と歓声を上げるその手にはナゼか見覚えのある己の携帯電話。 「堀ちゃんセンパーイー! これから行くからー!!」  脱力した奈智は柱に縋りついた。 「すみません、押しかけちゃって」  自分勝手な弟に代わって、奈智は頭を下げて恐縮していた。 「気にするな」 「そーそー気にしちゃダメー! 堀ちゃんセンパイ図に乗るからー」 「おい」  コントのような会話に杞憂だったのかもしれないとの考えが頭を過ぎる。 「あ、そうだ。もし良かったら食べてください。カボチャのスープです」  持っていたタッパ入りの袋を家主に差し出す。これは先ほどまで作っていた夕食用の一部。 「奈智が作ったのか?」 「お口に合うかは解りませんが」 「ありがたく貰う」  撫でられる大きな手にやや頬が染まる。  頭から移動して耳朶に辿り着く。そこには彼から送られた深い蒼が嵌められたまま。  前回堀ちゃん先輩のお宅にお邪魔した後日、オムライス専門店『雨宿り』に赴いた奈智だったが、マネージャーの香坂は外した紅のピアスは多聴に返したと言うし、長兄は知らぬとのたまったため、行方不明である。  そうして納まっているのが現在の色の石。 「っちょっとー!! 二人で世界作んないでくんないー!?」  沙和の声で思考を戻した奈智だったが、気付けば何故か堀の腕の中で混乱をきたす。 「もぉー、オレの方が恥ずかしいぃー!!」  いや、いつも兄弟の情事を見せつけられる俺の方が絶対恥ずかしいと思うよ。  決まり悪そうな素振りは全く見せず、口を尖らせた沙和は勉強道具を広げる。 「堀ちゃんセンパーイ、ナンか飲み物ちょーだいー」 「お前なぁ……」 「沙和っ!! すみません、何か買ってきます」  己を中心に地球が回っている沙和に呆れた声を上げる堀ちゃん先輩。  急いで腰を上げた奈智に待ったが掛かる。 「麦茶と緑茶とスポーツ飲料くらいならあるぞ。あと牛乳」 「麦茶ー。なちはー?」 「特別は」  場所を提供してくれただけで要求はない。  第一、用事があったかもしれない彼に多大なる迷惑をかけているのだ。普段から。 「じゃあ、適当に持ってくるか」 「っあ、手伝います!」 「えー、なちも行っちゃうのー? 堀ちゃんセンパイだけでいーじゃん」 「沙和は宿題進める!」  やや強い調子で嗜(たしな)めれば、えー……と不満げな声が上がるも、シャーペンを握る姿。  頑張ったら何かご褒美でもあげよう。 微笑んだ奈智はこれからはた迷惑な御礼があることを知らない。

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