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46 見通し
……スリリングを求めているのであろうか?
薄っぺらい壁の向こう側、兄の部屋からのくぐもった嬌声を奈智は聞こえなかった振りをして参考書に視線を落とした。階下に両親が揃っており、仲睦まじく食後のティータイムなんぞを洒落込んでいる最中だ。その中でコトに及ぶとは、何たる冒険。一層の事、カミングアウトしてしまったらどうだろう。
閃いた事柄に、奈智は一人静かにシャーペンを持ったまま手を打った。
「いい案かも」
そうすれば、彼等も両親に隠れず仲睦まじくでき、己だけが被害者にならずにすむ。──受け入れられたら、の話であるが。だが、時緒(ときお)の件を顧みるに、その辺は一般的な家庭よりは寛容なのではなかろうか。ただ、それに近親相姦が加わるだけ。
父は弟だけではなくお前等もか、と叔父を示しながら足立家の存続に頭を抱えるかもしれないが。冥福を祈る。
増えるかもしれない父の白髪を若干心配しつつ、ハタと気付く。
もしも二つのカップルが家庭内で好き勝手に振る舞ったら、どうなるのか──。
自分の居場所が、どこにも無い。
辿り着いた結論に、奈智は持っていたペンを落とした。
別に家に居たい訳ではないが、学校やアルバイトで疲れた身体を癒す場であって欲しい。ただそれだけだ。炊事、掃除、洗濯などの家事は普段から行っているのでそれ程苦ではない。
ちっとも頭に入ってこない参考書に泣きついた直後、拾った音に奈智は目を瞬(しばた)かせた。
階段を上がる、足音。
青くなった奈智は座っていた椅子から転げ落ちるようにして、階段に続く自室の扉を開け放した。
悲しいかな、これ以上乱れのない己の安寧の地を守る為に。
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